ドラム式洗濯機がなくても生きていけるけど、ドラム式洗濯機がない人生はつまらないのだ
以前、このnoteでも熱く語ったことがあるがボクは学生時代、まさに「松本信者」「ダウンタウン病」であった。
ボソっと真顔で辛口を言って笑いを誘う。
どうでもいいことの細かすぎる描写が面白い。
スベって面白い。
逆ギレして怒っているその雰囲気が面白い。
そんな‘’新しい笑いの文化‘’を生んだダウンタウンの笑いに心酔し、彼らが出るテレビ番組をハシゴしていた。
緊張の緩和
お笑いの教科書には必ず
「緊張の緩和」
が登場する。
人は快感を得る時に、緊張から解き放たれて緩和する。その「緩和」の部分が笑いであるという理論である。
上方落語の落語家の桂枝雀師匠によって提唱されたもので、
松本人志さんの「笑いの理論」にもよく使われる。
動的情報の映画や喜劇であっても、
静的情報の漫画や小説、
そしてこのnoteであっても、
世の中にあるもののほとんど全てが
「緊張の緩和」
で笑いが起こるものとボクは思っている。
こんなことをこんな形で公表するのは恥ずかしいが、ボクのnoteでもコレを意識して綴った記事がいくつかある。
素人なので決して万人から面白いと思われるとは思っていないが、
ノンフィクションの日常の「小さな笑い」であっても
オチに向かう前半と中盤で
怒りだったり、いらだちだったり、恐怖だったり、
‘’笑いとは真逆の様相‘’
をコト細かく丁寧に描写することによって、
これが少しだけ大きな笑いに生まれ変わる。
「クスッ」から「ふはは〜っ」
くらいになる効果であれば、
この法則に従うだけで、もともと‘’笑い‘’を伝えにくい性格の文章でさえも不思議と実現できてしまうのだ。
こちらは、読み手に前半部分で「イライラ」を共有して欲しいと思ったし
こちらは、読み手に前半でピリっと怖い「小姑像」を擦り込もうとした。
トップ固定記事は、日常では見過ごされるほどの「超小さな笑い」ではあるが、コト細かな背景描写によって、読み手をボクのいた空間に一緒に連れていこうと思いながら綴った。
だから全記事において言えることだけど、
そう、オチだけを読んでも全く面白くない。
伏線を張って、張って、張り巡らせて読み手に臨場感・緊張感を与えてから落とすことで、小さな笑いが大きくなる。
だから、ボケた一文を唐突に入れたり、
「面白いことがあってね…」と最初に言ってから書き出したところで、
笑いとは真逆の緊張感が読み手(聞き手)の脳内を支配していない段階では、オチを言ってもスベりたおしてしまうことが往々にしてあるのだ。
「偉そうに素人が『笑い』を語ってんじゃネーヨ!」
といったご指摘は、そう、ひとつも間違ってない。
そのとおりなので満を持して、そして甘んじて受け入れたい。
安心してほしい。
ボクが今日言いたいのは実は、そんなことであって、そんなことじゃない。
少なくともおこがましき「笑いの理論」ではない。
人間は、もっとラクをしていい。
ボクたちが「笑って楽しく生きていく」ためには、
「緊張と緩和」
の両方が大事なんだ。
だから、日常的に家事や育児や介護で、ピリピリしているような人はもっともっとラク(緩和)をして、より大きな笑いのある生活にした方がいいんだよ
と、伝えたいのだ。
ドラム式洗濯機が壊れた
結婚して9年。
ドラム式洗濯機を使用して9年。
子どもができてからは毎日のように
「洗浄から乾燥」までを
フルフルMAXで使用してきた。
もはや洗濯機がウインウイン回転する煩わしい機械音と、終了をお知らせる軽快なポップなメロディーは、すっかり我が家のありふれた‘’音‘’として日常に溶け込んでいた。
そんな平穏だった日々。
ついにそれを切り裂く日が訪れようとは…
想像だにしなかった。
あれは11月下旬の肌寒い日の夜だった。
そう。それはもう、突然に…。
洗浄から乾燥に切り変わった瞬間に
「ンヴォッ」
みたいな、気持ち悪い感じの重低音が鳴り響いた。
一瞬ナニが起こったのか分からなかった。
その後、
「ンンンっっ、クオオオ〜ンッッ♡クオオオ〜ンッッ♡!!!」
と、妙にエロティックなニュアンスの混じった、相当に本格的な感じの喘ぎ声のような音と共に、なにやら怪しげな独特な動きを始めたのだ。
ボクは軽いパニックを起こしながら無我夢中で
「止める」ボタンを探した。
しかし普段から『これっきり』ボタンしか押さない上、この音はさすがにちょっと……子どもの教育上によくないと、余りにも気が動転し焦ってしまったのだろう。
「止める」ボタンの位置が全く分からない。
あたふたしながら、やっとの思いで‘’喘ぎ音‘’を止めた僕は、
束の間の平穏の中で妙な達成感に包まれた。
するとどうだろう………
9年間の洗濯機との思い出が走馬灯のように蘇ってきた。
そうだ。
思えば楽しかった思い出はいつもドラム式洗濯機と共にあったんだ。
あのうるさくて、煩わしい機械音が鳴り響く中で、「BGMとして快適だね」と強がって子どもたちとスゴロクして楽しんだ日々。
雨の日が続いても、乾燥機があると思えば鬼に金棒だった。梅雨前線に震え、怯え、そしてココロを支配されずにすんだ「the日本の梅雨」。
ええぇぇ、水溜りにビシャビシャするから靴びっしょびしょで明日履くものないやん!
