こちらは、サントリーホールディングス様の学びのプラットフォーム「寺子屋」の5月22日(金)の講義のためにつくられたnoteです。このnoteをスライド資料のかわりに表示しながら講義を展開しました!(日々増強中なので実際に使用した資料とは異なります。)
おさらい①日本美術はアートではなかった!
ではなんだったのか?極論すると「飾り」と「娯楽」である。
おさらい②浮世絵はプロダクトである
アートとして作られたものではない浮世絵を私たちはアートとして楽しんでいる。そこがおもしろい。
おさらい③浮世絵は世界最高のポップアート
おさらい④北斎はキング・オブ・ポップだ
北斎のすごさ
ここからが本題。まずは浮世絵を巨大コンテンツ産業としてとらえる
■すごいのは北斎だけではない!
■浮世絵は版元が企画し、彫師摺師と協業し製作し、書店で販売した当時世界最大のコンテンツビジネス
■庶民に愛され大量に流通した
浮世絵の歴史はイノベーションの歴史=浮世絵5.0
■浮世絵の歴史はイノベーションの歴史でもある
■浮世絵の歴史を絵師や名作の系譜ではなく、イノベーション目線でばくっととらえてみよう
*注意事項 今回のバクッととらえるはあくまでもイノベーション目線。各イノベーションは当該絵師がひとりでおこしたものではなく、版元、摺師、彫師など多くの人々の創意工夫によっている。
また、それぞれのイノベーションは時系列的に、かつ突発的に起こるものではなく、それぞれが干渉しあい、当時の政策や国内、および、国際事情に左右されている。
イノベーションに至るまでには数々の試みが出ては消えていき、その積み重ねが生んでいるという点では現代におけるイノベーションとなんらかわるところはない。
浮世絵には肉筆と版画があるが、今回主に扱うのは版画である。
浮世絵1.0「浮世絵誕生」
■キーパーソン「菱川師宣(ひしかわもろのぶ)」
(元和4年〈1618年〉 - 元禄7年6月4日〈1694年7月25日〉)
■バックグラウンド「江戸の大衆文化の発展」
■年代「1670年〜1690年くらい」
●イノベーション①版画という生産様式を絵画に導入
before→肉筆画は有力者のもの、絵を所有するのは特権階級
after→庶民が絵画を所有、絵だけで販売、「0→1」市場創出
浮世絵が誕生する前の絵画
●イノベーション②絵本を娯楽にした
before→本の中心は文字、絵本は絵師のための見本という意味
文字中心の本が大衆の娯楽であったということも実は驚きだったりする。
仮名草子
絵本
after→庶民の娯楽に、出版ブーム
●イノベーション③セルフプロデュース
before→絵師は御用絵師のみ
after→町絵師の存在をアピール、その後のスター絵師を生んだ
●イノベーション④悪所を描いた
before→遊郭と歌舞伎は絵の題材ではなかった
after→浮世絵の二大モチーフとなった
■菱川師宣はファーストペンギン
浮世絵2.0「錦絵カラフルショック!」
■キーパーソン「鈴木春信」
(享保10年〈1725年〉?- 明和7年6月15日〈1770年7月7日〉)
■バックグラウンド「江戸バブル」「絵暦(カレンダー)の流行」
■年代「1760年〜1770年くらい」師宣からだいたい100年
●イノベーション①見当の完成による多色摺り
before
after
イノベーションの原動力となったのは絵暦だった。
■テレビがモノクロからカラーに
■ガラケーからスマホに
●イノベーション②紙と技の進化による立体技術
着物の柄→から摺り
雪の厚み→きめ出し
■技術や機能は淘汰され、経済の原理にあった使いやすいものが生き残り標準化する
●イノベーション③見立てや心理描写、画題の高度化
瀟湘八景は以下からなり、すべて湖南省に属している。(Wikipediaより)
■主題やモチーフは技術の進化とともに高度化する
■ユーザーの欲求もまた複雑化し商品構成やメディアは細分化する
■鈴木春信はスティーブ・ジョブズ
市場を拡大させた
浮世絵3.0「プロデュースの時代」
■キーパーソン「蔦屋重三郎」版元でありプロデューサー
