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「変な宗教にハマってるんじゃないの?」

こんにちは、えんちゃです。
いつも体感10分ぐらいのお話をしていたんですけど、今回は5分ぐらいでまとめようかなと思っています。


毎朝6時ぐらいからやってるclubhouseルームで、親兄弟に「変な宗教に入ってんじゃないの?大丈夫なの?洗脳されてんじゃないの?」って言われるというのが話題になりました。
これね、情報発信者あるあるだなーって思ってて。

というのも、「日本をより良くしていきたい」みたいにそういう志高い想いを抱いて活動していると、必ずと言っていいほど身近な人達から、「宗教入ってんじゃないの?」みたいに思われちゃうのは、ものすごいあるあるだなと思ってて。

いやー私もね。
すごく身に覚えあるなーって思ってまして。

これね、本当に、「まだこの人はそういったことを学びや悟りに変えるタイミングじゃないんだな」って思いがちだし、私も思っていたんですけれど、最近は少し考えが変わりまして。

というのも、私は3年ぐらい前まではYoutubeで「日本を良くしていくために長期視点で考えて今こういう考えを持っていきましょう、こういうマインドセットでみんなやっていこうね」みたいなことを、動画を見てくれてるパソコンの前の人達に語りかける感じでやってたんだけれど、
その一方で自分の親や身近な人達に対して、具体的な貢献を全く疎かにしていたんですよね。

「私の親は全然悟りに至ってないな」
「まだ自分と同じステージには上がってきてないな」

って思いがちだし、実際そうなんだけれど、

でも、
自分の親に対してそういった悟りに至るためのアクションを何ひとつしてこなかったのって、他ならぬ自分自身なんですよね。

阿吽(作:おかざき真理)

仏教の伝教大師最澄(画像左の人物)は「一隅を照らす」ということを説いていて、
これは、部屋全体があかりによって広く照らされても、その光が届ききらない部屋の隅(一隅)が照らされるように、自分自身が小さな灯火となって照らす、という意味なんですけれど。
私は数年間、この「一隅を照らす」というのが全然できていなかったなっていう思っていて。

だから最近では、実家に帰省するたびに(もう何ヶ月かに一度しか帰らないんですけれど)、

トイレ掃除をしたり、
祖母の私室にある鏡をピカピカに磨いてあげたり、

そういった小さなことをやり始めたんですね。

そしたらですね、

トイレ使うたびにしていた謎の異音がなくなったよとか、
鏡がきれいになっておばあちゃんが喜んでたよとか、

そう感謝してもらえたり、自分もえんちゃの生き方を見習いたい言ってもらえたりして、
私は今まで、身近な人のためできることを何ひとつやってなかったな、だから宗教とか言われてたんだなって、ものすごく反省したんですよね。

だからもし、
私と同じく情報発信をしていて、周りの方に理解を得られませんよっていう方がいらっしゃったら、
そこはやはり最澄の仰るところの「一隅を照らす」というところから考え直して、今、目の前の人のためにできることをやってみたらいいのかなと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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