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「理想」と「現実」の分析

はじめに

 理想と現実という言葉は、様々な場面で微妙な差異を持って使われる。そのため、本来の理想・現実という単語の意味とは違った使われ方をすることも少なくない。そういった認識しづらい微妙な差異が物事に対する誤ったラベリングや議論内容の誤ったフレーミングに繋がっていると考える。例えば、「理想的」と言っても、前提条件を無視した仮定を設定するという意味での理想もあれば、前提条件の中での最適解という意味での理想もある。こういった認識を曖昧にしていれば、コミュニケーションを取る主体間での認識のズレが発生する。特に、現実から理想に向かう、という全ての行動に共通する原則について認識がズレてしまうことは、決定的な問題がある。私たちは何かをする際、どういった形であれ、何かしらの理想を持ち、現実から行動を始める。それは個々人の趣味であっても、政府の政策においても同じである。そのため、理想と現実という概念を深く理解することは、的確に行動をするための重要な枠組みを獲得することにつながる。この文章では、定義やそれに関わる内容だけでなく、現実から理想に向けた計画作成の方法について、基本的な指針を示す。

1.「理想」と「現実」の定義

 最初に概念的な整理を行うことでより有用な定義を正確に紹介したい。その整理を行うことがこの章も目的である。

①両者の大枠の定義<図1>

  • 理想

    • 未来に存在する無数の可能性(将来)の中で、その主体が最も良いと判断するもの。現実からの制約は常に受けるものの、非常に多様である。個人のレベルにおいてはただ一つに決まりうるが、複数人の場合、理想同士の対立が見られる。

  • 現実

    • 現在の資源とそれに対する認識を表す。認識は過去の(歴史的な)出来事に強い影響を受ける。資源と認識は現在において変更は不可能である。なお、現在から未来にかけて確実に残る過去からの影響も現実に含まれるが、この点において理想と現実の境界は曖昧なものとなる。

    • 資源

      • 資源とは、木材や化石燃料などの天然資源のみを指すのではなく、将来を形作るうえで、用いることのできる物事の全てを指す。そのため、個人の知識・能力や人間関係、法的権利、経済力、政治的影響力なども含まれる。誰がどういった資源を持っているか、どのように分配されているか、ということも重要な要素である。

    • 認識

      • 資源状態をどのように認識しているか、を指す。また、その認識は変化に対するモチベーションを形成する。認識は、その認識が支配的な社会の構成員からすれば、物理法則などと同じように自然で当たり前なことのように理解されるものである。しかし、認識も時代を通じ、徐々に変化していく。

<図1>


②現実と理想、論理と感情の二項対立について<図2>
 人間の思考を論理と感情の二つに分割した場合、その人間の現実と理想はともに、論理と感情の両方を用いて導かれる。しかし、現実は論理的に理解されたうえで感情的な理解がされるのに対し、理想は感情をもとに形作られ、論理によって具体化・調整されるという順序の相違がある。現実において論理的理解がされる部分を「資源」、感情的理解がされる部分を「認識」と区別する。なお、現実から理想への道筋となる計画は、論理のみによって理解される。

  • 現実=(論理による理解→感情による理解)

  • 理想=(感情による形成→論理による具体化・調整)

※論理の段階において、感情を論理的に理解しようとする試みは非常に大きな意味を持つものであり、論理の段階では、感情を無視するということではない。例えば、世論を調査統計によって汲み取ること、自分の感情と向き合いつつ、人生計画をすることなどは、論理的に感情を捉えることである。