(寛延3年1月7日〈1750年2月13日〉 - 寛政9年5月6日〈1797年5月31日〉)
「喜多川歌麿」美人画
(1753年〈宝暦3年〉頃? -1806年10月31日〈文化3年9月20日〉)
「東洲斎写楽」役者絵
■バックグラウンド「江戸バブル崩壊と寛政の改革」「狂歌(ブラックジョーク)の流行と規制」
■年代「1790年〜1805年くらい」春信の錦絵から20年
●イノベーション①大首絵
美人画をくらべてみよう
■寛政の改革による締め付け
■ぜいたくな紙、色、摺り、彫りの制限
■構図にイノベーションが起こった
役者絵をくらべてみよう
■大首絵の役者絵だけを集中的に出版→選択と集中
■役者の個性をデフォルメし、際立たせる
●イノベーション②幕府との戦い
■市中の女性の名前を絵の中に入れることが規制された
■狂歌で培われたセンスを絵画に発揮する
●イノベーション③覆面絵師による挑戦
■素性のわからない謎の絵師が突如一流出版社で大作を発表
■寛政6年5月に集中露出
●起業家としての蔦屋重三郎(1750−1797)
田沼時代:田沼意次が老中(老中在任安永元年(1772年)~天明6年(1786年))を務めた時代→蔦重22〜36歳
寛政の改革:松平定信が主導した幕政改革。天明7年(1787年)~寛政5年(1793年)→蔦重37歳〜43歳
before
after
日本のカルチャーの歴史は本歌取りの歴史でもある。
こちらのブログ↓めちゃくちゃおもしろい。
蔦屋重三郎と江戸の出版事情に関してはこの3冊に詳しく書かれている。が、読む時は性根を据えてかかってね。
■蔦屋重三郎はウォルト・ディズニー
■歌麿は?
■写楽は?
浮世絵4.0「風景画という第三の画題」
■キーパーソン
「葛飾北斎」
(宝暦10年9月23日〈1760年10月31日〉? - 嘉永2年4月18日〈1849年5月10日〉)90歳まで生きた
「歌川広重」
(寛政9年〈1797年〉 - 安政5年9月6日〈1858年10月12日〉)
■バックグラウンド「江戸の旅行ブーム」
■年代「1830年代〜1860年くらい」
●イノベーション①旅行ブームと風景画
国立国会図書館HPより
●イノベーション②海外からの技術を駆使−遠近法とベロ藍
ベロ藍
■100年前に入ってきた遠近法を駆使した北斎と広重
■ベロ藍を商業的に使った最初の浮世絵師は北斎だがやがて広重のイメージに
●イノベーション③二人の天才によるグルーヴ
風景画ブームの先駆けとなった北斎72歳の「冨嶽三十六景」
冨嶽三十六景と同じ年に出版された広重35歳の「東都名所」
冨嶽三十六景の2年後に出版された広重の東海道五十三次
広重の東海道五十三次と同じ年北斎は「諸国滝巡り」を出版
北斎の風景画はさらに続く
広重の風景画が行き着いた先
追記:
シカゴ美術館絵師別公開点数
ボストン美術館スポルディングコレクション
春信:338点
清長:211点
歌麿:410点
写楽:52点
北斎:528点
広重:2370点
■葛飾北斎と歌川広重、二人の天才がいたからこそ風景画は世界で賞賛された
■芸術性の北斎、売り上げの広重(マーケットを教育)
浮世絵4.5「幕末のきらめき」
■キーパーソン
「歌川国芳」
(寛政9年〈1798年11月15日〉 - 文久元年3月5日〈1861年4月14日〉)、「歌川国貞」
(天明6年5月19日〈1786年6月15日〉 - 元治元年12月15日〈1865年1月12日〉)
■バックグラウンド「幕末」「天保の改革」
■年代「1830年代〜1860年代」風景画とあまり変わらない時期
●イノベーション①SNS化
美人+名所
役者
武者
西洋画
落書き風
●イノベーション②三枚続
●イノベーション③風刺とパロディ
ちなみに歌麿が手鎖50日の刑を受けることになった絵
■画題が多様化しニッチに
■幕府のコントロールが弱まった
■彫り、摺りの技術がピークに達する
■国芳と国貞はインスタグラマー
まとめ
最後に
よろしければ和樂webの音声コンテンツもよろしくお願いいたします。