ちゃん

頑張って。

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最近の記事

欲望の社会学

このnoteでは、欲望という切り口から人間のあらゆる行為を観察・分析することで、人間の行為の集合である社会についてより深く理解することを目指す。また、社会全体のあらゆる現象について、欲望という観点からの考察が不可欠であることを示したい。 行為の内面的価値の存在人間が何かしらの行為をする際、そこには合理的な目的以外に、その行為をする本人が想定している価値がある。 そして、その価値とは、外部からの観察によって容易に理解できるものもある一方、非常に理解しづらいものも存在する。

    • 死か、苦しみか。

      世の中に関心がある。社会問題に取り組みたい。世界を今より良い場所にするために、世の中の仕組みをもっと知りたい。 自分がこのように思うのは自分のためだ。 こう言うと理解されないことが多い。表現の齟齬だと思われることさえある。もちろん、人が何かをするのに明確なモチベーションがあることなんてほとんどない。目的なんて場当たり的だし、日によって、同じ質問への回答は全く変わる。人間はそんなものだと思し、それでいいと思う。近代合理主義なんて夢のまた夢だ。 戦争や貧困、自然災害、事件事

      • テレビCMは不確実(多分)

        テレビを見ていて、競合企業同士のCMがやたらと似ていると感じたことはないだろうか? 例えば、携帯通信会社のCMは、大体コメディーっぽいシリーズものだし、ビールのCMは、草原や謎の白い空間でタレントがごくごくビールを飲むか、夕暮れに女優がビールを持ってるかの二択である。 なぜこんな風に一見差別化しそうな競合企業のCMであっても、似た内容になるのだろう?その答えを、社会学の「同型化」という概念から探ってみたい。「同型化」とは、複数の組織が行動するなかで、何かしらの理由によって

        • 差別は分断を生む

           自民党所属の参議院議員であり、政調会長代理である西田昌司氏は、LGBT理解増進法に対して「差別の禁止や法的な措置を強化すると、一見よさそうに見えても人権侵害など逆の問題が出てくる。社会が分断されないような形で党内議論をしていきたい」と発言した(1)。この発言は、LGBTについて「見るのも嫌だ。隣に住んでいたら嫌だ」などと総理大臣秘書官が発言した件により、与党である自民党内でLGBTに関する法案議論が再度始まったことに対する反応である(2)。LGBT理解増進法は、超党派の議員

          強兵の戦いの果てに

          ワールドカップが終わった。アルゼンチンが優勝し、メッシが待望のワールドカップを手に入れた。日本時間24時から始まったアルゼンチンvsフランスの決勝を、私はテレビの前で見ていた。 試合は、見たことがないほどの打ち合いだった。4年前のロシアワールドカップでのアルゼンチンvsフランスの衝撃的な試合を上回るセンセーションが詰まった試合だ。 2-0で前半を折り返したアルゼンチンのサポーターは、この時点でアルゼンチンの優勝をほぼ確信していただろう。しかし、フランス代表はこれでは終われ

          強兵の戦いの果てに

          無意識民主主義について

          最近、ネット有名人として有名になっている成田悠輔氏であるが、データアルゴリズムやそれによる政策分析を専門とされている方である。そんな成田氏の専門分野外である民主主義という大きなテーマを扱った「22世紀の民主主義」は、無意識民主主義という奇抜な提案をしている。その内容からは、現在の停滞した民主主義を払拭するため、民主主義に関する様々な選択肢を俎上に載せようとする意志を感じた。自分としても、現実の流れに身を任せるのではなく、積極的に将来を構想し、理想に向けた選択をすべきだと考える

          無意識民主主義について

          Fuck all those perfect people

          人それぞれ、能力値は違う。 人それぞれ、自分にしかない能力値を持っている。 僕には、僕しか持っていないであろう感性がある。感性は尽きることがない。常に、外部からの刺激へのシグナルを溢れさせている。主人がそれに疲れているとも知らずに。 その主人は、シグナルへ答えたい。自分にしか無い感性を、発信しないともったいない。ばあああああああああ。内側にあるシグナルを、さらに外側へ、シグナルとして発信したい。 それでも、全てを発信できるわけではない。自分のありたい姿と、能力値との差を

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          「ポストコロニアリズム」と日本

          ポストコロニアリズムとは、西洋的な思想を相対化しようとする志向である。西洋的な思想は、自由主義を根本に持つ立憲主義や権利義務等の思考枠組みを指す。こういった概念は、民主主義や資本主義の最も初歩的な概念であり、今日の社会で支配的な思想であると言える。 西洋諸国は、大航海時代に、自国の技術的・武力的優位を用いて世界各地を植民地化した。植民地では、先住民を奴隷とし、天然資源を奪い取った。これらが西洋諸国で確立されつつあった資本主義を強化し、西洋諸国のさらなる発展に使われたのであっ

