茶髪に生まれついて
私は生まれつき、髪の毛が茶色い。
あまり赤みの目立たない明るい茶色で、例えるなら「セピア色」あたりが近いと思う。なんというか緑がかっている。
小さい頃は、なんとなく肌も白いほうだったので、よくヨーロッパの血が入っているのではと思われていた。フランス?ドイツ?ロシア?だいたいこの3か国を挙げられた。実際は先祖代々千葉県人だ。
小学生のころまでは、髪について人に言及されることはほとんどなかった。
状況が変わったのは中学に上がってからだった。
思春期の友人たちは、ティーンになったとたんにオシャレに目覚め始めた。当時は明るい茶髪が結構流行っていた気がする。よくこんなことを言われた。
「髪の毛きれいだよね」
「染めなくても茶色いなんてほんとにうらやましい」
ほめられるのは素直にうれしかった。なんだか自信がついて、私はちょっと特別なんだと思えた。
ただ、高校受験のための内申書に、「この生徒の頭髪は地毛であって染めているわけでは無い」という但し書きがなされた。担任の先生は、「ちゃんと書いておくから安心してね。これで高校受験で不利にならないからね。」と言った。当時の私は納得して、感謝した。髪を染めることすなわち不良、という考えが、少なくとも大人たちの間では一般的なのだと理解していたからだった。
私の学年はかなり荒れていて、いわゆる”問題児”や”不良”がかなり多かった。彼らは基本的に決まりを守らないので、誰かが何かを破るたびに、その規則が厳しいものにグレードアップし、また破られてはグレードアップし、ということが繰り返された。”頭髪”関係のルールも、当然のように彼らは破っていた。今でこそ、「髪の色なんて関係ないのにな」という価値観が自分の中にしっかりとあるけれど、家庭と学校が世界のすべてだったころはそうではなかった。でも、「たった3年間なんだからおとなしくしてればいいのに」とは思っていた。
現在でも、よくわからないルールがあるらしい。「ブラック校則」というやつだ。地毛が黒髪でない生徒に対して「黒く染めろ」とか「証明しろ」とか、いろいろ個人の尊厳を踏みにじるようなことを言う人間(組織)がいるなんて信じられないが、これが現実らしい。私の場合は地毛の色を尊重してもらえていたので幸運だったのかもしれない…いや、違う。普通のことだよね。
話は変わるけれど、私は自分の茶色い髪の毛を誇りに思いつつも、”真っ黒な髪の毛”に強くあこがれてもいた。
黒くてしっかりした髪の毛。太陽の下にいても白く光を反射する髪の毛。
ないものねだりというやつだ。
自分の髪の毛は色が抜けやすく、常に根元からグラデーションがかかってしまう。鎖骨あたりまで伸ばすと、毛先のほうは金髪っぽくなることもあった。茶色いと”軽く”見えるけれど、全体的にパサついて見えるのが少し嫌だった。黒い髪なら、しっとりどっしりまとまってみえるに違いなく、うらやましかったのだ。
あこがれていたので、一度真っ黒に染めてみたことがあったが、残念ながらまったく似合わなかった。数日で色が抜けたので救われたけれど、自分には自分の生まれ持った髪色が一番なのかもしれないと思った。
そうだ。
みんなちがってみんないいのだ。
大人たちが想定しているよりもずっと、地毛が真っ黒くない人間は多いということにまだ気がつかないってどういうことなんだろうか。
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