1円奨学金[4] 毎月の1円送金によってあなたの可能性と生存を定期観測させてください。
今回は、1円奨学金の隠れた目的について話をします。それは経済とは何か。経済を行うことに必要なものは何か。経済を起こすために根源的に必要な、一番最初、はじまりの原資はなにかという話です。それはアイディアです。勇気です。1円もいりません。そして、アイディアと勇気を生み出すもの。それは何か、そのことについて話をするのが、今回の目的です。
まず、簡単に1円奨学金の概要をおさらいしておきましょう。募集要項はもう出してありますが、この奨学金に応募していただいた中から、選ばせていただいた6名の奨学生に、毎月1円を送金する。それが一円奨学金です。初年度である今年は6名に12円づつなので合計72円。少額な奨学金と侮るなかれ。現在は1ヶ月にたいして1円ですが、今後それを1ヶ月から1週間、1日、1時間、1分、1秒と、1円を渡す頻度を短くしていく予定です。時間軸に手を食われば、あっという間に化けます。画期的な奨学金です1ヶ月1円では年間12円ですが1秒1円にまで成長すれば年間3153万6000円になります。これを聞いて、ワクワクしませんか。ワクワクしたと思います。もしワクワクしなくとも、最後まで読んでください。どこかにワクワクのタネが落ちているかもしれません。
この「1」というのは、素晴らしい数字です。はじまりの数字です。世界で一番最初に発明された数字は、7でもなく、2985753でもなく、1でした。つまり、1円奨学金は、とある物語のはじまりを意味します。もしこれを1円ではなく0円をはじまりにしていたら、どうでしょうか。どれだけ時間軸を操ろうと、0円にはどんな数字を掛け算しても0円です。それが0という数字です。始まりではありません。そこにあるのは圧倒的な無です。0にはなにを掛け算しても0にしてしまう効果があります。ブラックホールさえも飲み込んでしまいます。宇宙は本当に不思議です。ここで簡単な算数の問題を出しましょう。たとえば、1994 × 09 × 07。これはぼくの誕生日である1994年9月7日を分解し、それぞれを掛け算したものです。暗算ですが、答えはおそらく12万5622です。さらに、ぼくは先日26歳になりました。今日は10月なので、12万5622に26と10を掛け算をしてみます。さすがにこれは電卓を使いましたが、答えは3266万1720になりました。適当に掛け算をしたつもりでしたが、1秒1円奨学金とほぼ同額です。さらには超えてしまいました。つまり、ぼくの誕生日には、つまり、誕生には大きな可能性があるということです。
つまり、掛け算というのはすごいのです。1以上の数を掛け算すると、どんどんと大きくなっていきます。しかし、ここで0のことを思い出しましょう。3266万1720というトンデモナイ数字。ここに0を掛け算してみましょう。計算結果は0になります。どんなにたくさんの数字をかけても、そこに最後に0を掛け算すると、0になります。ホワイトホールさえも吸い込まれそうな勢いです。宇宙の始まりはどのようにして生まれたのでしょうか。最初に何もない、つまり、0でもない世界があったというのも想像ができません。しかし、では宇宙には最初のタネ、つまり1があったのでしょうか。考えれば考えるほど、宇宙の起源は面白いです。では、そこから一気に時間軸を現代に引っ張って来ましょう。
数字の始まりは約6000年前のメソポタミア地方だと言われています。シュメール人が数字を発明し、これはくさびの形をしていたため、くさび形文字といわれています。 つまり、数字の始まりは文字の始まりでもあったのです。他には、シュメールの文化を受け継いだ古代バビロニア人の使ったものや、エジプト人が発明した象形文字のようなものもあると言われています。そして、1とか7とかいうのは、実はアラビア数字と呼ばれています。そして、アラビア数字は直接にはアラビアのインド数字に由来し、インド最古の数字はブラーフミー数字といいます。しかし、まだ0の数字が無かったのです。つまり、0というのは数字というものを考えるにあたって、かなり特別な概念とうことになります。では、数直線のプラスを見ていきましょう。数字は一からはじまって、十、百、千、万、億、兆、京、垓、禾予、穣、溝、澗、正、載、極、恒河沙、阿僧祇、那由多、不可思議、無量大数と続いていきます。無量大数の向こう側には、数は肥大していきます。それこそその性質に宇宙を連想します。しかし、どんなに数が大きくなっても、そこに0をかけると0になります。それは不思議な法則です。これは絶対的な法則です。0の掛け算から逃れることができる数字をぼくは知りません。もし知っている方がいたら、教えてください。
