備忘録:般若寺の茶
奈良の般若寺にまつわる茶のこと。
境内にある解説(2020/9/4 般若寺住職誌「般若寺茶について」)より。
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日本のお茶は奈良時代、あるいは平安時代に原産地中国から遣唐使によってもたらされたと言われ、最澄・空海が元祖とも伝わります。当時は薬の一種と考えられていたようで、お茶を飲めるのはごく一部の階層に限られていたようです。
鎌倉時代に入って禅僧栄西が再導入し、茶の種を送られた明恵上人が栂尾に植えたのが茶園の始まりとされています。それから栽培が全国に広まり、一般の人にも普及していきました。南北朝時代の成立と考えられる『異制庭訓往来(いせいていきんおうらい)』という書物には、鎌倉時代の茶の名産地として栂尾(つがお)・仁和寺・醍醐・宇治・葉室・般若寺・神尾寺の七カ所が茶の「名山」とされています。
名産地の一つに数えられた南都般若寺の茶園は、本山の西大寺と同じように忍性上人が開設されたものと伝わります。忍性さんは般若寺の地では病気の人を救うために「北山十八間戸」を建てられましたが、お茶を施すことによって人々を元気にしようとされました。忍性さんは西大寺の叡尊興正菩薩の弟子でしたから、師より茶の栽培を勧められたのでしょう。西大寺には忍性さん開設の茶園を記す、最古の文書と絵図が残っています。
真言律宗末寺では葉室浄住寺・元興寺極楽坊・大安寺・鎌倉極楽寺・金沢称名寺にも茶園が営まれています。
明治まであった茶園は消えてしまいましたが、幸い般若寺境内には鎌倉時代から伝来する茶樹が十数本残っています。由緒ある茶園の伝統を守るため、遅まきながら、お茶の木を増やしています。
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境内の水仙が見ごろということで訪れたが、茶の歴史にもその名を残す名刹だったことを知った。奈良の茶文化やお茶にまつわる歴史も少しずつ学んでゆきたい。
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