ADHDは、麻薬(あ、変)だ。
こんばんは。「ADHDはやっぱ、やめられねぇよなぁ?!」ってことでこのタイトル。自己紹介note読んでくださった人、ありがとうございます。ふつつか者ですがご容赦お願いいたします。
初めに自分の立場を明確にしておこうと思うんですが、今のところ僕はADHDを免罪符に生きていこうとは思っていません。ADHDを言い訳に生きていても自分がおもしろくない、というのが持論です。ADHDを言い訳にして全ての原因に帰結させる、それは、ADHDをこの社会で生きていく上で不利だ、と自ら認めてしまっている事と同義なんじゃないかと思うのです。かと言って、全ての原因が自分の努力不足と考えてしまうのも困りものです。おそらくADHD→鬱病の黄金ルートを辿ることになるでしょう。原因が自分に「ある」、「ない」の0か1で考えなくていいんだよなぁ。たまたまそういう脳みそに生まれてしまっただけなのだから。多くの人が解決を急ぎすぎてハッキリとした答えを求めてしまいがちです。曖昧でもいいじゃない。かのアリストテレスも中庸の精神を説いているんだぜ。極端でなくてもよい。こと人生においては、自分はそう思います。
そうはいってもADHD当事者の苦労は人一倍失敗してきた僕ですから、ものすごく気持ち、わかります。直近での僕の一番の失敗は、持ち前の破滅的な計画性の無さによって、先日行われた国家試験を記念受験するはめになったことでしょうか。私の受けた国家試験は年一回なので来年受験することを余儀なくされている状況です。その国家資格がないと僕は職に就けないので自動的に今年は実家の厄介者になるわけですね。あの、、、
助けてください。
まぁ、こんな状況ですが毎日楽しく暮らしています(笑)年老いたママはかわいそう。
ここまでの経緯を俯瞰して考察すると、ここまで至ってしまった自分の現状にはADHD傾向の人特有の計画性の無さが要因の一つとも考えられそうです。しかし何故、締め切りを守れず、計画を立てても上手くいかず、教授の激しい叱責にも負けぬ丈夫な体を持ち、皆にポンコツと呼ばれ、褒められもせず苦ニモサレズ、ソウイウモノニ私ハナッタノカ。
さて、ここでお勉強のお時間です。皆さんの中にもご存じの方がいらっしゃるかもしれませんが、この「計画性の無さ」という特性は不注意・多動性・衝動性のうちの不注意に当たるものと考えられています。このような特徴的な症状が出現する原因の一つに、脳内の神経伝達物質の分泌量が正常に比べて不足しているという説があります。そして、意欲や興奮(いわゆる興味を持つことに関係する)に関わるノルアドレナリンという物質とセロトニンというそれを抑制する方向に働く脳内神経伝達物質が存在し、それぞれが拮抗し合って、人間は物事に取り組んだりできているわけなんです。(ものすごく簡潔に説明しています。専門家の方はご容赦願います。)
ここからは個人の見解も含まれますが、ADHD人は脳の蛇口がぶっ壊れている、と表現されることもあるように、ノルアドレナリンが不足してちょろちょろしか出ていない時は物事に興味が湧き辛いのだと思われます。このために計画を先延ばしにしてしまうわけですね。
では、今度は反対にセロトニンが不足して、相対的にノルアドレナリンの量が多くなってしまっているとどうなるでしょうか。これは、集中している状態から抜け出しづらくなってしまうのです。ADHD人はもう何のことを言われているかわかったかもしれません。この状態が過集中の状態だと考えられます。ゲーム始めたら一日中やってしまう、あれです。僕もこれでスマブラ|《大乱闘スマッシュブラザーズの略称。総プレイ時間3000時間以上。自分が怖い。》が強くなりました。
簡単に申し上げますと、先述した脳内神経伝達物質は体内で生成・処理されるいわば、麻薬のようなものです。ADHD人は、その働きが他の人と働き方が違うだけという見方もできますよね。過集中の状態の時なんてもうジャンキーさながら鬼気迫る勢いで僕はゲームに熱中していましたわ。
先延ばし癖が積み重なって、何もせずスマホを握りしめたまま締め切りに間に合わなかったあの日の夜中。その度にもうダメだって思っているってことは逆に生を実感していることに他ならないのではないだろうか。やめられねぇぜって感じでしょ?
ここまでADHDについて色々書いてきましたが、自分のことを理解するという意味では自らをある程度ラベリングする必要はあると思います。
しかしADHDだ、発達障害だ、と自分をジャンル分けせずに生きるのも一つの手だと個人的には思います。あまり自分が他の人と違う障害者だ、という認識はアヘンのように自分の精神を蝕んでいきかねないものですから。では、次回。 ちゃんちょん