不毛な消耗戦から得るものはない
Rakuten UN-LIMITに料金プランを変更した。
3年以上楽天モバイルを使用してきたので、なにも躊躇することなく新プランへ移行した。
そもそも自宅のWi-Fi環境から離れる日中は個人の携帯電話は殆ど利用しない。You Tubeを外で見ることはない。この歳までSNSを避けてきたからInstagramもTwitterも見る習慣がない。
何か調べたいと思っても平日は一歩外に出れば会社の携帯を利用する。
個人の携帯は常に鞄の中。
着信があったり、アプリの通知はBluetoothに対応した腕時計がアナウンスしてくれるので本当に必要な時だけ取り出す。
こんな人間だからごめんなさい。
まさに使用容量1G未満で0円になる人なのだ。
使い勝手はどうだ。結論から言うと分からない。レビューもクソもない。一般的にデメリットとしてあげられるつながりにくさは自分の生活レベルでは全く問題なし。それよりもRakuten UN-LIMITに対応した機種に変更したことによる快適さが多く、非常に満足している。
携帯電話業界の不毛な消耗戦
政治主導で始まった携帯料金値下げの動きによって、大手3キャリアは3000円を切る新プランを次々に投入。
そもそも格安SIMの存在が値下げ層の受け皿だったように思うが大手キャリアが格安プランを設定しなければならないのは個人的には理解に苦しむ。
しかしDocomo、KDDI、ソフトバンクの第3四半期決算の営業利益をみれば、非通信分野も加算された数字ではあるがボロ儲けってところか。
Docomo 8128億円
KDDI 8710億円
ソフトバンク 8416億円
生活の必需品の地位を築いた携帯電話であるからこそ、これだけ稼いでるんだったらもっと安くしろ、ってのは分からないでもない。
しかし再三になるが、何のための格安SIMだったのか分からない。あれだけバンバンCM流して認知されたものの結局格安SIMに切り替えたのは2021年3月のデータでたったの20.8%という。
結局、大手3社キャリアが値下げすることによって格安SIMで参入したMVNO各社はこれから大苦戦するのは火を見るより明らか。
MVNOがデータ通信のネットワークを借りる際に支払う接続料は電気通信事業法で決められており急に変わるものではない。
MVNOがサービスを提供する上でのベースとなる大手キャリアから回線を借りるための料金が大きく下がっていない現状、料金を大幅に引き下げるのは難しい。ただでさえ薄利多売の状況が続いていただけに、さらに料金を引き下げるとなれば経営自体が成り立たなくなる 。
となるとMVNOが市場から撤退する。
そうなれば携帯市場はいよいよまたしても競争のない、無風状態となることも確実 。最終的にまたそのツケが消費者にやってくる。
この業界は完全に不毛の消耗戦になっている。
僕と息子の消耗戦
僕は下の子と不毛な消耗戦をしている。子どもの教育に不毛と言ってはダメなのは分かってる。
いつか成長することも間違いないので愛情もって現状に向き合うべき、これも分かってる。それを分かった上であえて不毛という言葉を選択する。
むろん、不毛になっているのは親の責任である。だから自分の思いが伝わらないもどかしさより先に反省がくる。
今日の朝、下の子二人を園に送るときに大きなトラブルが発生した。
息子(3歳になる直前)と僕はもしかしたら今頃、あの世だったかもしれない。
通園は歩き。
なるべく住宅街を通り、車通りに出ない道を選択して園まで送っている。唯一、一箇所だけ信号を渡らなければならない。
普段から教える。指差しして「いま赤だよ」「はい、青なった。行こう」
赤の時は手を繋いで青になるまで待つ。リュックの手提げ部分を掴むこともある。自由を制限されると嫌がる、泣く。毎日、このストレスは半端ない。
上の二人は3歳のときにはしっかりと手をつないで反発もせずに親と一緒に青になるのを待った。その反復行動により、赤は止まれ、青は進め。自然と身についた。
息子はこれができない。
僕は教育を放棄してたのだろう。
身体の一部、リュックサックの一部を掴むと泣いて嫌がるので、次第に車道側に立って子どもの方を向いて進路をふさぐことで安全を確保する形をとり始めた。青になるまで進路を妨害しながら必死に「赤は止まれ」と繰り返し口で教える。青になったら進路を開けて「進んで良いよ」って。良い見本も3月までは2人。今でも1人いる。いつか分かるだろう。
教育していたつもりだった。
いつもと違う状況に油断
今日、状況がいつもと違った。
次女が先を歩いていて、僕は息子の歩幅に合わせて住宅街を少し遅れて歩いた。次女は先に信号に到着してもいつもは僕らを待つのだが、今日は一人で青になって渡ってしまった。僕らのペアは渡ることができなかった。
お姉ちゃんが既に信号を渡った先にいる。息子にとってはこれは初めての光景であった。この初めてを甘くみすぎた。
いつものように掴むと嫌がるので車道側に立って車道に出ようとするのをふさぐ。車道の左に目をやると、はるか遠くにトラックがやってきている。仮に飛び出てもまぁ、引かれる距離じゃないな。そんな油断をもった矢先である。
小さな影が素早く動いた。
僕が鞄を持っている左手の下をくぐり抜けるように車道に飛び出した。
あっ!!
