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おめでとう。今日まで辿りついたんだよ。思い出が、また一つ増えました〜♪

関西人であれば、
誰もが知っている神曲がある。

と、、

たったいまボクは
「神」というコトバを使って素晴らしさを表現しようとしたことによって、
皆さまからボキャひんもしくは、時代に乗り遅れまいと必死のおっさんのたぐいだと思われたのかもしれないが、その評価は甘んじて受け入れたい。

でもすまぬ。
ボクのボキャひんぶりは置いといたとしても、モノホンの神曲なのだ。
“神が生んだ曲”といっても過言じゃない。

人生つらいことのほうが多いけれど、
愛あふれて与えられた命を大切に歩んで生きていこう。

そんな深い意味のある歌詞ことばが、熊木杏里の透明感ある歌声にのせられて、平日きまって関西のお茶の間に届けられる。

18時58分。
日本テレビ系列“読売テレビ”

きょう生まれたばかりの赤ちゃんを祝福する『かんさい情報ネットten』のエンディング名物コーナー“めばえ”

ママパパが、
生まれたばかりの赤ちゃんを抱きかかえて幸せいっぱいに誕生の喜びを語り、

最後に二人で声を揃えて

“名前は○○です”

と、わが子に贈った初めてのプレゼントをお披露目する、そんな2分間のショートドキュメンタリーである。

《参照》

この素敵なコーナーをあたたかく、そしてやわらかく包み込んでくれるBGMがこの神曲。

“誕生日”

自分にとって、両親にとって、
ジジババにとって、今いる親友にとって、
同僚にとって、いつか出会うであろう最愛のパートナーにとって、

みんなみんな、
人生で関わる全ての人にとって、

あなたが生まれた日。
それは、唯一無二ゆいいつむにの特別な日なのだ。

誕生日のことは覚えていますか。ろうそくのにおい、胸にためた。

6年前の5月某日。

梅雨らしい雨がしとしとと降り続き、
濡れた新緑の青々しさが美しい日だった。

16時35分。
大きくて、元気な泣き声が分娩室に響いた。

この広い世界の中で初めて聞く
次女の泣き声だ。

声を聞くなり、

一瞬にしてボクの中に流れゆく、ありとあらゆる愛情という愛情は本領を発揮しまくり、その勢いは体内の防波堤をも決壊し、
どこからともなく
ドバドバとあふれだした。

なんて可愛くて、
なんて愛しいんだろう。

胸を大きく動かして
懸命に息を吸って吐いて、
くしゃくしゃな顔して泣いて、

そんな姿をじーっとみていると、
気づけば色んな気持ちをごちゃごちゃにした涙が自然とほおを伝ってきた。

パパママのところにきてくれて、
ありがとう。
ここまですこやかに成長してくれて、
ありがとう。

ありがとう、
ありがとう、
ありがとう、

この子が視力を失うことがあれば、迷うことなくボクの目と交換しよう。

心臓の鼓動こどうが弱まるのならば、一片いっぺんの迷いもなくボクの心臓を差し出そう。

長女が生まれたときに針千本はりせんぼん飲まされることを引き換えに閻魔様えんまさまと取り交わした約束を、やっぱりこのときも同じようにボクはした。

育児なんて、ノリと勢いがあってもどうにもならないことが山ほどあって、自分の思い描く通りに物ごとが運ばないことで溢れ返っている。

でも、わが子が誕生した“この日”に想いをせるとき。大変に思える日々には、数えきれないほどのありとあらゆる‘’愛情”が散りばめられていることをボクは知るのだ。

こども園から巣立ちのとき

3月18日土曜日

春の雨が静かにしとしとと降り続き、
水浴びをした草木がいっせいに背伸びを楽しんでいるような気がした。

この日、
次女が6年間通った“こども園”で
卒園式がり行われた。

長女が卒園したから知っている。

式のメインディッシュは、
卒園証書の授与からの流れ。

園児がみずから大きな声で名を名乗り、
演台に証書を受け取りに行き、
その後、両親の元に歩みよって、
それぞれに感謝の気持ちを伝える。

“おいしいゴハンをいつもありがとう”
“まいにち、おくりむかえをありがとう”

ほんの少し前まで赤ちゃんだったわが子から贈られる感謝の言葉に、両親は子の成長をの当たりにする、

そんな感傷にひたれるシーンがあるのだ。


5月生まれの次女は、
授与される順番が早々に訪れた。

次女は、大きな声で名を名乗ると、
堂々と前をしっかり向いて証書を受け取り、
そしてゆっくり歩いてボクらの元へとやってきた。

さあ、いよいよのメインディッシュ。

まずはボクの前に座るママへの贈る感謝。
次女は真顔でゴニョゴニョ何かを言うと、
ママはそれに反応するやいなや、
突然、アハハッと吹き出して笑った。

あれ、長女のときとなんかちがう。
今日はそんな雰囲気か。

家族のお笑い番長、次女。

続けざまに後ろに座るボクのもとへと
やってきたときは
もはやすでにニヤケ顔だった。

すぐに察した。
あの顔。

なにかたくらんでいるとき、
ふざけようとしているとき、
決まってニヤケ顔をする。

うんちか?おならか?おしりか?