1円奨学金は、毎月の受給額が1円です。これは、ノットイコール0円。0円ではなく1が存在しているということですから、今後、無限に可能性があるわけです。那由多、不可思議を超えて、無量大数に近づき、さらにその先へと続いていきます。旭酒造の獺祭の最高級品には「磨き その先へ」というべらぼうに高い日本酒があります。つまり、ぼくが1円を配るというのは、そういうことです。奨学生に対して「あなたには無限の可能性があります。あなたのその先が見たいのです」というわけです。「俺、その先へ」でもいいですし「私、その先へ」でもいいです。向こう側に行くためのお手伝いをしたいのです。
また、1円を毎月奨学生にたいして送るというのも非常に大切です。これは、定期連絡です。今ここまで読んでくださったあなたには、定期的に連絡をする人は何人いますか。年に数回の連絡でも、仲がいい、とぼくはおもいます。さらに1ヶ月に1回は、そうとう高頻度です。毎日なんて連絡している人はいますか。ぼくにはいます。それはぼくの原稿を見てくれているゆきちゃんさんです。ゆきちゃんさんとは一度もあったことがありません。しかし、編集者になってもらいました。ですから、毎日連絡をとると、既読がついたり、返信がきますらから、生存確認もできてしまいます。生きてさえいれば、ぼくは1円を送ることができます。奨学生は1円を受け取ることができます。ぼくは河原温というアーティストの「日付絵画」という作品が好きです。都立西高校の美術室に置いてあった美術手帖という雑誌でその存在を知りました。
河原温(1932年12月24日 - 2014年6月27日)さんは、「時間」や「存在」をテーマとした作品で知られています。1966年から描き続けられている「日付絵画(Todayシリーズ)」は、リキテックスで単一色に塗られたキャンバスに、その「絵」が制作された日付だけを、筆触を全く残さずに描いたものです。制作はその日の0時からキャンバスの下塗りを始め、起床後に黒色などで地を塗り、白で「年月日」書き入れ、その日のうちに完成させます。完成後の保管は、その日の新聞を入れた箱におさめられています。また、その日の24時までに描き終わらなければ廃棄するなど明確なルールがありました。他に、常に同じ「I am still alive.」という文面の電報を世界各地から発信するシリーズや、過去と未来それぞれ百万年の年号をタイプした「One Million Years」、絵葉書にその日河原が起床した時刻だけを記して特定の相手に郵送する「I Got Up」など、いくつかのシリーズがあります。 Todayシリーズを1966年にはじめたあと、カタログ等にも一切経歴を明らかにしませんでした。公式の場に姿を見せず、作品について自己の言葉で語らず、近影やインタビューなども存在しないなど、その実像を隠し続けました。
彼の作品をしったときは、面白いなぁくらいにしか思わなかったのですが、今でも彼のことを思い出せます。美術手帖は毎月発刊(最近、隔月に変更)される現代美術についての動向をまとめている雑誌で、何百人のアーティストが紹介されていますが、覚えているのは一握りです。ぼくは、彼の作品から、毎日生きていることを誰かに報告する。つまりは、ブログを毎日更新することは、それなりに意味があると思い始めました。それは、記事という内容をせかいにつたえることでもあり、今日もぼくは生きています、と世界に伝える行為でもあります。今後、ずっと1円奨学金は続けて行く予定です。なんせ、年間一人当たり12円ですから、経済的な心配は皆無です。ずっと続けて行く中で、今後、1円奨学金が1秒1円にまで拡大する可能性もありまう。そうすれば、1ヶ月につき262万8000円になりますが、それをぼくが送金することができなくなれば、つまり奨学生としてはそれを受け取ることができなければ、それは0の掛け算と同じです。
