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義母の事 流れに身を任せてみる

後からわかること。。。

義母が、突然、余命宣告されました。

寝たきりになってしまった義母をどうするか…悩んで悩んで、夫や夫の兄弟、息子たち、
話をして行くうちに、自分の選択に後悔しない様に、ずいぶん悩み葛藤し、胸がザワザワする日が続きました。
そうして出した答えは、自分の為の人生を生きていこう。
それでイイんだ!と、思っています!
義母の介護があったから、私は何もできなかった、と義母のせいにしないように。

そう思えたのは、夫が、
教室は今まで通り続けたらイイ。
2人とも今は働いているしリタイアして家にいるわけじゃない。弟夫婦もそうだし、家で看るには、負担がかかり過ぎる。私の仕事を始めて認めてくれた発言だっように思います。

他のSNSでも少しお話をしましたが、
教室もそのまま、通常運転です。
やりたかった事も、遠慮せずやってみようと思います。

🍀レッスンにお越しの皆さま
もし万が一の時は、日程変更など皆さまにお願いすることもあると思います。ご迷惑をおかけすることになりますが、ご了承いただけるとありがたく思います。


本来なら年末のご挨拶が先かと思いますが、
私が向き合ってきたこと、経緯などお話しさせてください。

私にしては、長文になってしまいました。そして、思いつくままに書いていますので、わかりにくいかもしれません🙏
良かったら、お時間ある時に目を通していただけると嬉しく思います。

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私が嫁いできてから、30年。
「ご飯が美味く食べとったら元気な証拠じゃ」
これが健康バロメーターだった義母。
定年退職してから、健康診断など、全く行ってませんでした。
でも、それはそれで義母は幸せだったのかなと思ったりします。

今までに片手の数もあっただろうか・・・

「病院へ行く?」
「行かん」

この繰り返しだった病院嫌いの義母が

11月14日夜中に

「明日、病院行く?点滴でも打ってもらおうや」
「行く」

って素直に言ったんです。
トイレに連れて行った時、気分が悪くなり嘔吐。食べていないから胃液だったのでしょう。
そして、やはり自分でもどうしようもなくしんどくなっていたのかと思います。

翌日、かかりつけの病院で診てもらうと
「次は、○○番に行ってください」

何度も言われ、正直なところ、

「ん?そこまでする必要がある?」
と思っていたのですが

病院嫌いな義母

ごはんもほとんど食べなくなって
何を食べさせていいのやらわからないし
食べないからやせ細っていく

この際しっかりと診ていただきたい。
そんな気持ちもあったので、
その時の先生に
「私は入院してしっかりと診ていただきたい」
と言い、血液検査も嫌がる義母に強い口調で
「調子が悪いんだから、血液検査もしっかりしないと、悪いところがわかりません」
と言われ、有無を言わせない感じで採血へ。
返ってそれが良かったんです。

結果、そのまま入院。

夕方、着替えや必要なものを持って行ったときに
「待っていたんです。先生からお話があります」
検査結果でしたが、そこで衝撃的な言葉が飛び込んできました。

「‥‥末期の大腸癌‥‥
肝臓にも転移していて、おそらく今の状態では…」

色々説明をしてくださっていましたが
急な癌告知に余命宣告。
「なんで?」
と疑問ばかりがぐるぐる頭をよぎります。
義母の病院へ行く目的は、
当初、糖尿病の薬を処方していただくこと
落ち着いてきたから、血圧・消化剤・便秘薬
と変わっていただけなのに。
私には重すぎる告知でした。

高齢ということもあり
延命の治療は行えないことから
・食事をストップして点滴で最期を迎えるか
・生きていく上で人の楽しみの最後の一つとして食べるということを残してあげるか。それには人工肛門を付けること。

そんな二択を迫られましたが、
勿論、息子である夫が直接、先生と話をし後者に決めましたが。

本人には告知しないこと。

それから退院までのほぼ一か月
色んな決断をしないといけない状況
何をどう選択したら良いのか
わからないことだらけでした。

介護の仕組み、どこで誰がどんなことをしていて、義母が何の為にどんなことをしてもらえるのか全く知らない。

と言うのも、入院してから
自宅に帰ったらどうしますか?
家で看るとなるとかなり負担がかかると思うので、サポートしてもらえる体制を整えたら良いですよ。
そんな話を聞いていたので、家で看る以外の選択肢はないんだと思ってました。ましてや、余命宣告された。となると、、、。

