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スポーツジムのサウナで、おばあちゃんたちがテロリズムについて語る
サウナは社交の場だ。ロシア人にとっても、トルコ人にとっても、そして日本人にとっても、世間話を交わす格好の場所だ。そしてサウナでしか会わない人たち、それも年齢の離れた人たちと湯けむりの中で交わす話は面白い。印象に残ったサウナトークをここに書き留めることにした。
それは、おばあちゃんたちの会話だった。私が会員になっているスポーツクラブで、サウナで必ず会うおばあちゃんたち。彼女たちはとにかく暑さに強く、何十分もサウナに浸っていられる。みんな80歳に差し掛かろうという年齢の女たち。煙った小さな箱の中ではたいてい、大きくなった孫の話や中年になっ子供たちの話題で盛り上がる。
しかしその日はどういうわけか、テロリズムの話でサウナはもちきりだった。前日のテレビで、インドネシアとシリアで大きなテロがあったというニュースを聞いたからだろう。サウナ仲間のおばあちゃんの一人が、しみじみした口調でみんなに向かって言った。
「日本にもそのうち来るかもしれんね」
すると他の仲間たちが口々に頷いた。
「そうだよ、あんた、いつ何が起きるか分からないご時世だもの。他人事じゃないわよ」
「テロが来たら、あたしらはもうこの歳だから、逃げられんね」
「そうそう、若い人のようにパッパッと走れんもの」
「テロに遭ったら、もう運命だと思うしかないね」
運命だと言った仲間の一人の言葉に、サウナの衆は何かを感じたようだった。
「そうそう、運命なのよ」
「地震だってテロだって防ぎようがないもんだし、覚悟するしかないのよ」
「この歳まで生きてこれたんだからさ、もう充分。あたしだって受け入れるわね」
「覚悟」や「受け入れる」という言葉の中に、彼女たちの強さと潔さを見た気がして、私は少し圧倒されていた。戦後の時代を生き抜いてきた女たちは違う、と思った。
テロの話はそこで途切れて、いつもどおり誰かの家族の話題になった。サウナ仲間の一人に、江戸っ子風のちゃきちゃきした喋り方のおばあちゃんがいるのだが、彼女が沖縄に住む息子夫婦に桃を送った話をしていた。
「知り合いの農家がさ、今年は良い桃が穫れたよって言うからさ、うちの孫、桃好きだし、沖縄に送ったんだよ。それがさ、うちの嫁が電話で『関東地方の桃なんか危険ですから』って言って、送り返してきたのよ」
サウナは一瞬しんとなり、仲間たちみんなが彼女の顔をじっと見た。しわに刻まれた痩せた顔はサウナの湯気と汗でテカテカ光っていた。
「おたくのお嫁さん、今でもそんな風評、信じてるんだ」
仲間の一人が口を開くと、他の仲間もそれに続くかのように会話が一気に活気づいた。
「沖縄の人って、何も知らないのね」
「沖縄にいるから、遅れているんじゃないの?」
「あんた、電話もらった時、ちゃんと安全だって教えてやったの?」
「もちろんだよ」
江戸っ子風のおばあちゃんは、お嫁さんとの会話を思い出したのか、たまりかねたように口調が少し刺々しくなった。
「安全性は確認されてるって、何度も説明してやったよ。神奈川県の桃なんだし、何の心配もないからって。だけどさ、あの人、関東地方は放射能だからとか言うんだよ。まったく、ムカつくわね」
「そりゃあ、ムカつくね」と、他のおばあちゃんたちも口々に同意していき、声が反響するサウナの中に「ムカつく」合唱がこだましていった。
私はこの合唱に乗るべきか分からずに、ただ静かに、頬を滴り落ちる汗を拭った。人間とは面白いものだなと思った。テロに遭ったら自らの死をも運命だと思って受け入れると、きっぱり言えるほど肝の据わった彼女たちが、送り返された桃には憤っている。人にとって許容できるものと、そうでないものを隔てる境界線はどこにあるんだろう。
人とは、女とは、じつに深くてややこしい。「嫁と放射能とテロ」というタイトルで何か書いてみようかなと、サウナの熱でぼんやりした頭で考えた。
だからサウナはやめられない。
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