つまり、1円によって生まれた新しい交流「1円を送れる - 1円を受け取れる」というのは、両者が生きていることの証明です。それが、最低条件であり、絶対条件であり、必要条件です。どんなにこの奨学金の規模が大きくなったところで、それを受け取ってもらうことができなければ、受け取ってもらえないのです。この奨学金は、ぼくにとって、毎月1円を送ることで「あなたの可能性は無限大です」と伝える意味と、両者の生存確認をする意味があります。昨晩ぼくは1人に電話をしました。去年の12月26日から返信のとれなかった友人Kに電話しました。ぼくはそれから今までの10ヶ月で彼に10回ほど連絡をしましたが、返信が来ませんでした。しかし、昨日、電話が通じたことは素直に嬉しかったのです。電話が通じる、つまり、ぼくとそのひとの間にはまだ「1」があったということです。
また、おとといにはずっと連絡を取りたくて仕方がなかったAにメッセージを送りました。個人的な心の葛藤からぼくは連絡できずにいました。Aはぼくにとって大切になり過ぎてしまったため、ぼくは返信ができずにいました。6年前はほぼ毎日連絡を取り、夜には長電話をしていた相手です。過去のことではありますが、ぼくにとって非常に大切な人です。そして、伝えました。「ぼくの作品をもらってください」と。ぼくの人生にとって大事なことは、好きな人に好きと伝えること。そして、伝えておきたいことは伝えることです。伝えるとは、例えば、作品を作ることです。買いたいと言ってくれた人には、ぼくが決めた値段を伝えることです。そして、お金なんてものはいらないから、お金以上のものを、ぼくは今まであなたから沢山もらったので、ぼくに今できるお返しとして、作品をもらってほしい。そういう提案を伝えました。Aは喜んでくれました。返信の最後には、「勿論喜んでいただくね」と返信が来ました。ぼくはその返信を嬉しく思いました。作品をAのもとに届けることができること。またAと連絡を取れたこと。Aの生存が確認できたこと。
話を戻します。1円奨学金でおくるのは、初年度の2020年は毎月1円です。それだけでは何もできないかもしれません。しかし、想像してください。読んでいる方は、じぶんが奨学生であると想像してみてください。あなたは1円を受け取ることができます。毎月、毎月、新造真人から送られてきます。つまり、あなたは今、生きている。ぼくも生きている。生きていればアイディアが湧く。生きていれば、勇気をつかうタイミングに恵まれる。いま、じぶんの手元にあるお金にとらわれずに、じぶんが何をしてみたいのか。どんな風にすればそれを実現できるのか。予算がないからできないのではなく、どのようにすれば予算を獲得できるのか知恵を絞る。そして、それを誰にどのように伝えれば協力してもらえるのか知恵を絞る。そして、それを怖いかもしれないけど、実行する。アイディアとそれを実行する勇気さえあれば、なんだってできるんです。この、元手の予算にしばられず、自由に発想をする、という考え方はティナシーリグ先生に教えてもらいました。『20歳のときに知っておきたかったこと』という本の中に書かれていますので、ぜひ読んで見てください。ぼくはこの本をバイブルにしています。苦しいとき、こまったとき、アイディアをおもいつきたいとき、悲しいとき、うれしいとき、読み返します。これま何十人の知り合いの、この本をオススメして来ました。
