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頑固にわたしでありたい

理解できないものに対して

押し付けられた価値観でしぶしぶ自分を納得させる気にはならない
(社会性を保つための体裁は整えることが前提として。あくまで自分の内面の話)
 
自分が経験した道のりから納得出来る言葉を最初の納得にしておきたい
そのための、言葉が存在しない時間はあって良いと思う

なぜなら自分に初めに定着させた言葉や価値観は一種の刷り込みに相当するから

どうせ考え方は変わる、言葉も変わる
真の納得までの道のりは一生歩いても終わりはないと思う

とはいえ
急に差し込まれた他人のものを刷り込んでは

そこから広がるレールは果たして自分のものと言えるのか

私は脆弱な気持ちの持ち主だから、その問いにイエスと答えられない
他者の言葉があたかも最適解であるように、
言語化を諦めてしまうと思う

せっかく感覚を音で表現できるなら
言葉に落とせるなら
無音に耐えてでも、自身の内側からの言葉を諦めないで探し続けたい

思考や感覚を尤もらしく言葉にしたものと
それらの変化の連続体が多分、私だ

理解できないものについて
たとえ真の納得にたどり着けなくても
自分なりの言葉にする施行を重ねるほど
私の質量はきっと増す

ならば一瞬一瞬で、わたしがいちばん納得する言葉だけで自分を満たせたらと思う

例えその試行が一生身にまとわりつこうとも、
他からの理解が得られずとも、
理解を強いられようとも
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きっと私は死ぬ間際で、私たるものを振り返るのがよほど楽しみなんだろう
頑固な在り方だ、と参ることもある