大学4年生、秋
奥只見でひと足早く秋を感じてきました。東京の秋もはやくもっと深まらないかなあ。金木犀のかおりやイチョウの紅葉が待ち遠しい今日この頃です。
大学4年生、秋
大学4年生の秋、わたしが最近考えていることをぽつぽつと書きました。
秋、心も身体もなんだか落ち着かない季節。それでも、最近はアイヌ語を始めてみたり哲学対話のイベントをしてみたり、ゆるゆるとわたしなりに新しい一歩を踏み出しています。わたしの勇気が実るまで、わたしの問いが大きくなるまで、一緒にのんびり歩いてくれる方がいたらうれしいです。今日も読んでくれてありがとう。
ちなみに前回はこちら。今年の夏は脳みそ溶けちゃうと思ったけど、案外だいじょうぶだったのでよかったなあ。
①なぜ他人のことが気になるのか
最近、なんでみんなそんなに他人のことが気になるんだろう、とよく思う。
例えば、鞄の中身の紹介とか、ルームツアーとか、モーニングルーティーンの動画は、いったいどんな人が・どんな気持ちで見ているんだろう。なんでそんなに他人のことを知りたいと思うんだろう。
わたしはあまり他人のことが気にならないというか、「人」というかたまりに興味を持つことが少ないから、なんだか不思議な感じがする。わたしももっと他人に関心を持ちたい。他人のことが気になるようになるためにはどうしたらいいんだろう。
他にも、例えば、他人の目が気になって挑戦できないとか、いわゆる「いい大学」「いい企業」にいきたいとか、そういうことを言う人たちはなにを考えているんだろう。
さっきと違って、この意味で他人のことを気になるのはちょっと大変そうだな、と思う。わたしは、他人にどう思われるかも比較的気にならない(基本的にはどうでもいいと思っている)けれど、昔はそうじゃなかった気もする。いつからこんなふうになったんだろう。
ちょっと話がずれちゃうけど、ポッドキャストでは「他人のことが気になる」からではなく、「その人の物語の世界観を楽しんでいる」だけなんじゃないか、ということを話して、なるほど、と思ったりしました。
②言葉が絶対的な力を持っているのはどうしてか
わたしたちの社会で、どうして、言葉はこんなにも力を持っているんだろう。なによりも強く、逃れられないものとしてあるのだろう。
マイノリティとマジョリティの関係について考えるとき、いつも「声をあげること」と名指される場所にたどり着く。マイノリティが声をあげること、それをマジョリティやアライが汲み取っていくこと、それによって社会が変わっていく、と言われる。たしかに、黒人差別も、女性差別も、ジェンダー差別も、そうやって変わってきたのかもしれない。
でも、だとしたら、言葉をもたない人や言葉優位でない人たちについて、わたしはどう考えたらいいんだろう、と思う。彼らは、一生マイノリティであり続けるしかないのだろうか。なぜこんなにも、わたしたちの社会は「言葉優位」で「言語化ありき」の世界なのだろう。
わたしの周りを見る限り、言語化は得意な人より苦手な人のほうが多いし、言葉によるコミュニケーションもうまくいっていない人のほうが多いように思える。言葉に心許なさを感じている人がほんとうはもっとたくさんいるはずなのに、みんなはどうしてこんなにも言葉を信じているんだろう。
ヤングケアラーについて考えるたびに、わたしはいつもこの問題に戻ってくる。
子どもや障碍者が身体的に「語ることができない」ということ、それに対する解決がいつも身体を変える方向・あるいは語りを引き出す方向に持っていかれることになんだかもやもやする。言葉以外の手段が貧弱なわたしに言えたことではないのだけど。
③「やらなきゃと思うとできない」のはどうしてか
やらなければならないこと、早くやったほうがいいだろうと思うことに限って、なかなか手をつけられないのはどうしてなのか(わたしのこと)。
夏に沖縄の先生たちと哲学対話をしたときに、「やらなきゃいけないことができない」の「できない」ってどういうこと?という話をした。
締め切りギリギリに結局なんとか終わったとか、てきとうだけどやって出したとか、そういうのは「できた」ことになるのか「できない」ことになるのか、どうなんだろう。逆に、ほんとうに「できなかった」とき、それって実は「やらなきゃいけないこと」じゃなかったからやらなかったんじゃないか、とか。
その話をしたときからずっと、わたしの場合はどんな状態を「できない」と呼んでいるのだろうと考えていて、最近、締め切りが近いものほど後回しにしてしまうことがわたしの問題かも、と思うようになった。
わたしは締切は守るタイプだし、やるべきことは着実にやるタイプ(課題を期限内に出すとか、テスト勉強は確実にいい成績をとれる程度までやるとか)。
でも、目の前にやるべきことがたくさん並んだときに、なぜか期限の遠いものとか締切のないものから選んではじめようとする性質がある。おそらく、テスト勉強の前に部屋の掃除をしたくなる現象とおなじだと思うのだけど、とにかく、急ぎでやらないといけないことは今日の一番最後にまわそうと思ってしまう。
このとき、わたしはなにから逃げようとしているのだろう。なにがわたしをそうさせているのだろう。やらなくていいことからやってしまうのはどうしてか。知りたい。
おわりに
大学4年生の秋、わたしはこんなことを考えています。
書いていて気がついたけど、わたしはどうやら「なぜ」と「どうして」を無意識に使い分けているようです。なぜは他人に、どうしては自分に向かった問いになっているかも。
このシリーズの次の更新は冬、わたしの1番好きな季節!
その頃のわたしが、お気に入りのマフラーを巻いて、自分で編んだ帽子をかぶって、気持ちだけでもぽかぽかでいますように。みんなもあったかくしてね。
読書案内
今回も、内容に関係なくわたしが最近読んでいる本を並べておきます。
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