17.精神科で障害年金の話しをしたら、病名を変えられた
1月になったばかりの日、障害年金の申請をするために社労士さんに依頼のメールをしました。
ダメもとでしたが、働けない現状で頼れるのは障害年金しかありませんでした。
社労士さんからの返事
社労士さんから返信が来ました。
「現在、就労できない状況であれば、3級以上に該当する」とのことでした。
医師からは「働かずに休め」と言われているし、
他人と話すと泣いてしまう状態で、
通院する前から短期離職を繰り返していたこともあり、働くことは出来ないなと思いました。
絶対に障害年金を取りたかったので、今の自分の状況を社労士さんに伝えるために資料(自分の経歴、病状、職務経歴など)を作成して送りました。
それが役に立ったのかは分かりませんが、とにかく今の自分の辛い状況を知ってほしかったのです。
担当医に障害年金の資料作成をお願いしたら、怒られて病名を変えられた
障害年金を申請するためには、担当医に診断書の作成をしてもらう必要があります。
担当医に「社労士さんにはすでにお願いをしているから、診断書の作成をしてほしい」とお願いをしたら、怒られました。
「君は3級も通らない」と言われ、病名を双極性障害から解離性障害へ変えられたのです。
解離性障害に変えた理由は、私が鬱がひどかった時に母に自殺をほのめかした日にちを覚えていなかったからだそうです。
たった1日、日にちを覚えていなかっただけで、病名を変えられて混乱しました。
私は自分が双極性障害であると言われたときに、今までの人生での生きづらさの原因を知れたような気持になったのです。
中学生ではいじめにあい不登校に、高校では定時制に行ったけど馴染めず、通信制へ転校。
アルバイトは頑張って働くので、周りから嫌われることはありませんでしたが、ある日いきなり限界がきてその日限りで辞めてしまうことがほとんどでした。
10代の時は確実にうつ病だったと思います。
しかし、精神科へは行きませんでした。
この年齢になって、双極性障害だと診断され、今までの人生の答え合わせができてほっとしていたんです。
この生きづらさは、自分のせいだけでなく、病気からくるものであると。
そんな気持ちでいたのに、たった1日日付を忘れただけで病名を変えられるなんて、許せませんでした。
双極性障害ではなく、解離性障害なのだとしたら、今までの治療はなんだったんだと思いました。
しかも、病名が変わったのに、処方される薬は変わりませんでした。
双極性障害でないなら、今のメンタルがボロボロな自分はなんなのか分からなくなりました。
SNSを見ると、障害年金の書類を書きたがらない医師はいるみたいです。
担当医を信頼していたので、裏切られた気持ちでいっぱいになりました。
遺書を書き始める
担当医に、今働けない状態なのに障害年金を申し込めないんだったらどうやって生きていけばいいんですかと聞きました。
そしたら、「就労支援AかBで働けば」と言われました。
Aは最低賃金でフルタイム働いてギリギリ生活できるかで、
Bは日給数百円で生活なんてできません。
帰り道、お金がないならもう死ぬしかないなと思いました。
自殺をする方法を知らなかったので、本を買いました。
それを読んで、人ってなかなか死ねないんだなと思いました。
人を巻き込まずに死ぬ方法を考えました。
遺書も書き始めました。
どうして自分は死を選んだか、ハッキリさせておきたかったのと、
両親と彼氏への感謝の気持ちを残しておきたかったからです。
自分が自殺をしたら、両親と彼氏はずっと悲しい気持ちを引きずってしまうと思います。
それが一番辛く、遺書を残して少しでも悲しい気持ちが薄れたらと思っていました。
息子さんが自死した方のTwitterを見ました。
その方は、何年も苦しんでいました。
死にたい気持ちと、死ななくてはいけない気持ち、それと同時に両親と彼氏を苦しめることになってしまう。
正直な気持ちは、私は生きることに向いていなかったんだと思うから、もう人世を諦めたいし、それを許してほしいという気持ちでした。
あの世から手紙を書けたらいいのになと思いました。
薬を飲むことをやめる
担当医に裏切られた気持ちでいっぱいだったため、その医師が出した薬を飲みたくなくて、飲むことをやめました。
自分のコントロールができなくなっていたので、衝動的に行動してしまうかもしれず、自分でもいつ死ぬか分からない状態でした。
死ぬ方法を知っているから、いつでも辛くなったら死ねるということが、私にとって勇気になっていました。
なぜか一日中、焦った気持でいました。
死にたいはずなのに、外に出て誰かに殺されそうで怖くて、外へ出られなくなっていました。
母が家にやってくる
心配した母が家にやってきました。
初めての訪問でした。
母は気まずそうに、心配そうにしていました。
私は、母の顔を見れず、気まずい時間が流れました。
違う病院へ行くことに
彼氏の家族の紹介で、違う病院へ行くことになりました。
私は一人で外に出られない状態だったため、彼氏が付き添ってくれました。
待合室で1時間ほど待ちました、
その間、ずっと下を見て、拳に力を入れて緊張していました。
この病院で突き放されたら、もう死ぬしかないと思っていたからです。
常に頭の中に「死」という文字がありました。
つづく