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【爆発するサーブ力】ギリシャ系オーストラリア人最強!?マーク・フィリポーシスのヒストリー#85
皆さん、こんにちは。
「Change Court」記者のtakableです。
この記事ではテニス選手個人にフォーカスを当てて選手のヒストリーやエピソードについてご紹介します。今回は名字の最後に「ス」が入る選手を今までのように、「幼少期〜ジュニア期と22歳程度の年齢までにどのように育ったのかを調べながら、名字から選手それぞれのルーツについて調査し「ヨーロッパの選手が強い理由」を調べていきます。(2021.10.11現在)
※記事をより簡単に読んでいただくため表記に独自のルールを利用しています。
マーク・フィリポーシス
弾道ミサイル「スカッド」(ラテン語で断片・破片・素早く動く)を彷彿させる、爆発音とスピードのある高速サーブとダイナミックなフォアハンドで攻撃的なテニスを展開。サーフィン好き。
「6歳からテニスを開始、15.2歳で国際大会デビュー!」
1995年GS・U
1976年11月7日オーストラリアのメルボルンで、ギリシャ人の父とイタリア人の母のもと生まれました。セミプロのサッカー選手だった父の影響で幼い頃は、サッカー選手になりたかったマークでしたが、6歳の頃に自宅近くのテニスコートでテニスの試合を見てテニスに憧れ開始しました。
父のコーチングのもとジュニア時代は15.2歳でJrの国際大会デビュー、17.7歳までの間に13大会に出場し33勝13敗(勝率72%)でした。
父はフィリップのテニス活動費を捻出するために、4時まで銀行で働きその後は、1時までタクシードライバーとして働きました。
「17.2歳GSデビュー、19.8歳98位へ」
1996 P.サンプラスに勝利したシーン
ジュニアと並行し、16歳でチャレンジャーデビュー、17.2歳でWCによりGS・AでGSとツアーデビューをしました。TOP100を切ったのは、ツアーデビュー翌年の1995年7月で19.8歳で98位でした。
1995年は274位からスタートしました。2月スコッツデール250で決勝進出、5月ボロンガ250でSFと250の大会で勝ち進むことができるようになりました。7月末のカナダ1000で2回戦に進出したことでTOP100を切り98位を達成しました。
1995年シーズン後半10月クアラルンプール250では決勝戦、翌週東京250では、S.エドバーグ[20]、R.クライチェック[15]の2人のGS優勝者に勝利して2週連続で決勝に進出しました。優勝ができないシーズンでしたが、38位でシーズンを終えることができました。
「22.5歳キャリアハイ8位」
オーストラリアBIG3
1995年の活躍からは、安定してTOP30を守り抜いてきたフィリップは、1999年22.4歳でTOP10の壁を破ります。
1998年シーズン終盤のGS・Uで初の決勝まで達成した勢いそのままに、1999年は、シーズン開幕から飛ばしていきます。
初戦GS・AでM.チャン[27]らに勝利し4回戦、2月サンノゼ250優勝、3月インディアンウェールズ1000では、A.コレチャ[3]、M.サフィン[30]、C.モヤ[4]を破って優勝をしたことで3月末に9位を達成しました。
その後は、GS・WでQF、シーズン終盤のパリ1000では、R.クライチェック[12]、T.ヘンマン[10]ら上位陣に勝利しQFに行く活躍をしました。この年に22.5歳でキャリアハイ8位を獲得し、この成績が最高成績となりました。
これらの活動後、中堅・ベテラン・引退までの間に膝の負傷により満足にプレーできないことがありました。2003年までに3度の膝の手術を経験した後、新しいフィジカルトレーナーとトレーニングを開始し、気晴らしとトレーニングを兼ねてサーフィンを始め身体を鍛えました。
2003年1月には復帰し、GS・Wでは2度目のGS決勝戦まで進んだことでATPカムバック賞を獲得しました。
引退まで膝の怪我、金銭的な問題、オーストラリアテニス協会との対立など、肉体的・精神的にもタフなプロ生活を送りましたが、「プロ生活に後悔はない」と語っています。
現在は、趣味となったサーフィンをしながら過ごしていますが、同郷の選手たちにも興味関心を持っており、N.キリオスの指導をしたいと語ったり、2020年には同郷で同じく怪我に苦しんでいるT.コッキナシスのメンターとしての活動をしました。
同世代で同じギリシャにルーツを持つ2人の活躍や今後の後世のギリシャ系オーストラリア人のサポートし、L.ヒューイット以来となるオーストラリア人のGS優勝者、世界ランキング1位のコーチを行う姿を楽しみにしています。
コーチ譲りのスカッドサーブやダイナミックなプレーが教え子たちに伝わり活躍していくことを期待しています。
記録
✴︎1995年ATP最優秀新人賞
✴︎2003年ATPカムバックプレイヤー
今後もこのような記事をあげていきますので、もしよかったよ〜という方は是非note内の「スキ」や「記事の保存」をお願いします。
この選手の記事を読んでみたい!調べてほしい!というご要望ありましたら、お気軽にご連絡ください。それでは次の記事で。さようなら。
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PS.あのサーブの威力を出す為にどんなトレーニングをしていたのか伺いたいです!
〜CC(Change Court)について〜
CCは、テニスのジュニア育成に関する問題や課題を解決していくための考察記事です。
「うちの地区こんな問題があるんですが…」、「これは正しいのかなぁ!?」、「これってどうしたらいいでしょうか?」そんなテニスのジュニア育成に関する悩みや課題を解決できるきっかけを皆さんと一緒に考察します。
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