いや、そんな時でも‘’ドラ洗乾‘’に任せなさい。ぶちこんでクルクル回せば、みんな晴天の笑顔になった。
ドラム式洗濯機は当たり前にそこにあって、こんな急に動かなくなるなんて思っていなかったんだ。
故障してからの一週間。
それはもう大変だった。
衣類を一枚一枚、ハンガーにかけてベランダ干しをし、朝起きてから取り込む毎日。
濡れた手指が冬の外気にふれて冷たい。
おまけに十分に乾いていない時もある。
3人育児、正社員共働きを言い訳にしたくはない。しかしこの作業を習慣化していない我が家にとっては、想定外の過酷な重労働となった。
疲労困憊。
ボクは悟った。
ドラム式洗濯機がなくても生きていけるけど、ドラム式洗濯機がない人生はつまらない。
晴れ晴れとしたお天道様の下で乾燥し、紫外線殺菌するのもそりゃあ良い。
でもボタン1つで洗濯を終わらせ、
あいた時間で家族や自分の時間をつくること。
それは魅力的で、そして充実した日々を送る原動力そのものだったんだ。
そして新ドラム式洗濯機が届いた
パナソニック製のワンランク型落ち (NA-VX900BL-C)で約26万円
わずか1.5時間で「ふわふわ」に乾燥できるところに惹かれた。
8年寿命で考えると
本体の減価償却は
26万÷8年=32,400円/年間
つまるところ月間2,700円
電気代は毎日乾燥機能を使っても
月間1,000円未満という。
だ・か・ら
本体代の減価償却費と合わせると
2,700円+1,000円=3,700円/月(水道代無視)
ボタン1つで人間の手作業よりもクオリティ高い仕事をしてくれてこの費用。
そりゃもう我が家にとっては、手放せない安すぎる代物なのだ。
一日は皆に一様で24時間しかない。
機械を活用することによって
家族の時間、自分の時間が
‘’激増‘’する。
「絶対に私がやらなきゃいけないんだ」
「家事や育児は親が愛情もってするべきだ」
という強い道徳心から生まれる責任感は、時として人の負担を覆い隠す。
負荷がかかっているのに気付かずに、心身ともに緊張でずっと張り詰めた状態でいると人間はおかしくなってしまう。
面白いことも面白いと感じなくなり、その結果、病気になったり、だからと言って決して肯定できないがおぞましい事件に発展することだってある。
だから言いたい。
家事は投げられるものは、全部機械に投げてしまって負担を‘’激減‘’させるべきだ。
家事は‘’快適‘’に生活するためのもの。
‘’快適さ‘’のためにストレスを溜め込むなんて、
本末転倒である。
どんどん仕事を機械にぶん投げて、ラクをしていけばいいんだ。
人間は‘’もっともっと‘’ラクをすることを選んでもいい。
辛いのを我慢するだけが人生じゃないはずだから。
ボクたちが楽しく生きていくためには、
緊張と緩和
常に、この両方が大切なんだ。
昭和版「3種の神器」と現代版「3種の神器」
昭和の人々は、洗濯機、テレビ、冷蔵庫を「3種の神器」と言い、あこがれの的としたそうだが、
現代版の3種の神器は
「ドラム式洗濯機・食洗機・ルンバ」
と言われている。
これらは、時短家電としてとてつもないイノベーションであり、AI時代を生きるボクたちに素晴らしい気づきを与えてくれた。
我が家では現代版「3種の神器」のお陰で、日常の自由時間が倍どころかそれ以上に増えた気がする。
洗濯や食洗機は、洗浄から乾燥までをボタン1つ。
掃除はスケジュール登録すればルンバ3台が決まった時間に毎日稼働し、仕事から帰れば‘’部屋の片隅以外‘’はピッカピカ。ルンバができなかった片隅は、アナログ的に掃除機で吸い取る。
もうこれらの家事は、総合計しても人間の可動時間はものの10分程度で、我が家では大幅な時間削減で完遂できるようになった。
ヘルシオのオーブンもいいが、コスパや省力化でいえば圧倒的に電気圧力鍋
現代版「3種の神器」にはノミネートされていないが、ボクは電気圧力鍋も画期的な時短家電として強く押したい。
多くの料理が実働5分程度で終わる。
野菜や肉を切って電気圧力鍋に入れるだけ。
煮るも焼くも調理の実働時間はゼロなのだ。
おまかせ調理のメニューボタンが80種類程度用意されており、食材を切って合わせ調味料を入れて適切なメニューを選択するだけで、あとは機械が全部勝手に自動で調理してくれる。
鍋の前に立って、火加減とか、アク取りとか、かき混ぜとか、鍋が焦げ付かないかとか一切気にする必要がない。
