外の世界は隙間風が多すぎる〜吉野家の老夫婦〜
人混みは疲れる。
その理由を挙げたらキリがないけれど、その一つに
なんの前触れもなく全く違う価値観、世界観がぬっと前に立ち現れて、
平然とした顔で空間に同居してしまうことが多いから。
安い、早い、うまい!
でお馴染みの牛丼チェーン店へ行く。
その一つ目「安い」の売り文句を実現するための回転率の高さ。
そのスピードは従業員にも、暗に客にも求められている。
(今のご時世の”安い”基準は置いておこう)
仕方なき、これが資本主義。これが吉野家の暗黙のルール。
客もその「空気」がわかっているから、だらだら長居する客も滅多にいないし、うーん、と小一時間注文に悩むことは少ない。
注文したら静かに待ち、着丼したら丼に集中する。
空になったら金を払って退店。ただそれだけの作業である。
その流れはとても人間的とは言えないかもしれないが、
そういう空間なのである。
安い1人向けの飲食店が当たり前になってからは、
入店した時にみんな無意識にこのマインドにスイッチしている気がする。
ある意味部品になるマインドスイッチ。諦めかもしれないし、それでいいんだという心地よさもあるから不思議である。
でもその空気だって、もちろん向き不向きがある。
例えばそう、今入店した老夫婦。
失礼だけどだいぶお年を召していて、特に奥さんの方は腰が曲がり動きが緩慢に見える。
店内はほぼほぼ満席で、離れたところに1席ずつ空きがある状態。
だいぶせわしなくがちゃがちゃしている。
店員は「別々のお席でしたらすぐご案内できます」と老夫婦に元気よく言う。
入り口に近い席と細い通路をぐるっと回らないと座れない席。
もちろん店員が案内したことはなんら間違ってないし、何も悪くない。
でも勝手ながら俺は、すぐ空くのだし2人並んで食べた方がいいのでは、と思っていて、老夫婦も順番待ちの席に座って待つだろうと思っていた。
が、夫の方がわかった、というふうにしてそそくさと目の前の席に座った。お婆さんの方は、夫がそうしたので残る席に座るしかなく、ゆっくり、ほんとうにゆっくりと逆側の席に歩き始めた。
俺の後ろを通り十数秒かけてお婆さんは座ったのだけど、その座るまでの時間がなんとなく俺は気まずくて、とても長く感じた。
注文はタッチパネル式で、2人ともよく分からなさそうだったので店員がお婆さんに説明をしながら一緒に注文を進めていると、じいさんの方が向かいの席から「俺のも頼んどいて、牛すき鍋。」とぶっきらぼうに声をかけた。
俺はやっぱりなんか気まずくて、勝手にやりきれない気持ちになり、味が落ちたような気がする牛すき鍋膳をかき込んで退店した。
以上、吉野家の部品として俺がとっても引っかかってしまった一連の出来事。いや、全く関係ないですよ、その老夫婦と俺。
でもこの出来事一つで俺の頭のなかに沢山の思考がぐあっと押し寄せてきて、とっても疲れてしまった。
その思考や視線の中に身勝手なものも沢山あると思ってるけど、俺が楽になるために少しここに書き連ねようと思う。
冒頭で述べた「空気」が、暗黙に客をえり好みしているように見えること
これは誰が悪いと言うわけではないんだけど、ゆっくりくつろげる和食屋であればこんな気持ちにはならなかったな、と思う。
牛丼、美味しいのだけど老夫婦が本当に満足できるサービスや食事や栄養でもないかなとやっぱ考えてしまう。もちろん、誰しもが好きで行く権利はある。でも、少しでも当人が慣れ親しんでいる「食」や「空間」ではなく、居心地の悪さを我慢して、安さや手軽さを理由に行かざるを得ない状況であったら、なんか勝手にやるせない。だって、明らかに目立ってしまうんです、おそらく想定された客ではないから。
その状況が、なんだかつらい。
今と昔の男女感
有無を言わせず男が決め、それに黙って付き従う女。
これ、現代人やってないですよね。
いや、全員ではないけど、少なくとも社会の「空気」がそれを許そうとしていないですよね。そうしてる男がいたら批判をされるし、そうされている女がいれば哀れまれる。
でも戦後を生きた人にとってはそれが普通で、なんならお見合いとかで初めて知った男性と生涯ともにするなんてざらだから、おかしいと仮に思ってもみんなそういうもんだとどこかで諦めるのかもしれない。実際、お婆さんはいつもそうだからいうように全て自然につきしたがっていたし、顔に疑念の表情は一切なかったと思う。楽しそうには見えなかったけど。
ところが、この価値観が現代と同居したらどうか。
当たり前だが価値観というものに絶対はなく、不明瞭で、正解はない。そして多くの人は自在に自分で一から作ったりすることはもできない。
今なんとなく漂っている価値観に対して自分はどうか、あの人は、なんて対比をしてそれに沿うか反るかしかできない。そのずれが多いか少ないかだけだ。
あのお婆さんはどうだっただろうと思ってしまう。
男性に付き従うことが正解の世の中で男性と出会い、そうして長く関係を続けてきた彼女が、全く真逆の世界に放り込まれる。
もしかして望んだかもしれない、異性と対等もしくは優位に立つ関係値。とっくのとうに諦めてしまった価値観。
いまさら可哀想、おかしい、と言われる。
こんなことならあのままで、私が正解のままでいてほしかった。
なんて考えた日もあったんじゃないかと思ってしまう。
そんなこんなで、外には見えないたくさんの世界が同居していて、ふとした時に穴が開いて隙間風が吹く。その風が熱風だったりとても冷えていたり、寒暖差が激しすぎる。空気が変な混ざり方をして気持ちが悪くなる。
体温調節が苦手な人間は、外に出るとすぐ風邪を引いてしまうのだ。