心の著作権

所詮自分が発する言葉は既に誰かが何かしらの形にしている

それは仕方がない

ただ、「誰々みたいだね」という言葉は残酷だ 
私は私である
私の言動に対して、勝手なイメージを押し付けないでくれ
私を無かったことにしないでくれ


時々、本や漫画を受け付けなくなる
せっかく自力でたどり着いた感情が、ドラマチックな架空の人物に上書きされている気分になるから

自分が物語の人物が発したのと同じそれを発してる(笑)と思われるんじゃないか、と考えてしまうのも嫌になる


同じ言葉にたどり着いたとしても、そこに内包されている経験が同じなわけがなかろう

もし言葉が感情や思想を表す著作物であるなら、言葉を発するまでの経緯こそが尊ばれるものではないか?

安易な「誰々のようだね」という言葉は
穏やかな著作権の侵害だなぁと思う