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そして私は月になった#想像していなかった未来

普段は書きたいことを小説に書いているが、今回は自伝を書いてみようと思う。


20歳の4月。私は地方公務員になった。採用枠は「保育士」だ。地域の公立保育所で働く。

公務員という安定した職業に就けた上に、小さな頃からの夢だった保育士にもなれて、最高な人生が待っているのだと心を踊らせた。


しかし、私はそこで悪魔に出会ってしまった。


悪魔は、私を毎日嘲笑った。朝早くから夜遅くまでの激務を強いられた。そうせざるを得ない状況にされた。

気を利かせて園庭の草取りをした。手伝ってくれる職員もいた。もちろんお礼を伝えた。しかし悪魔は "時間を使わせてしまったことに謝罪しろ" と言った。私が一人で草取りをするべきだったようだ。

保育園のルールで、解熱後24時間は登園できないというルールがあった。入園したばかりで、保育園のルールをまだ理解できていない家庭があった。解熱後24時間を経過する前に登園しようとしていたため、私は保育園のルールを説明した。その家庭は納得してくれた。しかし悪魔は、謝罪しろと言った。体温調整が難しい子どもだから柔軟な対応を取るべきだったらしい。


こんな日々が3ヶ月続いた。車の中で、毎日ボロボロ泣きながら通勤した。悪魔を見ると動悸がして、保育園の園舎に入ると目眩がした。

同年7月。園長先生に相談した。

私:「こういう事情があります。クラスを替えてください。」

園長:「それはできません。」

私:「どうしてですか?」

園長:「今までの私の経験の中で、年内での先生のクラス替えはしたことがないからです。これが私の方針です。」


言葉が出なかった。園長先生が動いてくれないと、どうにもならない。明日の出勤すらも辛いのに、残りの9ヶ月をこんな状態で過ごせというのだ。考えられない。悪魔に毎日会うくらいなら死んだ方がましだ。色々と考えていたら貧血を起こした。


かかりつけの内科へ行き、貧血の薬をもらった。ついでに仕事の話しもした。お医者さんは私の話しを聞くなり、すぐに診断書を書いてくれた。そして今すぐ仕事を休むよう言われた。


私は1ヶ月休むことにした。休んでいる間も、悪魔のことを思い出すと、頭が痛くなって、目眩がして動悸がした。休み明けのことを考えると不安しかなかった。


同年8月。私は地方公務員を辞めた。

ずっとボーッとしていた。実家のラーメン屋さんを手伝って、もらった小遣いで年金を払って生きられれば十分だと思っていた。家庭菜園をして、家事をして、お家でゆっくり過ごそう。そうして一生を終えよう。そう思っていた。

でも、心配性の母親を少しだけ安心させてあげたかった。3時間だけ募集している保育園のパートがあったから、仕方なく働くことにした。
毎日がゆっくり、平穏に過ぎていくはずだった。


新しい保育園には悪魔はいなかった。けれど、天使もいなかった。まるで軍隊だ。みんな兵隊のように働いていた。

もうダメだと思った。ごめんねお母さん。3時間も働けないや。保育士も、他の仕事も、きっと私にはできないや。何のために生きているのだろう。こんな人生じゃ、何歳で死んでも同じじゃないか。そうまで思うようになっていた。


翌年4月。親友が上京した。

中学からの親友だから、会いに行くことにした。都会は苦手だけど、親友に会えるならと思い、初めて一人で東京へ行った。

芸人さんのライブが東京では劇場で観られるらしいと知り、お笑いの劇場へ行った。初めてテレビやYouTubeの画面越しではなく、本物の芸人さんのライブを観た。面白かったし、感動もして、涙が出た。

ライブ後に、ある芸人さんが「手売りをします!お願いします!」と言って深く頭を下げて告知をしていた。お笑い用語は全く知らなかったけれど、「手売り」の意味はなんとなく理解できた。令和のこの時代に、なんて熱い人なんだろうと思って、また涙を流した。そういえば、ネタ終わりの「どうも、ありがとうございました。」をどのコンビよりも深く頭を下げて言っていたのは、その芸人さんたちだったな。

劇場の出口に行くと、さっきの芸人さんがいた。運の悪いことにその日は声が枯れていて、私は声が全く出ない日で、「面白かった」とか「ありがとう」とか言えたら良かったのに、何も言えなくて。ただ会釈だけして、手売りのチケットを貰った。

後日、その芸人さんのライブを配信で観た。どのネタもとても面白くて最高だった。ネタの中の一つに、保育士へ向けて熱く語るネタがあった。お互いのことを全く知らない相手に、こんなにも熱く語られて、感謝もされたのは生まれて初めてのことだった。涙が止まらなかった。配信だったから、何度もそのネタを観た。

こんなに感謝されたんだ。私も彼らに感謝を返そう。そう思った。彼らの主催のライブがあることを知り、観に行った。直接グッズの販売もある日で、話しができる大チャンスだった。


私:「単独ライブ、観ました。私も保育士なので、とても感動しました。ありがとうございました。」

芸人さん:「ありがとうございます!」


直接、彼らに感謝が伝えられて嬉しかった。もう少しだけ、あと少しだけ保育士を頑張ってみようと思った。

それから私は、3時間勤務から6時間勤務へと、勤務時間を伸ばせるようになった。自分のクラスの可愛い子どもを卒園まで面倒みたいと思った。お笑いも、どんどん好きになって、毎月ライブを観に東京へ行くようになった。彼らがどんな気持ちで漫才やコントをしているのか気になって、今は「THE W」や「M1」に出たいと思っている。休日にネタを一人で書いてニヤニヤしている。昔から、雑学というか知識を得るのが好きだったから、新しい分野の勉強もはじめて検定も受験する。もともと、社会人チームでソフトボールをやっていたが、そちらにも精が出るようになった。地元のマネージャーみたいな役職もしている。


高校生の修学旅行で、沖縄に行った時。ガイドさんかタクシーの運転手さんに「10年後、必ず沖縄に戻ってきます!」と宣言したのを思い出した。そうだった。私は海を眺めるのが好きなんだった。

あ!沖縄に住もう。あの約束を果たそう。沖縄で何をしようかな。あれもしたい、これもしたい。やりたいことが沢山できた。

今、私にはたくさんの夢がある。沖縄に住みたい、M1に出たい、あの子を卒園させたい。。。他にもたくさんの夢がある。夢のために努力もしている。なんて楽しい毎日なんだ。

こんな今の自分を、あの頃の私は想像もしていなかっただろう。こんなにも素晴らしい、想像していなかった未来が待っているなんて。

こんなにも私を変えてくれたのは、他の誰でもない。芸人さんだ。モノクロに見えていた世界に、鮮やかな色を着けてくれた芸人さん。本当にありがとう。感謝してもしきれない。


あなた達は、私を照らす光りだ。太陽だ。あなた達に照らされて、今日も私は輝けている。まるで私は月のようだ。

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