<図2>


③構想主体の違いによる理想の性質の変化<図3>
 理想とは、それを構想する主体によって、性質が変化するものである。①で示しているように、理想とは個人が構想する際には「現実と理想」という単純な二項対立で考察できるものであるが、複数人による構想になることで「現実と理想」だけでなく、それぞれの「理想と理想」という対立も発生する。しかし、それ以外の性質の変化も見られる。
 理想は、それを作成する主体が個人、目的を持たない集団であるコミュニティ、目的を持った集団であるチームごとで、その理想の所在も変化する。個人とは一人の人間のことであり、この場合は理想作成の際に当人以外の意図は介入しないものとする。コミュニティとは、共有する資源(コモン)や感情的なつながりを持つ複数人のまとまりを指す。チームとは、何かしらの共有目的を持ち行動する複数人のまとまりを指す。コミュニティとチームの違いは、目的の有無である。
 それぞれの主体による理想の所在の違いとは、以下のようなものである。

  • 個人・・・その個人の内部と外部の両方に存在しうる。

  • コミュニティ・・・そのコミュニティの内部にのみ存在する。

  • チーム・・・そのチームの外部にのみ存在する。

ここで、「理想が内部に存在する」とは、その理想を構想する主体の感情的な充足や資源・認識の状況が理想の指標となることである。「理想が外部に存在する」とは、その理想を構想する主体以外の人間の感情的な充足や資源・認識の状況が理想の指標となることである。多くの場合、それは数値によって評価可能な形で現れる。この性質変化に従えば、チームが持つような「外部に存在する理想」は「目的」と同義であると理解される。

<図3>


2. 理想の分類法

 理想という言葉を聞くと、それぞれが様々な将来を思考するが、そういったものを一定の指標で表せるものを提示する。その指標とそれらの関係性について説明することで、今後、議論をするための技術を身に着けることがこの章も目的である。<図4>

<図4>

  • 作成主体

    • 「誰がその理想を作成しているのか」という指標である。最もミクロな作成主体は個人であり、最もマクロな作成主体は地球人である。作成主体が誰か、ということが定まらないことも考えられる。例えば、議会や生徒会など、母体の形式的代表という立場が理想を作成する場合である。実際にその代表とされる一部の個人が母体を代表しているのか、ということは母体の理解や意見内容によって変わるものである。

  • 対象

    • 「誰についての理想か」という指標である。最もミクロな対象は個人であり、最もマクロな対象は地球人(地球全体の社会)である。作成主体と対象が異なるという場合は頻繁に起こる。親が子の将来を考える場合、企業の上役が企業全体の方針を決定する場合、議員が国家の方針を決定する場合などである。

  • 利害関係の共有度

    • 変化とは、究極的には資源分配の変化である。つまり、得する者と損する者、そしてその損得の程度の変化である。理想も作成主体が考える、対象にとって最も良い変化という意味である。よって、その理想によって損を受ける個人が確実に存在する。その損得が不当なものであれば、利害関係の共有度が低い。それに対し、その理想が多くの視点を反映し、対象の多くに共通する利益をもたらすものであれば、利害関係の共有度が高いと言える。利害関係の共有度が高ければ、実現可能性も高まる。

  • 実現可能性

    • 実現可能性は、将来について予測しきれない様々な事象がある中で、その不確実性の大きさを示す。分かりやすい指標ではあるが、ここで注意が必要な点は、実現可能性の高さは達成期間が提示されることによって明確に判断できるものだということである。例えば、国土交通省が交通事故による死亡者数をゼロにすると宣言したとして、その実現可能性はどう判断されるだろうか。この宣言に、10年以内と達成期間を示せば、それは実現不可能である、現実からかけ離れている、という判断ができる。しかし、100年以内と達成期間を示せば、実現可能性は大きく上がるだろう。逆に、達成期間が示されていない限り、実現可能性を判断することは難しくなる。

  • 達成期間

    • 「いつまでにその理想を達成するのか」という指標である。現実からの道すじを計画する際に、重要な指標となる。また、実現可能性を判断する際の最も重要な指標である。最も、明言されておらずとも、その議題となっている問題の緊急性や対象の持続性を鑑みれば、達成期間はある程度推定されうるものである。

