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お空に帰った赤ちゃんのお話し



妊娠は奇跡Part②

妊娠したら生まれてくるのが当たり前だと思っていました。

2021.05月
ちょうど1年前に妊娠が発覚。
夫との関係も悪く、本当に嫌やけど夫の相手さえすればイライラさせずにすむ…と思いながら過ごして出来た子でした。
今では本当にごめんなさいという気持ちでいっぱいです。

その頃、コロナで仕事は逼迫していて、妊婦さんはみんな入院してしたり、体調を崩していました。

ちょうどこの頃くらいが次女の引きこもり具合もピークで、当時8歳の末っ子が急に歩けなくなる病気になったりして…
さんざんでした。

毎朝、トイレまで8歳の子を抱っこで連れていき
スーパーでは車椅子、学校でも車椅子…

このままお腹が大きくなってこんな仕事なんて…
無理だ……と思ってしまいました。

それがいけなかったのかと
だいぶ自分を責めました。

先生に、次の検診で母子手帳もらえるわよ!って言われ、赤ちゃんが出来たからには嬉しい気持ちでいっぱいだったから。
母子手帳もらったら西松屋に行こう!ってひそかに楽しみにしていました。

妊娠したら生まれてくるのが当たり前だと思っていたから……

しかし、その検診で聞かされたのは「赤ちゃん育ってないわね」……

あぁ、ダメだったんだ。

帝王切開してるから手術はできないわね。
自然に出てくるのを待ちましょう。

いや、まだつわりもあるし、育ってないなんて嘘なんじゃないかな。
頑張って葉酸飲んだら赤ちゃん育ってました!なんてことにならないかな……とわずかな希望をもちながら過ごしていました。

しかし、仕事は激務、夫は自分のせいでごめん、と責めていましたが、ずっとイライラしていて私がつわりでしんどくて寝ていても夫のイライラが伝わってつらかったです。
何度「誰のせいでこんなことに…」と思ったことか。
本当にこの人とは無理だな、とも思ったけど、3人の子供をは1人で育てるには覚悟がなかった。
夫はお金だと割り切って付き合っていこうと心に決めました。

仕事でも、赤ちゃんが育ってないとわかった瞬間「じゃあ、夜勤できるわね」と急に重い仕事ばかりつけられはじめ…
いや、いつ出血するかわかんないし、まだつわりもあってしんどいんですけどーーーー!!

悲しいかな、それは、通じませんでした。

それくらい職場はコロナの影響で逼迫していたのです。

そして、12週…4ヶ月に入ってすぐでした。
夜勤の翌日、高校生の長女が遠征試合からちょうど帰ってくるところで、電車がなくなったから迎えにきてほしいと言われ23時に迎えに行きました。
その頃は腰のあたりがしくしくするなぁーといった感じ。
夜勤のあとやし、腰が痛くなったのかと思ってました。

夜中0時に腰の痛みは、流産の前兆だったんだと確信にかわりました。

主治医からは生理痛の2倍くらいだと聞いていましたが……
この痛みは……陣痛やないか!
生理痛の2倍やなくて陣痛やと言ってくれ!!と思いましたね!

痛みの間隔が5分から1分おきになり。
(まさに陣痛ーーー!!)

出血はとまらず、どうあがいても苦しくて痛い。 
しかも、こんなに出血するの?ってびっくり!

