偉大な赤字経営ばあちゃんから学ぶ生き方
儲かりまくってた昭和
はじめまして。ちゃんみー。初のnoteに目を通して下さりありがとうございます(*^^*)そんなあなたが大好きです←
きっとこれに目を止めてくれたあなたは、赤字経営に悩み中の方か、人間観を模索中の方だろうな、と思います。
初めに言わせて頂くと、私はフリーランスでもなければ、経営学部出身でもない、ただの専業主婦です。
毎日、ラヴィット見て、麒麟の川島さんに癒されながら掃除し、夕方に子どもたちの宿題や悩み相談に格闘し、22時過ぎまで習い事の送迎する、Hey平凡BONな主婦です。
有料部分もありますが、
『これをすれば赤字経営から脱出!』のようなノウハウを書いているわけではないので、それをお求めの方は、他の方へどうぞ。
気分転換や、ちょっとした生き方のエッセンスに、なれば良いな、って気持ちで書いてますので、興味のある方、モノズキな方はどうぞ先にお進み下さい♪(笑)
ただ、内容には自信がありますし、恐らく世の中の多くの経営者さんたちが声を大にして話す内容ではないので、
ビジネス初心者の方や、なんだか最近ツイてないなぁ…って方には、これを実践すれば、何か良い空気が流れたり、
子育て中の方ならば、ママ友さんとの関係の潤滑油になると思います。
それでは、現状を少し変えてみたい、という方はどうぞ(*^^*)
↓↓↓↓↓↓
私のばあちゃんは、町で小さな商店を営んでいました。
昔でいう『八百屋』ですね。
野菜、魚、肉、パン、ちくわやかまぼこ等の練り物、漬物に、コロッケや焼き鳥のようなちょっとした惣菜、シャンプー等日用品や、ノート等文房具、駄菓子もあったので、
夕方になれば子どもたちが100円握りしめて、何を買おうか悩むのを見届けながら、
調理師の母が旬の食材を使ったお惣菜を作り、その惣菜をアテに仕事帰りの作業着のおじさんたちが日本酒片手に一杯つまむ…という、町の皆様の憩いの場でもありました。
仕入れの帰りには、体が不自由なお年寄りや、店から遠い人たちの家を周り、
『プーっ、プッ、プーっ』とクラクションを鳴らせば、色んな家からばあちゃんの軽トラ目指して買い物に来る、という、今なら迷惑だ!と批判の声でも上がりそうな、絶対にできない、昭和スタイルな商売をしておりました。
父や祖父も自営業しており、町の皆様への仕事もありましたが、
日常に深く密着していた祖母は、『はっちゃん、はっちゃん!』と親しまれ、
もれなく私たち姉妹はどこに居ても『はっちゃん家の孫』と顔が知られているので、
母からは
『良い?うちはおじいちゃん、おばあちゃん、お父さんみんながお仕事しているから、町の方はあなたたちの事知ってるんだよ。
たとえ ちゃんみー。が知らない人でも、挨拶は欠かさないようにね。』
(今の時代ではありえない…と思う人多いだろな😅)
と、育てられてきました。
実際、おばさんたちから挨拶はしょっちゅうされていて、
『あ、はっちゃん家の長女さん!こんにちは😊』
とよく言われ、
『誰だっけ…』と思っても、笑顔で
『こんにちは!』って返していました。
外での評判と真逆で、家では怒られてばかり
世の中は平成になり、町では親しまれていたばあちゃんでしたが、
家の中ではじいちゃん、お父さんからはよく怒られていました。
内容は、だいたいいつも同じで、
『商売はボランティアじゃない』って事でした。
そう、赤字経営だったのです。
当時父と祖父は景気が良く、月100万を越える収入があった為、そこから補填していたようです。
当時どのくらい赤字だったのかまではわかりませんが、
時代が大きく変わり始め、スーパーマーケットが増え、イオン等大型ショッピングセンターが出始めてきていたので、
以前より店の活気がなくなってきていたのは、子どもながらに感じていました。
仕入れ帰りに『プーっ!プー!』と鳴らしても人が集まらない日が増えてきて、放課後店に出れば駄菓子コーナーに来ていた友達は次第にコンビニへ出向くようになり、お菓子の仕入れの回転も、目に見えて悪くなり、学校では
『はっちゃん家で駄菓子買ったら飴が溶けてた!』と、今までに受けた事のない苦情も受けるようになったり…
もう、町の人たちが個人商店を求めていないのを肌で感じ始めてきました。
回復しない赤字…『店畳もう!』に応じないばあちゃん
赤字経営を続け、回復の兆しは全く見えない状況でした。
にも関わらず、ばあちゃんは毎日市場へ仕入れ。
人が集まらないにも関わらず、町からは『プーっ、プップーっ!』と軽トラのクラクション。
きっちり毎日、体の悪い人たちの家にも寄っている様子で、数日に一度、
『今日は○○さん家で売れたんよ!』
と嬉しそうに話すばあちゃんを、家族は冷ややかな目で見ていました。
母からは『売れたと聞いても毎月厳しいし…』と聞いていました。
店にはとても大きな商用の冷蔵庫や冷凍庫、アイスクリーム用冷凍庫もあり、
外には自販機3台。
加えて仕入れても売れない商品ロス、仕入れ用軽自動車…
店の電気代だけで10万越えている、という話は母から聞いていたので、年金でやり繰りしていたばあちゃんの赤字は相当なものだったと思います。
父や母は何度も『店畳もう!』と説得して、
祖父は『いい加減にしろ!』と何度も叱りつけ、
次第に私たち姉妹までもが『辞めた方が良いんじゃない?』と声を上げるようになりました。
それでもばあちゃんは決まって
『私が店辞めたら、あの人は買い物できなくなる』
と、1人暮らしの体調が優れないおばあちゃん達の生活の心配をしていました。
おばあちゃんはもうすでに、商売で利益を上げる事を全く考えていなかったのです。
それでも赤字は膨らむばかり。店の規模を縮小し始め、食品用冷凍庫は撤去し、外にあった中高生の憩いになっていたカップ麺自販機も撤去されました…(口では店辞めたら?と言ってはいたものの、カップ麺自販機に懐かしい町内のお兄ちゃんたちが、クラブ帰りに寄ってくれる姿は嬉しかったなぁ…)
店は開けていてもほとんどお客さんはこないので、ばあちゃんは気になる人の元を走り回る事が中心となりました。
売る物も、日用品、アイス、駄菓子、魚、肉、野菜…と次第に減っていき、ばあちゃんが病気で倒れる前には、文房具くらいしか残っていませんでしたが、大きな店の看板が壊れ、見えなくなっても、『店、開いてます!』と段ボールに書き集客する…という、最後まで人との繋がりを保とうと必死でした。
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