昔、むかし「ぅちの写メも送るね♡」で送られてきた写真のトラウマが、大人になったボクを最高につまんなくさせるんだ。
GW明けで、
うおーダリぃわ、カッたりぃ死ぬ死ぬと思いながら、公園のベンチに座って、
‘’逆上がりからの前回りからの着地‘’
を繰り返しながらキャッキャッと楽しんでいる長女をボケーっと見ていた。
すると隣の少し高い鉄棒に長女と同じ背丈の子がトコトコとやってきて、ヒョイっと逆上がりをしたかと思うと、体操選手のようにクルクルクルッと連続で回り出した。
彼女はドヤ顔でチラッと長女をみたかと思うと、今度はサルの如し。
片足を鉄棒にひっかけて逆さまになり、その体勢のままナニかを長女に話しかけ始めた。
長女はそのサルに
‘’動物園の檻のサルかいな!‘’
と関西仕込のツッコミをすることもなく
和やかにふんふんフンフンFnFnと頷き、次第に笑顔になったかと思うと、その後は彼女とブランコ、滑り台、かくれんぼ、・・・気がついたらずっと一緒に過ごし始めた。
「あぁ、学校のお友達かいな。」
見守り役であったボクは少し肩の荷が下り、スマホを取りだして物凄い勢いで人差し指を画面上にすべらせた。
消化不良のまま終えてしまっていたツムツムを心おきなく再開したのだ。
見守り:ツムツム=3:7
のバランスで
公園でのひとときを心穏やかに過ごしていたところ
しばらくすると長女は給水のためにボクがいるベンチにやってきた。
「遊んでいる子のお名前は?」
と尋ねると
「あこちゃんってお名前で、隣の小学校の1年生なんだって」
そう返答し、給水するやいなや再びあこちゃんの元へと走っていった。
なんと、、、
まったく知らない子だったのか。
あぁ、そうか、
たしかにそうか。
思えば子どものころ、初めて会う子でもすぐに仲良くなった。
転校生がやってくると聞けばワクワク興奮したし、人数が奇数であれば他校の子であっても一緒に日が沈むまでサッカーをした。
それが中学、高校と、年齢を重ねるにつれて友達づくりのハードルがゆるやかに上がり始め、社会人にもなると、恋愛感情を抜きにした気のおけない人間関係を0から構築するのは、まさに至難の業となった。
友達作りというスキルにおいて、大人は小学生には絶対に敵わないのである。
The Bl@ck Mail
2000年初期、スマホが普及する前はよく知らない人からメールが届いていた。
というのも初期の頃はみんな
090********@docomo.ne.jp
というメールアドレスを使っていたので、番号のところに適当な数字を羅列してアドレスをつくりあげ、
「間違っちゃった、ごめんなさい!」
みたいな感じの始まりが若者の出会いの1つとして確立されていたのだ。
そんな出会いの文化をつくりあげたのは、おそらく
バラエティ番組
「稲妻ロンドンハーツ」の‘’ The Bl@ck Mail ‘’
という企画であろう。
今でも番組自体は続いているようではあるが、最近は少しでも表現に問題があったり、人を晒し者にしたりするとすぐに炎上騒ぎになる風潮があるため、
当時の名物企画は、時代の流れとともに完全に消し去られてしまった。
中でも‘’The Bl@ck Mail‘’は、
汚れた大人の浮気心のリアルを晒しモノにするという点においては抜きん出て品がなく、
今こんなのを放送すると大炎上することが間違いのない企画であった。
若い子にはまったく分からないと思うので
おぼろげながらもボクが覚えている
この内容について説明しよう。
いわゆるオトコのリアルな浮気心を調査する企画である。
ロンブー淳が
女性になりすまして、巧みな誘惑メールを依頼主(彼女)の彼氏に送りつけることからスタートする。
「間違っちゃった。ごめんなさい!私、天然って言われてバカだからヾ(*´∀`*)ノキャッキャ」
「ゎたし、広末涼子って人に似てると言われるけどテレビ見ないからわかんないだよね☆彡」
彼女から入手したオトコの好きなタイプを折り混ぜがら、こんな感じのメールを次々に送っていく。
何度かやりとりをしていくうちに徐々に彼氏との仲を深め、ついにはデートの約束を取りつけ、そして当日そこに現れるのは番組が用意したモデル美女、という仕掛けである。
そんなモデル美女を相手に彼氏がその気になっていく一部始終を、彼女がモニター越しに眺め見るというナンともセンシティブな企画であった。
最終的に、トイレにたった仕掛人のモデルと、彼女が同じ服装をして入れ代わり、
彼氏のもとに向かってthe・END。
トイレから戻ってきた女性が、
まさかのリアル彼女で慌てふためく彼氏。
そこから始まるしばしのお仕置きタイム。
当時、青春真っ只中だったボクら世代は、こんなリアル修羅場を画面ごしにみて笑い転げた。
‘’見知らぬ人からのメールは気をつけなければならない‘’
と、教訓にしながらも、
一方でこうすれば異性と出会えるという、ひとつの遊びを教えてもらったようにも思う。
かくいうボクもこの手の出会いを何度か経験した。メールのみで信用を勝ちとって会うまでには多大な苦労は伴うけれど、