もう少ししたら楽になるんじゃないかって、耐えていたらいつの間にか3時間経過。
…もう無理、限界だ、病院に電話しよう!と痛みと貧血で震える手で電話をかけた。

夫がいるなら救急車ではなく自家用車で来てくださいと言われた。
いや、夫は寝ていて早出出勤なので…

と言っていたら私の悶え苦しむ声できてくれました。

夫は「俺が悪かった……」と言って病院まで付き添ってくれました。
そう思うなら謝るんじゃなくてもっと優しくしてほしかった。
「つらいよな」って共感してくれるだけでもよかったのに。
私の心はもう歪んでいました。
夫への感謝の気持ちより仕事のストレスや色んなストレスで大切な事を見失っていました。

子供たちには、安定期になったら言おうと思っていたので、知らせてはいませんでした。
なので、子供たちを残したまま病院に連れていってもらい夫にはすぐに帰ってもらいました。

深夜3時とか4時だったのがよかったです。
これが白昼だったなら、道で悶え苦しむ姿をご近所さんに見られ大変なことだったでしょう…。
それに、こんな姿を子供たちが見たらトラウマになっていたでしょう。

がしかし…病院についた途端、痛みが徐々に遠のいていきました。

なんだ……4時間がんばればおさまってたのか。
でも、もうフラフラだ。

とりあえず、止血剤の点滴をして1泊入院することに。

夜勤明けの休みだったけど、家に残してきた子供たちのことを考えると一睡も出来なかった。
朝、起きたら末っ子がショートメッセージで「ママ、どこいったの?」って。

つわりでつらかったとき、自分も歩けなくてつらいはずなのに一番に私を気づかってくれていた末っ子。

「ママ、なんかあったら電話するんやで!」
「仕事、むりしたらあかんで!」
って、学校へ行く前に必ず私に言っていたっけ(笑)

赤ちゃんのことは黙っておこうと思っていたけれど、めちゃくちゃ悩んだ結果、命の大切さを感じてもらおうと、子供たちには正直に話しました。

お腹に赤ちゃんが来てくれたんだけど、残念ながらお空に帰っていっちゃったよって。

末っ子はお姉ちゃんになれると思ってたのに、と残念がっていました。

次女と長女はどう感じたのかわかりませんが、長女は少し気を使うようになってしまいました。
そして、ますます看護師にはなりたくないと思っていることでしょう……。

それから、何事もなかったかのように仕事に追われる日々……。

お空に帰った子は知っていたんでしょうね。
今、お腹が大きくなって産まれてきたらきっとママがダメになる……。

私がこのとき、仕事を辞めていたらこんな事にはならなかったのだろうか。

でも、妊娠がわかったときはびっくりしたものの、とっても嬉しかったし、この年齢でも大丈夫なんだと希望がもてました。

妊娠9週目。母子手帳をもらうその日にまさかの流産を知らされるなんて……
でも、最後までつわりもちゃんとあったし、本当に育ってないのが信じられないくらいで…。

つい、嬉しくて「明日、検診なんだよー」って喋ってしまった妊婦仲間には楽しみだねーって言われていたのですが…

なんだか、申し訳なくなってしまい、やっぱり母子手帳もらってから話すんだったなーって思っちゃいましたね。

でも、母子手帳もらえるまでがつらいんだよねー。

生理が遅れてるなーってなってから赤ちゃんの心拍が確認されるまでが……

でも、このことがあってから、本当に妊娠も出産も奇跡なんだなぁーとつくづく思いました。

命を大切にしよう。
お空に帰っていった子のぶんも。

あれから、末っ子の歩けなくなった病気は大きな病院までいってMRIも撮ったり色んな検査もしましたが結局原因不明で…
ママが退院してしばらくしたらいつの間にか治っていました。

お空の赤ちゃんが身代わりになってくれたのかな。
ママは、忙しさで幸せを感じることを忘れていたから、それを気づかせてくれたんだね。

これからは小さな幸せを感じる度に思い出すようにしよう。
お空に帰ったあの子が感じさせてくれてるんだって。

いま、ここに私たちが生きてることに感謝です。

どんな状態でもいい。
苦しいとき、つらい時は必ず幸せがやってくる。
そのための試練なんだって、気づかせてもらいました。

生きていれば辛いことも悲しいこともあるけれど、それがあってこその幸せは何倍にも幸せに感じられるものです。

ママのお腹に来てくれて本当にありがとう!
ママは、それだけで幸せだったよ!

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