  • 内容の確定度

    • 具体と抽象で分けられる。具体的であればあるほど、他の指標の判断が容易になる。


3. 関連する言葉との比較

 この章では、2.の分類法に照らし合わせ、俗に似たような意味で使われている言葉を定義する。2.での分類をさらに正確に理解し、日常に落とし込んで考えることを目的とする。

  • 空想・夢想・妄想

    • 現実を考慮せずに「どうあってほしいか」という視点のみで想像されるもの。理想を作成するための手段としては有用であるが、理想とは、現実に制約されるか否かという点において区別される。

  • 完璧

    • 理想は、現実からの制約と「どうあってほしいか」という感性に基づいて形作られるものである。それに対し、完璧は現実からの制約を受けないので、空想などと似た概念である。しかし、完璧はその中で絶対的な頂点が存在するという前提を持っているからこそ成り立つ概念であって、個人間での感性の対立を想定していない。

    • 理想と大きな違いはないが、作成主体が個人であり、実現可能性が低いものを指す場合が多い。

  • 希望

    • 現実に対して強く否定的な感情を抱いている際に想像される理想。または、その理想の実現可能性。

  • 憧れ

    • 理想を作成するためのモデルとなる存在に対して抱く感情。

  • ビジョン

    • 理想と同じ。


4.「理想」と「現実」の使われ方

 ここまで「理想」と「現実」についての概念上の整理を行ってきた。現在、俗に使われている「理想」と「現実」という言葉とは多少の違いがあるが、その違いについて解説することによって、ここまでの整理を実用するための助けとすることがこの章の目的である。言葉の認識については、著者の経験的な理解のみによって書かれているため、異議を持つことがあるかもしれないが、その場合は自身の理解と引き付けて考えてみてほしい。

①理想的な
 「理想的な〜」という表現には、「資源・認識という変更不可能なものがもし変更可能だったら、」という思考実験の結果が続く。そのため、論理的な思考が求められる議論の場において、「理想的な〜」の後に続く思考実験的な内容は将来の可能性を探るうえで有用なものであろう。しかし、抽象的な表現に留まることで、議論を不用意に攪乱してしまうことがある。結果として、理想という単語に対するネガティブなイメージ付けに繋がっているのではないか。
 では、「理想的な〜」という表現を代替するにはどういった表現が考えられるだろうか。1.① での整理を踏まえると、「〇〇(資源・認識)が△△だとしたら、」という表現が良いだろう。現実を変更する思考実験であることを明示しつつ、△△の部分で具体的な変更内容を示すことで、議論を攪乱することなく、思考実験によって、将来の可能性を議論することができる。また、必要ないのであれば、こういった発言を控えることも一つの手段である。
 蛇足ではあるが、「理想的な〜」という表現の由来は自然科学から来ていると考えられる。自然科学では実験や理論の条件設定において、「理想的な」平面や道具を想定する。この場合、物理学において摩擦やそれによる熱の発生等が起こらないという条件付けがされる。また、数学の確率問題において、箱の中のボールや列に並ぶ人の特殊性は無視し、全く同じボールや人であると想定することもある。このように、資源・認識を都合よく変更するというアイデアは自然科学からの要請によって生まれたと考えてよいだろう。広辞苑では、理想は「物や心の最も十全で最高の形態。ふつう現実的具体的なものの対極ないし究極として,知性ないし感情の最高の形態とされる。実現可能な相対的な理想と,到達不可能な絶対的な理想(神・永遠・最高善など)とに区別でき,後者は超越的・規制的なものであり真の理想といえる。」と定義されている。「到達不可能な絶対的な理想」が上記の自然科学的な理想を指す。それに対し、理想は基本的に「実現可能な相対的な理想」として理解されるべきであり、そのうえで議論を展開することで、より的確な計画作成等を行うことができる。

