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【30歳女の備忘録】30の壁という、30過ぎれば苦しみはなくなると聞いていた話を、信じて待ってみた結果

昨年2024年の12月に、30歳を迎えた。
実は、ここ2年くらい、自分がおかしい。
毎日、1日の中の毎秒と言っても過言ではなく、つまり365日24時間、寝ている間以外ずっと「緊張」している。
元々、オンオフの切り返しが苦手なのは認識していたが、それにしてもずっっっと緊張していて、そして、いつも心ここに在らずな状態だった。
仕事のみならず、友達と遊んだり、好きな飲みの場でさえも、心がここになくて、心から笑えず、ここにいちゃいけないという謎の焦りがあった。
この数年間、気が休まることがなく、たくさん動いてたくさん悩んだ。
悩むのは得意技なのだが、それにしても今回はいつもと訳が違う。終わりが見えない。
いつもだったら、美味しいものを食べたり、歌ったり、散歩して、一晩寝ちゃえばリセットされてた。
あれ、これもしかして噂に聞く「30の壁」じゃない、、、?と、ある時から気づき始めた。
あの、30超えるまでしんどいけど、実際超えたら大したことなかったと気づき無双するやつ?
自分の病名がわかったことに対する安堵が欲しいたまり、それのせいで苦しんでいるにちがいないと、そんな期待を寄せながら30を迎えるまで何とか耐えた。
そして、実際に30歳のラインを超えてみて分かったことがある。まだ感覚が新しいうちに、過去を美化したり卑下したりと歪める前に、忘れないように記しておきたい。

「30の壁」というものをご存知だろうか。
30という節目の年にどんな状態でいるのだろうと想像したときに、自分には満足できるほどの収入、良好な人間関係、自信、実績、スキル、というものが、想定以上にないことに焦り、「何者かにならねば」「一旗上げなければ」などと自分で自分にプレッシャーをかけている状態。
または、周りが同棲・結婚・育児・転職・昇進など、人生のライフステージを「年相応」に進めている中自分は全然進んでおらず取り残されていることに気づき、周りと同じように進まねば「訳ありな可哀想な人」だと思われると、他人からのプレッシャーに押しつぶされてるように見せかけて、自分自身ですごいプレッシャーをかけている状態。
おそらく、どちらもある。
まして、私は女性で、女性は年齢が若い方がモテる(売れる)という統計データに基づいた一般論があったり、「仕事」と「家庭」の両立は難しくどちらに重点を置くのか決めた方が現代でさえも良さそうでならないこの日本社会のことを考えると、特に男性とは異なる時間軸で、何かしらを捨てて選ぶ決断をしないといけないという考えがずっと頭にあった。

ちょっとお前誰やねん、何してる人やねん、という前提情報があった方が状況が想像しやすいと思うので、自分について少し書いてみる。
女(30)、普通の私立4年生大学を卒業し、転職エージェントに入社して4年間働いた。仕事だけではなく人生全体に対する違和感が爆発し、次のことを決めずに退職。数ヶ月失業手当をもらってニートをしつつ、いつかは自分で何かやりたいと漠然と思っていたから「え、一旦個人事業主なってみる?」
という感じでフリーランスとして仕事できるかチャレンジしてみたところ、色々ご縁あって知り合い伝いで仕事をもらえ3年ほど生き延びれている。
学生時代はずっとスポーツやっていて、人と話すことも、チームプレイも好きで得意。ただ、小さい頃絵や漫画が描くことも好きだったのを思い出しフリーランスになる同時期にイラストを趣味で描き始めてみるといくつか声がかかり、時々イラストの仕事ももらったりする。
文章書くこと、イラスト描くこと、創ること、人間について考え続けること、という超インドアな趣味と、謎の社交性を持ったアウトドアな趣味が混在しているなんとも奇妙な生き物である。
「自由」というものは人それぞれ定義が異なり、自分について、自分にとっての「自由」について、それらの自分なりの定義をもっと鮮明にしたいという思いで、どこかに属して何かに染まっていくことを防ぐべく、なんとかまだフリーランスとしての働き方を細々と続けている。
コンサル、ベンチャーでの事業推進、SNS運用、クリエイティブ、イラスト制作、採用、動画制作、飲み屋で接客、など幅広いことをやってきた結果、器用貧乏でなんとなくできるけど、全てがなんとなく止まりで結局何者なのか謎、みたいな状態になっていると気づいた。
でもやっぱ人生後悔したくないからやりたいことやっておきたいし、ラストワーホリの特権使って海外生活送ってやるぞって決断して、お金貯めるために実家に居座らせてもらって、昨年末から現在に至るまで両親と共同生活⭐️
両親とあとどれくらい一緒にいられるかわからないからこの時間を大事にしよう!という名の言い訳をしつつ、ご飯をいただいたり洗濯してもらったりと脛を齧っている状況。何者かになりたいと願う割に実に不甲斐ない状況を選択する、という意味わからないに意味わからないを重ねてもう完全に収集つかなくなっている状態。
そう言った感じなので、特にこの一年は、自分が信じてきて今まで自分を支えてくれていた信念・責任感・セルフイメージ・自信が、ボロボロと崩れていく感覚があった。
今までの自分の支えが消えて、今までの立ち方以外を知らないから、フラフラ。立つのがやっとでうまく立つことなんかできない、そんなしょぼしょぼと弱い自分になっていくのを見続けた一年だった。
そんなカオスで自信のない状態なのに、容赦なく猛スピードで近づいてくる「30の壁」というやつ。なんなんほんまに。

