自分の側面の救出活動

今日のつぶやき。

世の中がアセンションしているのか否かは分からないが、仮に今がそういう方向に向かっていたとして、自分も同じ傾向にあるとしてみよう。

しかし、上昇している途中で、ふとした思いが湧いてくる。

光り輝く世界を目指しているのかもしれないが、自分を全員連れて来ているだろうかと。

かつて、つらい思いをして疲れた自分、怒りや恨みの感情を抱いた自分、ボーっとしていたい自分、自分の受けた状況に納得できていない自分等々。

そして、ネガティブな感情による怒りや恨み、呪いのエネルギー。光のエネルギーと対照的に重いエネルギー。

そうした自分の一部である側面を地上に置いてけぼりにしていないだろうか。

過去のそういった側面を隠して、あるいは抑えたまま、自分はここまで上昇してきてしまったのだろうか。

置きざりにしてしまった自分の側面たちがいるのであれば、救出しなければ。それが自分の側面の救出活動。

個人的な考えでは、アセンションに至るまではこうした事が繰り返されるのだと思う。それは遊園地の観覧車と同じで、観覧車が空に近づいても再び円を描いて地上に戻ってくる。

そこで地上に降りるか、そのまま観覧車に乗ったまま再び上空に上がるかは個人の自由。何か地上でやり残した事があると気づいて、もう一度地上に降りようと思えば降りることが可能だ。

現在の自分の側面だけでなく、ヘミシンクの考えでは過去世の自分の救出活動も行える可能性もある。でも自分は過去世の救出の必要性は感じないから行なわない。現在の自分の側面だけだ。

なんなら、このまま観覧車に戻らずに長い間、地上に居続ける人だっているかもしれない。そのうちに、そもそも観覧車に乗っていても本当に頂点から空に上昇していけるのか?なんて疑問を抱き始めて二度と観覧車には戻らないかもしれない。

これも個人的な考えだが、アセンションはそんなに簡単な事ではない。何度も同じことを繰り返し、正と負、光と闇、軽やかさと重さ、そうした循環を繰り返して自分がいつか納得した段階になって、初めて何かが変わっていくのかもしれない。

ただし、そうは言っても、再び地上に降りても何かが前回と違うと感じるはずだ。一回既に体験している、ポイントを絞ってあの時の自分を再体験しよう、想いを成就させよう、あるいは感情を吐き出そう、納得するまで地上に残り続けよう・・・・。前回の漠然と混沌の中で自分が何をやっているのか分からなくなる感覚とは違い、目的がある。

だから自分の側面の救出活動という表現になる。

宇宙にダークマターという暗黒物質があるように、究極的にはポジティブの対となるネガティブなエネルギーが悪い訳ではないのかもしれない。しかし、多くの人々がそれに悩まされ、避けるように、自分も長い期間そのエネルギーに捕らわれたくない。

しかし、観覧車に乗るために無理矢理そうした自分の側面たちを追いやって、抑え込んでしまったのだとしたら、救出が必要だと感じている。自分の時間軸では観覧車が再び地上に近づいたのだ。

だから、今回は観覧車から降りて少し地上に滞在しようかなぁ。うおおーやっぱり地上は重力がきついぜー。少し嫌な気持ちにもなるが、自分の側面達を置いて行く訳にはいかない。

怒りや迷い、恨みや不信、金や権力の欲望、その他のあらゆる欲望、そういった種類の事柄を持つ自分の側面達を無理に地上に残していないだろうか。そういった側面を発見したら、どうやって接するのだろうか。

おそらく癒しのエネルギーの放射とかは効果が無い気がする。一番良いのは追体験することだろうか。複数回、この循環を繰り返していくと遊び感覚でそれが出来る境地に達するのかもしれない。

今回は遊び感覚まではいかないが、以前とは違った視点で体験できたりするのではないだろうか。一部の側面達の想いを昇華させて観覧車に一緒に連れていく事ができるかもしれない。でも全部の側面は無理だろう。

残りの側面はまた観覧車が一巡して地上に戻ってきた時になるのかな。それはいつになるのか分からない。あと何回観覧車に乗るのかも分からない。このまま地上で行方をくらまそうかな。観覧車のことは忘れて。必要になればまた思い出すだろう。

でも、そういった側面達の事を考えても、あまり実感がわかないなぁ。自ら体験するという重い感覚が以前よりも少ない。まるで夢を見ているような感覚だ。

そんな事を思ってしまった。



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