②現実的な
 「現実的な〜」という表現は、「現実論で言えば〜」と同義であるので、③で説明するものとする。

③理想論・現実論
 理想論と現実論という単語において意味されることは、「現実」と「理想」がそれぞれ意味する内容とはいささか異なっている。
 「理想論で言えば〜」という表現には、「実現可能性が低い理想は〜」という意味がある。広辞苑で理想論を引くと、「理想に進みすぎ、現実からかけ離れていて実現できそうにない論。」と出てくる。これはおおむね正確な表現ではないかと考える。それに対し、デジタル大辞泉では、理想論は「現実の状況は考えに入れず、理想だけをいう意見や主張。」と出てくる。俗的には、この意味で用いられている。しかし、この定義には誤りがある。もし本当に現実の状況を考えに入れていないのであれば、物理法則を無視した超能力や魔法で全てを解決すると言い出すだろう。しかし、理想論とはそういった意味を持たない。人間が何かを考える際、少なくとも無意識に現実をある程度考慮して判断を下している。よって、私たちの判断は、現実のどの側面を重視しているのか、どれだけ正確か、などの違いがあるだけであると言える。そのため、その現実の資源・認識を踏まえたうえでの実現可能性という程度問題で考えるべきであって、完全に断絶された現実論と理想論というフレーミングは明らかに間違っている。
 「現実論で言えば〜」という表現には、「実現可能性が高い理想は〜」という意味がある。議論において、誰かが「現実論で言えば〜」と言った場合、そのあとに続く内容が優先される。この表現には、もう一方の理想論は不可能もしくは非常に面倒なので切り捨てるべきだ、という言外の意味が込められているからだ。そもそも、「理想と現実」という二項対立が議論のフレームに用いられるほとんどの場合、現実の側に置かれる意見を通したいという意図が存在する。理想とはそれぞれに無数に存在するものであり、その理想をすり合わせ実現するために議論をし、現代社会が築かれたのだから、理想に対するネガティブイメージをそのままに「現実と理想」の二項対立を用いることは拙速であろう。

④理想主義・現実主義
 理想主義と現実主義は俗には、現実を理解しようとしているかどうか、という点で区別されている。理想主義は「現実を理解せず、望みだけを述べること」、現実主義は「現実を理解し、目の前の問題に対処すること」というような区別である。しかし、これは理想主義が完全にネガティブな意味合いで用いられている。それによって、理想を提示すること自体に対するネガティブな印象に繋がっており、正しい議論展開を阻害しているのではないか。
 理想主義と現実主義は、将来への向き合い方に関する思考として理解するべきではないだろうか。理想主義は、長期的に自らがどうあるべきか、という視点から将来を捉える思考である。課題の根本が、現状の社会構造によって支えられている場合、理想主義的なアプローチが必要となる。そのため、変化を追求する姿勢が強く、政治的な急進派と関連が強くなる。なお、政策作成の際に、バックキャスティングを用いることとなる。それに対し、現実主義は目の前に状況がどうあるかに着目し、短期的な対処を試みる。即効性が必要な課題に対して効果的だと言える。また、どうあるか、という自然科学的な問いを基に社会を捉えるため、観察者のような視点に立つ傾向がある。なお、現在の状況に着目するため、未来に向けた大きな変化には興味を示さない政治的な保守の傾向がある。


5. むすび

 現代社会では、国際政治や経済において、現実主義とのせめぎ合いが行われている。現実がどれだけ悲惨で、道義的非難を免れない状況であったとしても、それが物理法則と同様に変えようのないものであると認識されることがある。そういった思考は、言い換えれば現状への諦めであり、改善の放棄である。私たちは、個々人が幸福追求を行うために社会秩序を作り出してきたのであるから、この社会は個々人のためにあるのだ。その事実を軽んじ、個々人の苦痛を当たり前のこととして許容すれば、それは社会の持続だけを目的とした全体主義や個人の効用のために他者を犠牲とする搾取主義を許容する考え方へ繋がるであろう。私たちは、理想主義の精神を保ち、新たな社会を想像し実行に移すことで、この社会をより良い場所へと改善していく決心をしなければならない。また、そうすることでしか、私たちは幸福追求のための活路を創造することはできないのだ。



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