とっさに鞄を持ったままの左手でリュックを掴もうとするが華麗にスルリとかわす。僕の脳裏には向かってくるトラックの残存がある。
これはヤバい。
もう手じゃつかまえられない。身体を左回転させてダイブ。まさにラグビーのタックルのように息子めがけて飛びかかった。体を掴んだので顔から派手に落ちた気がした。息子の状態は確認する余裕もない。すぐに抱えて歩道に退避。あんなに遠かったトラックは20m手前まできていた。
顔を見た。おでこにすり傷の血が。ぎゃんぎゃん泣いている。ごめん。トラックの運転手さんもごめん。あと数秒で多くの人の人生が変わっていた。当然僕も。
毎日、この信号で命に直結する戦いのストレス。ここに来ると気分が本当に滅入る。
毎日、教育しているつもりだった。しかし息子にとってはいかに僕の壁をくぐりぬけるかの遊びでしかなかった。お互い消耗するだけで進歩や成果のない(≒不毛)争いを毎日繰り広げていただけなのだ。
今回のことだけじゃない。息子のこういう親のシツケが伝わらないのは数えたらキリがない。真剣に息子との向き合い方を考えなければならない。
シンプルな答え
ベストセラーにもなった「嫌われる勇気」にもあるように、アドラー心理学では「勇気」という言葉が大変多く使われる。
アドラーの定義する「勇気づけ」とは自分で問題解決ができるという「自信」を持つことが最も重要としている。
よくアドラー流子育ては、「褒めない子育て」と言われる。子どもが自分の能力を信じて行動できるようになるための子育ての方法。
親のかかわり方のポイントは、操作や支配をしない。「褒める」と「しかる」は、いわば上下関係を作り出し子どもの行動をコントロールしているようなもの。子どもに「褒められるからやろう」「しかられるからやめよう」と発想させるのではなく、自分でやりたいと思ったことに対して、自信を持って行動できることを重視する。
理屈はよくわかる。
「やればできるんだ」
子どもだけじゃない。この自信は大人になっても次への原動力となる。
ではその自信に至るまでに親は何を支援したらいいのか。赤信号止まったら褒める、進んだら怒るではないのだろう。赤信号の間は手を掴んでおくという発想もアドラー流ではない。
住宅街は今までどおり普通に歩かせる。大通りになったら強制的に抱っこして赤信号で止まって、青信号渡るまで離さない。何も言わない。
そうか、もうこれでいいんだ。
なぜここでは自分だけ抱っこされるのだろう、なぜ今までの自由を奪われたのだろう。お姉は赤信号で止まって待ってる。青になったら手を上げて進んだ。あぁ、ここは特別な場所なんだ。
自分で気づくまで怒らず褒めず。
午前中悩みまくったけど、もしかしたら答えは意外とシンプルなことだったのかもしれない。
それにしてもスーツも破れた。
結構良い素材のお気に入りだったけど、、、
育児から教わったこと
自信をもって自己判断できるまで褒めない怒らない。じっと見守る。