そして、アイディアを思いつけるのも、1円の引渡しがなりたつのも、それは文字通りあなたとぼくが生きていればこその話です。ぼくは死後の世界について知りません。死後の世界はあるのかもしれませんし、ないのかもしれません。あってもぼくは行けないかもしれませんし、何回か行ったことがあるけど、現世でのぼくはそれを思い出すことがまだできていないのかもしれません。そこはどんなところなのでしょうか。ぼくは想像することしかできません。死後のことについては、色々な人がさまざまなことを言っていますが、ぼくはそれを何一つ信じていません。なぜならぼくがそれを体験していないからです。人伝のはなしを偉そうに話すことはしません。確証がないことは話しません。ですから、これまで書いて来た1と0の話は、ぼく自身が確証を持って話しているということです。ぼくは生きている人にしか、お金を送金する術を持っていません。
ここまぼくは、真剣に書いてきました。お金をどれだけ持っていても、人間は死ぬのです。それは老衰かもしれない。災害かもしれない。不慮の事故かもしれない。自殺かもしれない。死は、いったいいつ、どこからやってくるのか予測がつきません。ほんとうにいつやってくるのか、わからないのです。ですから、ぼくはぼくがいいな!と思った人には定期的に連絡をとりたいのです。そして、毎月1円を送るのです。
「あなたには可能性がある。無限にある。その無限の可能性を見せて欲しい。ぼくもぼくの中にある何かを、この1円奨学金を通じて、あなたに見せる。ほかにもいっぱい見せる。だから、一緒に遊ぼう。あなたの才能をもっとみたい。ぼくもぼくの才能をあなたに見せたい。一緒に遊んで欲しい。よろしく頼みます。1円を、受け取っていただき、心からありがとうございます」
ですが、その才能を活かすには人生という期間があります。ぼくたちの命は期間限定なのです。つい先日、新宿の紀伊国屋書店でヨシタケシンスケさんの本を手に取りました。ぼくは彼の絵が大好きです。『欲がでました』という本を開きました。ひらいたページには可愛らしい坊やのイラストがあります。その子がこっちをセリフを言っています。「ぼくは、期間限定だよ!」。ぼくはシビれてしまいました。それは、ぼくも同じである。そして、期間限定のその坊やを抱きしめたい気持ちになりました。わかりやすいほうに話をコンビニに写します。コンビニの棚には日々、たくさんの新商品が追加されます。ポテトチッピス、炭酸飲料、アイス、おにぎり、ビール。色々なものが新商品!とか期間限定!などとうたって、売られています。今でしたら、秋味のビールだとか、芋や栗をつかったスナックやスイーツが期間限定で棚に並べられています。しかし、期間限定は、期間限定と書かれているものだけではありません。全てのものには終わりがあり、全てのものは期間限定です。定番商品として売っているようにみえるものでも、それだって期間限定なのです。企業努力によって味はかわります。カントリーマアムは小さくなります。年を経るごとにパッケージは刷新され、製造工場がより安い国へと移転し、原材料の調達場所もかわり、農家さんがつくるものも毎年全く同じものではありません。販売元の会社が倒産するかもしれません。地球に隕石が落ちて、滅亡するかもしれません。ありとあらゆるものは期間限定です。
ぼくは期間限定商品が大好きで、「今しか食べれない!」と結構食いついてしまいます。カルビーの思うツボです。でも、ぼくもそうです。あなたもそうです。全ては期間限定です。期間限定だからこそ「今、目の前のポテトチップス」がありがたく感じるのです。ありがたいという言葉を漢字で書くと、有難い。そうです、有るということは容易いことではありません。ですから、生は終わりがあるからこそ、輝くのだと思っています。この言葉を教えてくれたのは、大好きなアーティストです。ぼくの大好きなポエトリーラッパーの不可思議Wonderboyです。彼の楽曲の中で語られていたことです。ぼくが彼のことを知ったのは2013年。ぼくはオーストラリアのAtherton高原というところにいました。そこで、Facebookでだれかが「この曲めちゃくちゃいい」と紹介していて、リンク先に飛びました。彼の『Pellicule』という楽曲でした。絶対に見てください。いつ、Youtubeが破産して、映像がみれなくなるかわかりません。いつ、この動画が削除されるかわかりません。今すぐに、調べてください。あらゆることは期間限定であることを、忘れないように、そのことを体に刻み付けるように、この曲を聞いてください。
