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2025/02/09|何度泣かせれば気が済むのか(映画『ファーストキス 1ST KISS』ネタバレ感想)

硯夫妻の「満たされていないとき」と「満たされているとき」の表情は、それぞれほとんど別人のように違っていた。
冒頭、人生が“チュン”と終わっていく瞬間の駈の眼差しは恐ろしくどんよりとして暗い。カンナとの生活が無の境地にまで至り、ベッドも食事も別々でただ同じ家に暮らす者同士でしかなくなり、草野球のユニフォーム姿で黙って家を出ていくあの姿など、もはや生きる屍ではなかっただろうか。
カンナもまた同じく、「動物も人間も嫌い」とかブツクサ言いながら帰宅して、3年待ちの餃子を容易く焦がしてダメにしてしまったときの彼女は孤独をひどく拗らせているような印象だった。

しかしタイムスリップを契機にカンナの顔つきはどんどん変わっていく。
目をキラキラさせながらハルケギニアについて熱く語りだす若き日の駈に出会い、未来の彼をどうにかして助けるため、彼の生存プランを組み立てては過去に戻って力を尽くすカンナ。いつしか未来へ戻っても遺影の中の彼を愛おしく思えるようになり、どんよりした表情の遺影にたまったホコリをササッと払ってあげたりもする。
何度も何度も駈と出会ってデートをして、時には裏で暗躍したり失敗したり、無駄に同じセリフを言わせたりもしながら、カンナの表情はいつしか「恋をしている人」そのものになっていく。もちろん駈も毎回新鮮にカンナに恋をする。パン屋のくだりはさすがにかわいすぎる。

カンナの靴下から剥がれ落ちた未来の付箋を目の当たりにして、駈の表情や態度が変化していくのもよかったな。目の前にいる女性の正体が未来の自分の妻だとわかり、まだ結婚もしないうちから離婚してしまったことを知って頭を抱えたり、ちょっとだけ気が大きくなって痴話喧嘩をしたり、離婚したくないと駄々をこねたり、自分に罪のないことで何度も謝ったり、僕の目を見てよと愛おしそうにカンナの肩をトントンしたり。
己の死因を知って脱力しながら「ああ……悪くないねえ……」と苦笑する姿も印象に残っている。このあと人知れず将来に絶望したり、少しずつ迫る自らのタイムリミットを恐れたりはしなかったのだろうか? この時点で私の涙腺はすっかり崩壊しているのだが、直後に本作のタイトルの意味が回収されてまた爆泣きした。もう勘弁してくれ。

最後の日。いつものパズル(立体四目並べ)をそっと一つ進めた駈に対し、カンナは「帰ったら続きやろうね」と声をかけるが、このあとのことが分かっている駈はあえてそれに返事をしない。叶えられない約束はしない最後の優しさにまたおいおい泣いてしまったし、その後の手紙でさらに追い打ちをかけられた。駈自ら声を詰まらせるなんてずるい。明日からは言えなくなってしまう一生分のあいさつを手紙に残したのもずるい。

朝はパン派であろうカンナのもとに新しいトースターが届くのも、3年待ちの餃子が冬ではなく夏に届き、しかも代引きじゃなくなっているのもひとえに駈の愛情の表れだろう。冷め切った関係性の夫が離婚当日に亡くなるのと、幸せいっぱいの日常の最中に夫が亡くなるのとでは、突き落される「高低差」がまるで違うはずだけど、この世界線における彼女の心は駈の愛情でずっと満たされてきたから、序盤と違いやさぐれてはいない。
夫が亡くなってもおなかはすくからトーストを焼くし、笑顔の遺影に向かって何気なく話しかけたりもする。極めて健康的。駈がやり直したかった二人の人生の完成形はきっとこれだったのだ。休日の草野球に出ず上司には嫌われたかもしれないけれど、カンナとの生活を優先し、最期まで愛しぬく方向へと人生の舵を切ったからこそ、こんな結末を迎えられたのだろう。

それだけに、襟の黄ばんだシャツで亡くなってしまった最初の駈だけがどうしても気の毒で、あとからそれを思ってまたちょっと泣いちゃった。
子どもみたいに「離婚したくない」とあそこで泣くタイプの青年が、それから15年も経ったとはいえ、カンナと暮らした日々に1mmも未練や後悔を残さずに死んでいったとはどうしても思えなかったからだ。

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