まあ、まあ、まあ、
だよね。

それも照れ隠しをする次女らしいな。
いい、いい。
最後まで、あなたらしくていいよ。
そうか。だったら、こっちもノリでおちゃらけ返しをしてやろう。

そう覚悟を決めて、
次女のコトバを待った。

2秒くらいの沈黙があった後、
あまりにも曇りなき瞳でボクの顔を見ながら、ゆっくりと言った。

“小さいとき、正門でいっぱい泣いたけど、まいにちおくってくれてありがとう。パパがんばったね”

大きな声だった。
最後はエヘっとイタズラに笑った。

、、、

Oh…おぉぉ、、、、、、

ボクの中で封印していた記憶だった。
つらすぎたから。
悩み抜いたから。

思えば日々、
正門で繰り広げた死闘。

3歳になっても、朝のお別れはこの世の終わりかのように、人目をはばからずギャンギャンと泣きわめいていたあなた。

“ごめん、パパは仕事へ行かなきゃ”

そう心を鬼にして、泣きやまないあなたを園に押しつけるように預けるも、
その姿が脳裏に焼きついたまま離れず、 自己嫌悪じこけんおおちいりながら仕事をしたことが何度もあった。

次女に、もっと何かしてあげられたんじゃないか、という後悔。
自分を、もっと楽にしてあげられたんじゃないか、という後悔。

あのときのボクは日々、後悔にさいなまれ、
自分の父親としての不甲斐なさと、次女の育て方や向き合い方に悩みながら、
正論と現実のはざま幾度いくどとなく葛藤かっとうした。

今はそれを懐かしみ、そんな辛かった記憶でさえも笑い話に出来るほどに、そしてここにこうして書けるほどに、

たぶん時間が経った。 

でもあの経験をして良かった、
とは、いまでも言えない。

だってつらすぎた。
大変だったでは片付けられないくらい
本当に大変だった。

そんな記憶をふり返っていると、
式場のBGMが“誕生日”に切り替わった。

ありがとう 理由は なにもないんだよ
あなたという人がいることで いいんだよ

涙もろくなったのかな。
我慢ができなくなった。

自分の中にあるナニかが音をたてて崩壊し、カメラのレンズを下に向けて、ボクはおかしいくらいに泣いた。おそらく自分の人生では記憶にないくらいに泣いた。

そうか。

あの経験が無かったら、
今とは違うパパになっていたかもしれんよな。次女が“結婚したい”と言ってくれるパパじゃなかったかもしれんよな。

そう思うと、
やっぱりあんな経験をしなきゃ良かった、
とも言えないんだ。

ふと、顔をあげて、
涙でにじんだ目を通して
次女の姿を眺めてみた。

成長したなあ、
と思った。

がんばったのはパパじゃない。

赤ちゃんだったのに、
泣き虫だったのに、

あなたが、よくがんばったのだ。

今日まで、
ここまで、
辿り着いたんだよ。

卒園、ほんとうにおめでとう。

ありがとう。手のひら合わせられるのは、あなたがこうしてここにいるからなんだよ。

卒園式が終わっても、
園に預かってもらうことができたので

実際のところは昨日が
最終登園日だった。

ベビーカーから始まり、
次女と毎日通った道を
いつもより早く家を出て、
桜を見ながら、
懐かしみながら、そして噛み締めながら、
ゆっくりと歩いた。

改めて感じた。

末っ子と手をつないだ後ろ姿は、
もう立派なお姉ちゃんだった。

一人で靴を上手に履けなくて、
いつも玄関でパパを困らせてたあなたも、

ちゃんとスタスタ歩けなくて、
抱っこをせがんでいたあなたも、

あれだけ一人が怖がりで、
パパと繋いだ手を離そうとしなかったあなたも、

そこには
もういなかった。

きっと未来のボクは、
“あの頃に一瞬だけ戻りたいなぁ”
と、できもしない事を心の底から願って、

懐かしさと、
羨ましさと、
いとしさと、
でも戻れない寂しさとで、

これからもこうやって胸をいっぱいに
満たされてしまうのだろうな。

そう思った。

よし、この“瞬間”を大切にしなきゃ

最後はパパからのお願い。

正門までの最後の直線。

ギュットにぎって登園。

手のひら合わせられるのは、あなたがこうしてここにいるからなんだよ

小さい小さいはずだった手は、
相変わらず小さいけれど、
前よりもかなり大きくなっていた。

そして手を繋いで桜ロードを歩いた先。

鬼門きもんだった正門に到着すると
ボクの手をそっと離して、
“パパお仕事頑張ってね”
と言って、手を身体いっぱいに大きく振ってバイバイをした。

それはもうね。

満開の桜よりもキレイな
満開の笑顔だった。

おめでとう。
今日まで辿りついたんだよ。

思い出が、また一つ増えました。


ありがとう。
理由は何もないんだよ。
あなたという人がいることでいいんだよ。

やっぱり関西以外の人にも知ってもらいたい“神曲”だなあ。
あ、ボキャ貧すまぬ。

文中に熊木杏里さん作詞の“誕生日”を多分に引用しております(太字、大見出し、中見出し等)。著作権法に則った利用をしているつもりですが、問題がございましたら即削除、修正をしますので直接ご連絡ください。


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