それでもナンとしてでも会いたい欲求が枯れなかったのは、紛れもなく恋愛におけるエロティシズムな感情が原動力であったからに違いなかろう。
おじさんになってからの新しい友達作りはハードルが高い
noteには記事のコメントとは別に、個別にクリエイターとつながるルートがある。
じつは先日、
先日といっても2月ではあるが、
ボクのnoteをいつも楽しみにしてくれているという近隣にお住いの読者さんから、そのルートを経由して連絡をいただいた。
わざわざ時間を割いてまでボクの長文noteを読んで、さらに会いたいと言っている時点で、性格は偏屈であり、ど変態であることは最低限の予想はついたが、そう思って頂けるのは素直に嬉しいものである。
しかしな。
うーんどうしよ。
迷った挙げ句にOKしたものの
このメールを頂いた時の率直な感想で言うと、
喜び:恐怖=3:7
のバランスであった。
子どもが見知らぬ同年代の子にワクワクして話しかける感覚でも、ブラックメールのエロティシズムなドキドキ感でもなく、
どことなく驚き、身構え、消極的であった。
会って話すことで、
「ナンだ、思っている以上にしょぼい奴だったわ」
と相手に絶望と落胆を与えてしまうかもしれない。
いや、それより…
そもそもこのメールの本質的な目的はナンなのだろうか。時間が経つにつれて、それすらも疑心暗鬼になっていった。
もしかすると騙しなんじゃないだろうか。
自身のnoteの記事ネタにしたいのか、
ボクの姿を遠目で観察する遊びの一種なのか、
その日の当日の朝まで、
諸々の負の感情が積み重なり、特定のモノの見方に支配され視野狭窄になっていった。
やっぱり友達作りというスキルにおいて、大人は小学生に敵わない。
そんな漠然とした疑問の答えを、いい年のオッサンになってようやく見つけた気がした。
思うに大人は、成功体験よりも失敗体験を優先的にフラッシュバックする本能のようなモノに支配されてしまっているんじゃないだろうか。
PCで夜な夜な夢中になって辿ったサイトで「あなたは18歳以上ですか?」と問いかけられて、純真無垢に「はい」をクリックすると
「あなたのIPアドレスは192.168・・・・です。会員登録が完了しました。10日以内に下記口座に153,400円をお支払いください」
支払わずに会社に連絡いったらどうしよう、
裁判沙汰になって実家に請求いったらどうしよう、
クリック詐欺の存在を知らなかった当時、
そんな不安に苛まれて、あたふたして振り込む直前までいった。
騙しであろうとなかろうと、あんなにドキっとする恐怖はもうゴメンだ。
二度と怪しいサイトには近づかないようにしよう。そう誓ったあの日。
適当にアドレスに番号をつけて送ったメールからスタートし、ようやく会えるまでにこじつけた相手に、前日写メを送った。
すると
「ぅちの写メも送るね☆」
と言われて相手からも送られてきた。
おぉ、みるとスレンダーな美女ではないか。
高鳴る鼓動。駆り立てられる妄想
3ヶ月もメール交換をしてきた自身の苦労をココロからねぎらった。
当日。
ボクは胸をときめかせながら、勇んで早朝から大阪の中心街で待っていた。
するとどうだ。
遠くからのっしのっしとボクに向かって歩いてくる物体を発見した。
ん?くまもん?
あぁ。
もぅ、逃げるわけにはいかない。
ココロの奥底で泣きわめき、前日浮かれて色んなあらぬ妄想をした自分をぶん殴った。
もう二度と写メには騙されないようにしよう。そう肝に銘じたあの日。
人間は、いや日本人の多くは、
大人になるにつれて、何かをはじめるときに、そういった過去の経験から連想される失敗や不快な記憶が新しい可能性よりも優先的に呼び出され、
二度と遭遇しないように、行動の選択肢をどんどん狭くしながら年齢を重ねていく本能が備わっているのではないだろうか。
死亡保険加入率がダントツ世界一の日本である。‘’減点方式のシステム‘’で評価されてきたボクら日本人の多くは、
失敗はナニよりも恐怖なのだ。
読者さんと会ってみて…
うん笑
あくまでボク目線ではあるが、ずっと笑いの絶えない楽しい時間だった。
笑い、笑い、飲み、笑い、唐突にスベリ…
こんな感じで会は進行しながら、
‘’オレたち出会い系で知り合った仲だな〜‘’
とかクソほどつまんないこと言いながら、
しかしこんな経験が、
この歳になってもできんのやなぁって、
今までまるっきり接点のなかった同年代のおっさん二人が初対面とは思えないほど、
3時間も肩を並べて盛り上がってしまった。
会う前の‘’負の感情‘’なんて一体ナンだったんだろう。
(※内容は日を改めて記事にしよう。少し話を盛ることはご了承頂いているので笑)
やっぱりそうなんだ。
失敗ではなく可能性を見れば、大人になっても実は子どもの頃のような親友を作るのって決して難しいことではないんだろう。
ボク自身、今回の行動によって
自分の周囲にはいないスゴい能力をもった人とつながることができた。
人脈づくりは、えらくたいそうなものとして語られがちだけど、本質は案外その程度のことかもしれないよね。
ありがとう、友よ、そしてnoteよ。