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          利他的感情の充足という利己主義

          社会課題に解決に向け、積極的に活動する個人に対し、以下のような投げかけが向けられることがある。 「それは結局のところ、自己満足なのではないか?」 「行動する自分への自己陶酔ではないのか?」 こういった投げかけは、多くの場合、適当な言いがかりであると考えるが、こういった投げかけも真摯に受け止めてみれば、意外にも重要な問題提起であることがある。 これは、社会的な個人の動機に関する問題であるが、そういった個人の動機を単純に羅列するならは、どういったものがあるのだろうか。

          利他的感情の充足という利己主義

          二項対立から「二項対立の破壊」へ

          今まで自分は、自分の成長を、「普通であること」と「ユニークであること」の両方への欲望という矛盾の克服から説明しようとしていた。 普通のファッションで、普通の人間関係を持ち、テストで普通の点数を取る自分を求めていた。 しかし、それと同時に、一目で自分と分かるような外見をし、すごい友達を持ち、テストで目立つ点数を取りたいと思っていた。 抽象的で、どうやっても達成し得ない欲望を持っていたのだ。 しかし、いつの間にか自分の思いは、普通と特殊の二項対立を破壊することに向いていた

          二項対立から「二項対立の破壊」へ

          黄昏と諦め

          この二つの単語は、韻を踏んでいるから並べたのではない。 深く、根強く、どうしようもないつながりを持っているから、ここに意味ありげに並べたのだ。少なくとも、私にとってはこれ以上ないほどに重要な並びである。 黄昏とは、「誰そ彼」という古語として説明されることがあり、それはそれで味わい深いものだ。しかし、今は由来ではなく、黄昏という行為が持つ機能を支える思想を見つめたい。 社会をより良い形に変えていくとき、私たちには途方もない情熱と思考が求められる。そこにまだ存在しない社会の

          黄昏と諦め

          「理想」と「現実」の分析

          はじめに 理想と現実という言葉は、様々な場面で微妙な差異を持って使われる。そのため、本来の理想・現実という単語の意味とは違った使われ方をすることも少なくない。そういった認識しづらい微妙な差異が物事に対する誤ったラベリングや議論内容の誤ったフレーミングに繋がっていると考える。例えば、「理想的」と言っても、前提条件を無視した仮定を設定するという意味での理想もあれば、前提条件の中での最適解という意味での理想もある。こういった認識を曖昧にしていれば、コミュニケーションを取る主体間での

          「理想」と「現実」の分析

          夢のメモ②

          留学をしたので、長い間高校を休んでいた。 私の住む街は地方の中の地方といったところであまり留学をする人がいないため、留学すると言うとちやほやされた。そのため、飛行機を降りて日本に着いてからは、帰った時にもみんな、よろしく出迎えてくれるだろう。 そんなことを思いながら久しぶりの日本の空気を感じ、ジャケットのチャックを上げた。学校の階段を上がっていると踊り場の水道で足が止まる。気付かぬ間にノスタルジアが僕の肩に手を置いていた。段々とその手に力を込めて僕の肩には力が入らなくなっ

          夢のメモ②

          政治思想の分類法

          政治について話すとき、右と左という区別に頻繁に出くわす。 別の言い方をすれば、右翼と左翼だ。どちらもいい響きではなく、多くの人が両方の言葉に対してなんとなく悪いイメージを持っている気がする。 どちらも完全に区別できるものではなく、政治思想のグラデーションでしかないので、そんな簡単に分けられるものではないことには注意が必要だ。 右翼とは右翼は保守という言い方もされる。右翼は、現状肯定をする傾向にある人を指す。また、国家という概念を重視し、そのもっとも極端な思想はナショナリ

          政治思想の分類法

          時間が過ぎていく

          自分の素足を見ると、自分のものには見えない。こんなにしわしわだったかと思う。 左足の親指の爪には、自分の足には小さいシューズでフットサルをしてできた血だまりがあった。赤黒く、どこまでも深く血がたまっているようだった。 その血だまりも、爪が伸びるごとに外に押し出されていく。 最初は爪の付け根にあったのに、もう半分はなくなった。赤い爪垢が取れる。そう思って、足をくねくねといじっている指の爪も大分伸びた。指の爪が長いとなんだか不快だから、すぐに切ってしまう。 空はオレンジ色

          時間が過ぎていく

          メタ的であることの安心感

          メタ的とは、自分が置かれている状況を第三者的な視点でとらえることだ。 私たちは、メタ的であることによって無意識的に安心感を感じることがあるように思う。 強い雨の夜に自分の部屋から窓の外を眺めていると、なぜか大きな安堵を感じる。夜に、雨という空から水が降ってくる謎な現象が起こると、私は町に怪物や獣がうごめいているような雰囲気を感じる。それらから家が守ってくれているように感じるからではないかと、私は考えている。 すぐ隣に危機的な状況があると、私たちは逆に安心することがある。

          メタ的であることの安心感