周囲の人生の先輩方に相談すると、
「その焦り超わかる。30歳を超えるまで何か実績あげなきゃ・自分がなんなのか決めなきゃみたいな焦りあるけど、30歳になったところで何も変わらないことに気づいて、執着していた考え方がなくなって、そっから楽になってのびのびできるようになる」
って、口を揃えてこう言っていた。
そうか、30歳のラインを超えたらこの苦しみから一旦解放されるのか。とあんまり納得していなかったが、縋るようにその考え方を必死に自分に信じ込ませることで自分を保ち日々を生き抜いた。

そしてやっと、昨年2024年12月に30歳の誕生日を迎えた。
心ここに在らずな私は人付き合いがどんどん減っていっていたので、家族以外の人から誕生日の存在にすら気づいてもらえないという孤独で惨めな気持ちに襲われつつ、自分が人との交流を避けているから当たり前かと納得しながら過ごした。
必死にアピールしないと、ここにいると主張しにと、あなたを大事にしていると日々感謝しないと、忘れられる。寂しいけど、そうだよなと現実を受け止めた。これが、無理をしない自分で過ごしてみた時の、生身の状態なんだということだ。少し悲しかったが、それに気づけて良かったと思っている。
私は自分のことばかり気にしすぎて、他人からの見え方ばかり気にしすぎて、頭の中に残るほどの価値を他人に提供してこなかったことが証明された。
自分の今までの人生でやってきたことへの成績表をもらった感覚だ。
でも、自分でもその評価に違和感はなかったから、自然なことだと受け入れた。
今の自分を、主観的にみた自分と、他者の中の自分の位置が、はっきりした感じがして、少し寂しかったけど、はっきりしたからこそ逆に心が軽くなった感覚のほうが大きかった。

「30の壁」というものは、30を迎えるまでは、壁というくらいだからどうにかこうにかして「頑張って乗り越えなければならないもの」だと思っていた。乗り越えなられなかったら、そのままもう道は途絶える、みたいな。そんな感覚になるから、30の「壁」という表現が使われるのだろう。

実際に30を迎えた時、何も越えていないのにそいつは勝手に通り過ぎていった。通り過ぎた位置からそいつを見て分かったのは、2次元的に見たら越えねばならぬ壁だが、立体的にみると薄いハリボテのようなもので、横を素通りできるので越える必要がなかったり、ハリボテの真ん中をくり抜いて突破することもできるなということがわかった。
それくらい、見掛け倒しの薄っぺらい存在で、越えるor越えられないの二元論ではなく横を素通りするなどといった別の選択肢がたくさんあり、選んでいいということだ。

いやでも待って。
めっちゃ大変な巨大な壁を越えるために今まで苦労をしてきたわけで、ずっと緊張感もあったわけで。これらは必要なかったってことですか????
という疑問にぶち当たる。
おいおい、冗談よしてくれ。準備のために抱えてきた重たいこれらが、30の壁を素通りしても消えないって、どういうことだよ!!!!
と、アンジャッシュ児島のツッコミが頭をよぎる。
30歳になってからも、年末年始も、ここ数年付きまとう緊張は離れてくれなくて、気持ちが落ち着かず、変わらる兆しが一向にない。
ここで分かったのは、私の悩みや苦しみというのは、「30歳だから」という区切りかたで左右される世間体やプレッシャーが主の原因ではないということ。
30歳なのに独身、30歳なのに特に実績もない、30歳なのに稼げていない、30歳なのに自分のやりたいことばかり追いかけている、そう言った見られ方をすることへの恐怖心が苦しみの要因であれば、もう30歳になっちゃったーって諦められて、解放されるはず。なのに、相変わらずなご様子。
多分もっと違うところに苦しみの要因があるようだ。
30歳というものでは区切ることができなもの。
ここまでやってまだ断ち切れないものなのであれば、もう一番重いものを自ら捨て去ったほうがいいんだと悟った。
ふらふらの中で見つけて縋った支えも、多分今は違うというサインなのなだろう。
今まで積み上げてきた、経歴とか、肩書とか、役割とか、イメージとか、信じてきた考え方も、一旦無かったことにしよう。一旦無価値にする。
そして、もう一度人生始めるくらいの感覚で、新しく今の自分が本能的にのめり込める方向の選択を取ろう。
そう思うと、少し体が軽くなった。
先輩たちが言ってた軽さってこのことなのかな?
その疑問の答えがはっきりわかることは一生ないだろうけど、この感覚はなんだか悪くない気がしている。

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