問いだけ100個。②
12月の卒論提出に向けて、毎日パソコンとノートと睨めっこしてばかりのちゃんすです。
今回は5月ぶりに、問いだけを100個並べてみたいと思います。
忙しく過ごしていると問いがわたしからどんどん逃げていってしまって、取り上げられてしまうような気がしてさみしい。
ほんとうはもっとゆっくり立ち止まって考えたいけれど、いまは全部を切にすることがむずかしいから、せめて綺麗にして残しておきたい、と思ってこれを書いています。
いつかのわたしがこれを読み返して、またそこから考え始めることができたらいいなと思うし、これを読んだ誰かがわたしの代わりに問いについて考えてくれてもうれしいな、という気持ちです。
はじめに
前回からいままでの間に貯めておいた問いから、いまでも成立しているなと感じる問いを100個選んでみました。ポッドキャストやnoteですでに扱ってしまったものもありますがご容赦ください。
ちなみに、前回はこちら↓
また、前回これを書いたときはまだポッドキャストをはじめる前だったと思うんだけど、あのあとちゃんとチャンネルを作って、毎週日曜日更新でゆるゆると続けています。
Spotify、アップルポッドキャスト、アマゾンミュージックで聴けるので(ブラウザ・YouTubeでも視聴可能です)、気になる人はフォローしてくれるとうれしいです!
最新エピソードはこちら↓
ちゃんすの問い
100個のうち、最初の50個はわたしの考えた問いです。
さみしいとはどういう気持ちか
話したくないことは話さなくてもいいのか
時間をかけないと感動できないのか
思うことと言葉にすることはなにが違うのか
無遠慮な質問に傷つく(あるいは傷つけてしまう)とき、それは誰かを傷つけたのか、誰かが傷ついたのか
わたしたちはどうしてみんな違っているのか
哲学対話における「よい場」とはなにか
なぜ他人のことが気になるのか
平和は「祈念」するものなのか
わたしたちに、平和について語る権利はあるのか/なにかを語る権利があるとはどういうことか
性別から逃れることはできるのか
生きててよかったって思う瞬間があったら、生きててよかったっていうことになるのか
なぜ大人は問いを出せないのか
大人との対話が怖いのはなぜか
本を読むために旅をしているのか、旅をするために本を読んでいるのか
自己啓発が怖いのはなぜか
働けない人には生きてる価値・意味がないのか
猫と人間でかわいさの基準が違うのはなぜか
赤ちゃんと大人でかわいさの基準が違うのはなぜか
文章を書くのが上手いってどういうことか *表現や言葉遣いが上手ければ中身が無くてもいいの?中身を伝えたい人(わたし)にとってこれは褒め言葉なのか?
「人生の答え合わせ」は可能なのか
眠りたいときに限って眠くならないのはなぜか/欲求をコントロールできないのは何故か
オタクは気質なのか(先天的?後天的?)
他人のカバンの中身を知りたい・気になるのはなぜか
「てきとう」ってどういうことなのか
連想の1番最初のものはどうやって思い浮かぶのか
原風景がバーチャルであるとはどういうことだろう/そこではどのような哲学・思想が生まれうるだろう
恋愛の価値観はどうして人それぞれなのか
沈黙してはいけない哲学対話ってなんだろう
宗教が怖いのはなぜか
話し合いを暴力に感じる人がいるのはなぜか
いつも着る服がないのはどうしてか
なぜわたしは英語が話せるのか
問いを立てるのがむずかしいのはなぜか
言葉にすると失われてしまうものは何か
「傷つけた側がぜったい悪い」は本当か
わかり合えない人とは本当にわかり合えないのか
マナーはどうして国によって違うのか
ルールを守ることに意味はあるか
「わかる!」に感じるモヤモヤは何か/わかられてたまるか、はどういう気持ちなのか
なぜ好みは人それぞれなのか
人に迷惑をかけてはいけないのはなぜか
わたしはなぜ痩せないのか
「分かっていても辛い」のはなぜか
「ふつう」が先にあるのか、みんなが「ふつう」に近づいていくのか
「働かざるもの食うべからず」なのか
分かり合えない人とも分かり合わなければいけないのか
言語化がうまいってどういうことか
お金を貯めることになんの意味があるのか
自分に馴染まない言葉はどうして馴染まないのか
どれも考えてみたいけど、いまだ!というタイミングにはなかなか出会えないのでほとんどお蔵入りしそうな予感。お散歩の季節がすぎちゃうと考える時間がなかなか取れなくてさみしいです。
たけしの問い
たけしにもお願いして、7月くらいから問い貯金をしてもらっていました。
たけしって誰だよ、という方のために説明しておくと、わたしと一緒にポッドキャストや哲学対話をしてくれている恋人(兼ビジネスパートナー?)です。わたしと同じ大学4年生ですが、専門は哲学とはまったく別で、考えるのと本を読むのがとってものんびりな人です。
差別が差別でなくなることはあるのか
意識高い系ってどういうことか?