とうとう、本格的に介護生活が始まる。
家に帰っても、ほとんど動けなくなっているのに、ベットも介護用ではない、身の回りのことや、パウチの交換など…食事も、部屋の空調ももっと気を遣わないといけない、、、

出口のないトンネルに入った気持ちでした。


それまでも、ほとんど自力で動けなくなっていましたので、朝起きたら、日中レッスンのない日は、3時間おきにトイレに誘導声かけて連れて行く、もちろん夜寝る前も。

気が付けば、ベットの周りや、ベットの上、トイレの前で転んで動けなくなっていること、多々。もう、私一人では抱えるのも限界
(力がなくなりました💧)
そんな姿を何度も見るようになっていた矢先の告知に宣告でした。


パウチの交換の練習をさせてもらったりしましたが、とうてい一人では厳しい。手が四つ欲しい感じ。


1日でもはやく退院させたい病院と、
福祉器具の準備ができない我が家、
ケアマネジャーさんも役場の方から民間の施設の方に代わる…
何のこと?

執刀医の先生から、
「家が受け入れる準備ができていないなら、退院後は施設に入ると言う手もあります。どうしますか?お母さんの場合は、悠長に構えていたらダメです」
もどかしい気持ちの夫と私。


結果、義母は、看護師さんのいる施設でお世話になり、週末にはには自宅に帰ってくると言う生活になりました。

帰ってきた時に、しっかりと看てあげよう、
夫にもしっかりと手伝ってもらおう、
そんな風に思っています。


介護のことで、夫と言い合いになる事もありました。
私だけがする介護ではなく、
みんなに助けてもらいながらする介護へ、考え方を変えていこう。

入院中は看護師さんが、パウチの交換の練習を何度かしてくださり、障害者手帳についての申請のこと、また、使う用具の補助金の事も教えてくれました。
その時は何のことかわからす、言われたまんま動く…
施設のケアマネジャーさんや担当の方が、色々フォローしてくださいます。
在宅介護か施設に入るかのことも、計画を立ててくださいます。
こちらも何がどうなってるのか、
理解できませんでしたが、日にちが経ち、回っていくと、これのことか…とか、少しずつですがわかってきました。

たくさんの方のお陰で、真っ暗なトンネルが、、一本の光がさしてきたような…

とは言え、まだまだ慣れませんので、ヘルパーさんのされてる事をみさせてもらっています。
服の着替え、食事の持って行き方、もちろん手伝えるところはやってます。

介護について何の知識もなかった私でした。
覚悟をしていたとは言え、気持ちが揺れて、真っ暗なトンネルに入った様で、必死に自分の気持ちの落とし所を探していた、一ヶ月前でした。

今は、
出来る時に出来る事を精一杯やれば良いと思える様になってきています。


色々な事が起こります。
でも、今を精一杯、自分らしく生きている事が、自分の選択に後悔しないんじゃないかなとおもっています。
成るようにしかならない、先を憂うより今をしっかりと。

色んな方から、介護のお話も聞かせていただきました。気持ちの持っていく先がわからなかった私には、本当にありがたかったです。

あまり、こまかく書く必要もないのかもしれないですが、私の家族や義母がのことが、少しでもこんな方法があったのか…とか、
自分のやりたいことを我慢しなくてもイイんだ…とか、
何かお役に立てるのではないかと思っています。


病院の先生、看護師さん、相談員の方、また施設の関係の方にはお世話になりました。そして、これからもよろしくお願いします。


私の教室に来られる方も、同じ環境の方も多いかと思います。その人にしかわからないこともたくさんあるかと思います。
何も知らなかった介護のこと、義母を通して、私たちが子どもたちにどの様な姿を見せられるのか。
私たちが、どの様に過ごしていくのが良いのか、義母の今を見て、より深く考える様になりました。

何をどの様にお伝えしたら良いか、上手く書けませんが、現状と冒頭にも書いています。皆さまへご迷惑とご協力をお願いすることもあるかと思いますが、ご了承いただけるとありがたく思います。

本来なら、お世話になった皆さまへの年末のご挨拶の時期ですが、私の現状を伝えさせていただきました。

長々と書いてしまいましたが、今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


2024.12.31
チャミ

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