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生きる意味を教えてください 田口ランディ 読書感想

十年ぶり以上の人と会った。高校生の終わりにちらっと話し方かもしれない人から、これをどうぞ、と渡されたのが、この本だった。

安っぽい副題だなぁ

人からお勧めされた本は気が重い。最後まで読んで、かつ、面白かった、と言わなければいけないような気がするから。さっと読んてみたが、ひとまず、今の私にはくまなく読んでみたいと思える本ではなかったが、著者の田口さんと、メメント・モリで知っていた藤原新也さんの対談だけは、全て読んでみた。

それに関してちょっと考えたことがあるんです。私たちが近代の先進国と並んで前向きになろうとする時に使う言葉は「愛」、「世界」、「平和」、「自由」などあまり歴史のない近代語です。その言葉について、実は何も知らない。これらの言葉がある時、突然、文明開化と一緒にやってきて、これはとても大事なもので、文明人ならこの言葉の価値を理解せねばならんってことになって、みんな一生懸命にその言葉を大事にし、その言葉にまつわる幻想を作ってきた。
それはなぜかといえば、これらの言葉を使った憲法があり、これらの言葉を使うことで既得権益を守ろうとする人たち。つまり、民主主義を維持したい人たちによって作られた集団に私たちが生きているからです。私も子供の頃から自由、平等、平和という言葉づけになって教育されてきているけれど、この前スウェーデンに行って改めて自分には平等という概念が分かっていない......ってことを実感したんです。
実は私は平等が何かなんて知らないんですよ。身体感覚としても、心情としてもちっともわかっていない言葉を分かったように使ってるんです。その言葉が持っている意味も、実はあまり考えずになんとなく、この国の中の多くの人たちの雰囲気に合わせてコミュニケーションを取るためにぼんやりと言葉を使っていただけなんです。
もちろん、私は民主主義を否定したいのでも、自由や平等や平和に文句を言いたいのでもない。だけど、これらの言葉に対してあまりにも無自覚だったことにヨーロッパに行って気がつきました。なぜなら、スウェーデン人にとっての平等は、私が日本にいて「これが平等」と暗黙のうちに仕込まれていた意味とは全然違ったから。

p28 アジアの感性で希望を語るには 田口さんの言葉

最近の私は、平等とか、自由とか、そういう言葉を幾度ともなく使うが、なんか空っぽになってきた。そんな感覚があったから。古典を読めば、その意味するところがわかるわけでもなかろうが、平等や、愛や、そういった近代語が、土台も持たずに崇拝されている感覚への、忌避感。

そして、冒頭にあったこちらの文章も、ひっかかる。虫けら、という言葉は、本当に嫌なものだなとおもった。小さきものは、それが小さいというだけで、価値を小さく見積もられ、どうでもいいものとして扱われる。そのような態度を、実践してしまう心が浅ましいのに。正直、肉を食う哲学者の言葉など、微塵も響かない。特に、生死、という道徳観にまつわることを語りながら、テーブルマナーに則って、皿の上の殺戮に、無関心な人々の言葉には。

「(田口さんのエッセイを読みました… )広島に原爆が落ちてたくさんの人が死んだって言うけど、原爆が落ちなくても人はいつか死ぬわけです。病気か事故か老衰でだとしたら、なぜ米泊で死んだ人だけが追悼されるんですか?普通に死んでいく人たちの人どう違いがあるんですか」
この宗教的とも言える疑問に私はどう答えてよいかわからなかった。何か違う。何か間違っているという気はする。私は必死で答えを探した。常識的に考えればこうだ。人間の人生は一度きりである。この1度だけの生を無残に踏みにじられ、広島で被爆して亡くなった方たちの無念さはいかほどのものだろうか......。だが別の声が心の中に響く。
だから何なのだ。人間の命も虫けらの命と同じではないのか。人間だけが特別ではない。人間も戦争や災害であっけなく死ぬのだ。なぜ人間だけが特別だと思うのか?虫けらのように死ぬ存在に生きる意味などあるのか。本当はそんなものないのではないか。ただ生きたいから生きているだけなんじゃないのか。だとしたら、死にたくなったら死んで何が悪いか。
この問いは私が一人で抱え込み考えるには重すぎた。もうお手上げだった。それで私はこの問いを携えて信頼する先輩たち友人たちのもとを訪ねてみることにしたのだ。他者と議論したい。生きるってどういうことか?人はいつか老いて病み死ぬこの生命の宿業にはどんな意味があるのだろうか。私たちが生きる意味を教えてください。

p10 イントロダクションにて

死にたいとか、退屈だとか、思っている人間、少なくとも私には、こういうものより、別の本が、救いになるのかもしれない。本にされるような人々の、言葉をみても、偉そうに語りやがって、としか、思えない。

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