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1年に一度同じ場所に行くこと

息子と初めての男ふたり旅に初っ端からきっぷが買えなくて小学3年生に助けられる43歳の父です。ちゃんさとです。
♯父親の威厳って何だっけ?
♯頼もしかった8歳

さて。
本日は「1年に一度同じ場所に行くと自分の変化が感じられる」ってテーマです。

今回は福祉サービスなど制度の話はお休みして、自分のために残しておきたい日記回です。

福祉サービスや障害年金を期待している方はこの記事は飛ばしてください(笑)

自身のことを振り返るのは意識していないとなかなかできない。

振り返る必要もないことだってあるので、わざわざやらないよって方もいるとは思いますが、僕は客観的に自分のことを見るということを定期的に行うようにしています。

傲慢になっていないかとか、調子に乗っていないかとか、自分の軸って何だっけってことだったりです。

人は知らず知らずのうちに自分の理想とはかけ離れていて、それに気が付かずに疲弊したり、苦しくなったりしています

何者でもない自分が何者かになろうとしていたり、何かたまたま役割をもらっていたりすると、常に自分自身ではない何かになろうとして自分を見失います。

そもそも借り物でしかない立場や役割に優劣をつけたりして苦しくなったりするんです。

そもそも変わっていくのが当たり前、流れていくのが当たり前なのにも関わらず変わることを受け入れずに苦しくなる

そういえば最近白くなってきたヒゲを「痛い」って涙目になりながら、ひたすら抜いていて、歳をとることに逆らっている自分に気がつきました。
♯歳を重ねることが自然なのに逆らっていた

だからこそたまにチューニングというか、なりたい自分だったり自分がどうしたいのかってことを振り返ったりする時間が必要になるわけです。

子どもを見ていて思うのは大人になる前は振り返る習慣が強制的にあったなあって。

クラス替えや席替えもあって、給食当番も変わったり。

18歳までで言えば、義務教育として学年が変わったり、進学したりと半強制的に環境の変化があるもんだから、変化を感じられるからこそ自分の立ち位置だったりも感じやすくなっている。

特に18歳までは人間は肉体的にも成長をし続けるので、あからさまに成長を感じていたと思うんです。

でも大人になってからはどうだろう。

会社の中でそういった環境があれば別だが、多くはなかなか成長を感じにくい環境にあるように思います。

そもそも現状維持バイアスなんてものがあるので、とにかく変化を嫌うというか、変化を避けるように身体中にインプットされてる。

でも、全くそういったことがないのかと言えばそうでもなくて、例えば年末年始だったり、年度の切り替えだったりはまさにそれで、「今年はこうだった」とか「来年はこうなりたいな」とか、「来年こそはコレをやるぞ」なんて思っていたりもする。

知らず知らずのうちに自分自身の役割を脱ぎ捨てて、自分の今いる場所を確認したり、変化を受け入れるなんてことも実はあったりします。

この作業は本当に大事だなって改めて思います。

改めて年が変わるとか環境が変わるとかっていうエネルギーの強さがあるじゃないですか??これに驚かされるんです。

ではコレ以外にそういった場を作ることができないかというと意図的にこういったことを作ることができる。

それが「一年に一度同じ場所に行く」ということで、年末や年度の切り替えと同じようにこういったエネルギーが動くことを体感できます。

生まれ育った土地を離れて生活している方は地元に1年に一度帰省することで感じられるし、大好きな場所に年に一度旅行に行くことでも良い。何なら近所のお気に入りのカフェとかもでも良い。

「1年に一度同じ場所に行く」のが重要。

私の場合、妻の実家が遠方な為、年に一度は帰省するし、子どもたちと毎年近所の同じ川に行って遊んだりします。

そこではこんなような会話が必ずあるんです。

「去年はこうだったよね」
「ずっと前にここで泣いてたよね?」
「大きくなったねー」
「あー去年はすごくイライラしていたなあ」etc etc

皆さんもこんな感じのことないですか??

なんとなくモヤモヤするとき、なんか上手くいかないとき、変わらないなあなんて思って諦めていることもあったりするかもしれない。

でも、びっくりするくらい変化してる。苦しいのはそれことを受け入れることを拒否して抗っているからだと思います。

というかもっと深刻なのはその変化に気がついていないことです。

ぜひ一年に一度同じ場所に行くことで、自身の変化に気が付くことから初めてみてはいかがでしょうか??

おすすめでございます。

ではまたー。


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