何時間も煮込んで作るカレーも、おでんも、牛すじ煮込みも、ボタン一つで全部おしまいである。オマケに我が家の夫婦のどちらが作るより、圧倒的に旨い。
おふくろの味の存在自体を否定するつもりはないが、たぶん何時間も料理を頑張っていたかぁちゃんのよりも旨い。
もうボタンをポチれば、本格的な料理を堪能できるのだ。
やれサバ味噌やら、ローストビーフやら、豚の角煮やら、ポテトサラダやら、煮込みハンバーグやら材料ブチ込んで完成するまでほったらかして遊びながら待つのみ。
我が家は便利すぎてメーカー違いを2台もっているが、1台2万円の初期投資で、料理という作業と時間のストレスから一気に開放してくれた革命的神器である。
仕事と家事を両立する女性はステキだが、仕事の疲れを癒せて初めて女性活躍が成り立つ
家事ってものは、自分の家のことしか見えない。だからそれが普通か異常かなんてあまりわからない。
「主婦だって大変だ!」
「だったらオマエが働いてみろ!」
大変だ、大変だと騒いで、だから褒めて!
お礼を言って!私の頑張りを認めて!
家庭内ではこの類の承認欲求がタイフーンのように猛威を振るう。
それが終わると今度は
「私は、、オレは、、これだけ頑張っている!」
と謎のアピール合戦。
こんな状況は、まさに群れの中で頂点に立ちたいと思う低俗な欲望の権化。野生のゴリラと変わらない。
マウンテンゴリラならぬ「マウンティングゴリラ」と呼んだって良い。
はっきり言って夫婦間で
「どっちが大変だ」
「どっちの方が稼いでいる」
と序列をつけることにまったくの意味がない。
それならば、
「どっちもラクをしよう」
でいいんじゃないだろうか。
こんなことを言ったらその世界に生きる人に怒られるかもしれないが、
家事って、そんなに大切なものなのだろうか?
人生の楽しみは、自分の好きなことに自分の魂をぶつけて全力でぶち当たっていくことから生まれる。
そのためだったら、苦手なコト、面倒くさいこと、嫌なことは機械の力やときどきプロの力を借りることは悪いことじゃない。
人生を振り返ってほしい。
胸の奥底からフツフツと湧き上がる燃料が点火し、本能としてエンジンがかかる時。
踏み込んだアクセルが全開となって最高のパフォーマンスを発揮できる時。
それは命令されたときではなく、
義務感によるものではなく、
心が惹かれて、
心が動かされた、
まさに、その瞬間なのだ。
だから何度でも言いたい。
人間はもっとラクをしていい。
家事にしても、育児にしても、そして介護にしても抱え込まずに、‘’もっともっと‘’ラクをしたら良い。
そして自分の好きなことに思いっきり自分の魂をぶつければいいのだ。
というか、この記事を書き始めてから3時間経過
ここまで5,500文字も綴ってきて、散々、伏線を張りまくってきたはずだが、まったくオチもなければ、その気配すら感じられない。
素人のくせにドヤ顔で‘’笑い‘’を語った2時間40分くらい前のオレをぶん殴りたい。
本当に恥ずかしい。
そして‘’笑い‘’に精通されている方々、大変申し訳ない。ご容赦頂きたい。
そもそも、これだけ時間がかかったのには理由がある。
ダイニングテーブルでカタカタと真顔でこの記事を打ち込んでいるが、妻が起きてからというもの先ほどから何度もボクの後ろを通っている。
5分に一回くらいせかせかと通る。
そのたびに書いているものを見られているんじゃないかと変な緊張が走る。
これがわずらわしい。
あれ?ちょっと待てよ。
時短命の我が家にそんなにバタバタする家事ありましたっけ?
ん?
も、もしかしてだけど、
このつまらない記事で唯一、面白くしなきゃと何度も立ち戻って推敲を繰り返して頑張っている
「ンンンっっ、クオオオ〜ンッッ♡クオオオ〜ンッッ♡!!!」
のエロティック模写のところ。
ここがPCからふとあなたの目に入って、
早朝から真顔でそれを綴っているボクのことを「変態」、
もしくは「サイコパス」じゃないかと恐ろしくなって、
さりげなく後ろを通るふりして文脈を確認しようとしているのじゃないだろうか。
え?そういうことなんですか?
…だね。きっと。
じゃ、そろそろ…締めさせてもらおう。
もうええわ。
やめさせてもらうわ。
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