愛と呼ぶにはおおげさだけど
役に立たないことで、役立てていることもある。スンスン(犬)と暮らしていると、そう思う。
頼りないけど、スンスンがいるだけで、いつもとっても心強い。友だちであり家族であり、ときに恋人のような存在。
おはよう、いってきます、ただいま、おやすみ。スンスンはそのすべてに、“しっぽ”でこたえてくれる。うれしい、かなしい、しょんぼり、びっくり。スンスンの気持ちも、“しっぽ”で受け取る。
時々、その“しっぽ”を羨ましく思う。“しっぽ”はとっても素直だから。寂しいのに強がったり、悲しいのに平気な顔をしたり、うれしいのに遠慮したりすることがないから。
いつだったか「僕には君の“しっぽ”が見えるよ」って、そう言ってくれた人がいて、彼は元気にしているかしら――。
犬は人間に共感する能力を持っている、なんて言われるけれど、どうやらスンスンにその力はないらしい。
あくびをしたときの涙も悲しいときの涙も、スンスンにとっては同じで、どちらの涙もせっせと舐めてくれる。きっとしょっぱくて美味しいんだ。ただそれだけのこと。
スンスンのこういうところが好きだ。そのゲンキンさと無邪気さに、わたしはしばしば敬服する。
スンスンといっしょにいると、今という時間が少しくっきりする。今がいつかとかそんなことはちっともわからないけど、「今ここに、いっしょにいるねぇ」って、ただそう思うのだ。
すっかり夜更かしを通り越してしまった午前4時。まどろむスンスンの隣で雨の音を聞く。愛と呼ぶにはおおげさだけど、それでもやっぱり愛みたいな、そんな犬と暮らす“まあるい”日々。
雨があがったらお散歩行こうね、スンスン。
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