なんですぐ調べないのか?
大人になると虫が苦手になるのはなぜか
他人に迷惑をかけてはいけないのか
不本意にそうなることと、無自覚にそうなることはどう違うのか
なぜちゃんすは歴史に興味がないのか
知ってて損することはあるのか
好きなものを語るのがこわいのはなぜか
予定のギリギリまで寝てしまうのはなぜか
誰にでもやさしいのは悪か
根っからの悪人はいるのか
言語は話せればいいのか
読まず嫌いをしてしまうのはなぜか
おしゃべりが苦手なのはなぜか
物が捨てられないのはなぜか
憧れの人を聞くのはなぜか
迷いや悩みのない人生は幸福か
不安はなぜなくならないのか
物事を決められないのはなぜか
気合いや根性とはなにか
暇なのは悪か
推しは推せるときに推すべきなのか?
論理と直感は対極にあるのか
間違えるのが怖いのはどうしてか
すぐに解決できない問題は考えなくてもいいのか
人はなぜ意識を過信するのか
子どもは非論理的か
障害は欠陥なのか?
昔の人の考えはふるいのか
フォトスポットで写真を撮りたがるのはなぜか
名前って何?(変わる名前と変わらない名前の違い)
やらない言い訳を考えてしまうのはなぜか
どこからどこまでが「食べ物」なのか
哲学はツールなのか
ありのままの世界ってどれ?
怒らない人は優しい人なのか?
曖昧なままでいてはいけないのか
自由はどこにあるのか
「時と場合による」とはどういうことか
「はじめてのおつかい」はヤングケアラーなのか
指摘と褒めるは両立できるのか
勢いに任せられないのはなぜか
言語は人間にしか使えないのか
罪の意識をもって生きてはいけないのか
将来使わないものは勉強しなくてもいいのか
日常のちょっとしたことを共有したいのはなぜか
平等な世界が実現した先には何があるのか
言葉はいつ自分のものになるのか
理論と感覚に差異が生まれるのはなぜか
はてながついてるのとついてないのが混ざっているあたりが、几帳面気味なわたしとは正反対ですごくおもしろい。
たけしの49番とわたしの50番はたぶんおんなじことを思い浮かべているんじゃないかなあと思って、一緒にいるとやっぱり似たような問いを立てるんだなあと改めて実感する。
わたしは、ちょっと前に「もぬけの殻」っていう言葉を聞いたとき、ふと「これはわたしの言葉じゃないな」と思ったことがあって、自分に馴染む言葉と馴染まない言葉はなにが違うんだろう、と考えるようになった。たけしも、誰かに似たようなことを言われたのをきっかけに、どうしたらその言葉を自分のものとして使えるんだろう、と思ったと言っていて(たぶん。わたしの記憶が間違っているかも)、ちがう出来事から同じ問いが思い浮かぶのっておもしろいなあと思った。
おわりに
哲学対話の問いを考えるときに、むずかしいことを考えなければならないとか、どうやって問いを考えたらいいのかわからないとか、そういう声を聞くことがあります。
でもほんとうは、哲学対話で考えるような問いは日常のいろんなところに溢れていて、個人的なことでもいいし、身近なことでもいいし、簡単なことでもいい。むしろそういうことから、立派に哲学がはじめられるというところが、哲学対話のおもしろくて良いところだとわたしは思う。
無理に背伸びせずに、ほんとうに考えたいことを問いとして考えられるような哲学対話をこれからもしていきたいなと思っています。みんなもポッドキャストを通して、そんな場をわたしと一緒に作って、一緒に考えてくれたらうれしいです。