PVは路上ライブの様子を収めたものです。冬の新宿駅前。ダウンをきいてアップをして体があつまった彼は、コートを脱ぎ、長袖で歌います。詩を、叫ぶように、語るように歌っています。歌詞は彼の切実な思いであり、彼が文字通り全身全霊でそれを声に載せていることがわかりました。ぼくはそれを聞いて、鳥肌が経ちました。いま、この文章を書きながら彼の曲を聞いています。そして、泣きそうにながらタイピングしています。歌詞が始まる前に、彼の語りがあります。新宿駅の前、通り過ぎていく群衆。何人かは聞いているようです。その中で彼はどこにむけてこの言葉を叫んだのでしょうか。
「馬鹿なあいつが、いつ帰ってきてもいいように。あの馬鹿なあいつがいつ帰って来てもいいように、この歌を歌わせてください。」
ぼくはこの言葉をきいて、これは、今のぼくの心の叫びだと思いました。この言葉をタイピングしていたら思わず涙が流れてしまいました。これを読んでくださっているあなた。ここまで読み進めていただきありがとうございます。読んでいるあなたに人生があるように、ぼくにも人生があります。人にはなかなか言えない悲しいことが、それぞれの人生には起こります。ぼくはこの曲を知ってから、この人は、他にどんな曲を発表しているのだろうと調べました。Youtubeに上がっている楽曲は全部聞いたと思います。お気に入りの曲が増えました。何曲もありますが『生きる』は大好きです。谷川俊太郎さんの詩を、彼に許可をとってポエトリーリーティングにしたそうです。そして、気がつきました。曲の更新がある年で止まっていることに。どんなに調べても2011年以降の曲がでてきません。ぼくが彼を知ったのは2013年です。彼のライブに行きたいと思い調べると、彼が亡くなっていることを知りました。
それにしてもみんないつの間にかいなくなるよな
だから別にそれがどうってわけでもないんだけど
最後に挨拶くらいしていってほしいっていうか
まあ別にそんなことどうでもいいんだけど
(Pellicule / 不可思議/wonderboy)
ですから、ぼくが今言いたいことは、一つなのです。まだ、到達していない未来に対して、今という過去から言わせて欲しいのです。「1円を送らせてくれて、ありがとうございます。受け取っていただき、ありがとうございます。」1円奨学金の募集は2020年10月30日23:55におわります。募集は10月10日からですが、すでにフライングで10月7日に1人から応募が届きました。そして、選ばれ方々の中から6名を選ばせていただき、11月7日に最初の振り込みを行います。これまで書いた思いは、ぼくの個人的なことです。忘れてくださっても構いません。ただ、ここまで読んでいただけたあなたから応募をしてもらえたら嬉しいです。しっかり、その中から6人を選考します。そして、毎月しっかり1円を送金します。金額は1円ですが、たくさんの気持ちを、これでもかとぼくはそこに載せます。「あなたの可能性は無限大です」このことを、言葉だけでなく、行為として、その少々として奨学生には1円を送ります。これは本心です。このことは何度でも書きます。1円はたいした額ではないかもしれません。しかし、それは0ではないということです。たとえ、始まりは1だとしても、掛け算をしていくことで、一、十、百、千、万、億、兆、京、垓、禾予、穣、溝、澗、正、載、極、恒河沙、阿僧祇、那由多、不可思議、無量大数と化けていくことができます。ですから、あなたがそのように化けていくのを、1年間、ちかくで観測させて欲しいのです。心から、あなたのご応募をお待ちしています。
「1円奨学金」のこれまでについて
[1] https://note.com/chamereooon/n/na9a3d1fc8d12
[2] https://note.com/chamereooon/n/nff52db0e3f8c
[3]https://note.com/chamereooon/n/n7ffc9d7e888f