「継続は力なり」だが野球を10年続けても大谷選手にはなれないんだよな
「継続することが一番難しいよ」
これは僕が入社したばかりの社員や就活生向けの講義、現在の部下、そして子どもたちに対して「人生の先輩面」して多用する言葉だ。
何事も上達するには継続が大切で、コツコツと続けることが上達への道であることは誰もが知っているが、実態として人間は苦しい時に都合のいい「やめる理由」が頻繁に出没するため脱落も多い。
僕もその一人だ。
やろうと決意して続かなかったものは無数にあって、続いているものは少ない。株は放置して機械的に購入しているだけでありこれを継続とは言えない。自信を持って言えるのはランニングと読書くらいであろうか。
継続は上達の前提となるが、ただ一方で時間を重ねるだけでは意味がないこともわかっている。
3人のレンガ職人の話
社会人一年目の研修でよく使われる有名なイソップ寓話で『3人のレンガ職人』という話がある。
レンガを積んでいる人に
「何をしているんですか?」と聞いたところ、3人がそれぞれ違った答えをしたという話である。
1人目は「レンガ積みに決まってるだろ」
→目的意識なし
2人目は「この仕事のおかげで俺は家族を養っていける」
→目的が生活費を稼ぐ
3人目は「歴史に残る偉大な大聖堂を造っている」
→目的が後世に残る事業に加わり世の中に貢献する
FIREを目指す僕は2人目の職人だが(笑)、この中で一番モチベーションを高くして仕事をしているのは、明らかに3人目の職人であろう。目的を果たすため多角的に取り組むことになり、発生する様々な障害にも自ら立ち向かって解決しようと動くため、次第に他人にはない特別なスキルが身についてくる。
先日、記事にも書いたUSJの清掃員もまさに3人目の職人だ。
「私はレンガを積んでいます」の目的の人は、レンガを積む作業だけは一流になるかもしれないが、そんな代わりがきくようなスキルは客観的には「上達」と評されるだけであって、一流か二流かの評価対象にすらならない。
ブログで他人の文章をただ「タイピングしている」目的の人が、決して文章力が向上しないように、目的が不純だと時間を重ねて継続したところで一流に辿りつくことは永遠にない。
大きな成功を収めるには1万時間もの練習が必要(1万時間の法則)の誤解
これはマルコム・グラッドウェル氏の著書「天才!成功する人々の法則」で説かれた法則である。
「エリート演奏家は20歳までに、合計で1万時間の練習を積み重ねた」という結果が出たと述べ、大きな成功を収めるには1万時間もの練習が必要だという「1万時間の法則」の存在を指摘した。
※しかし同時に「ただ10000時間過ごすだけでは一流にはなれない」とも語っている。
仕事を辞めようとする若者を職場のおじさんたちが諭す際にもよく時間がもちだされる。根性がないといって「3年」が登場する。
「石の上にも三年」を念頭に置いて「たとえ冷たい石の上であろうとも長く耐え忍ばなければならない。3年辛抱して続ければその先が見えてくる」という理屈だ。
こういう会話を目の当たりにすると、今の若い人と、その世代では「経験してきたこと」や「環境」にあまりにもギャップがあると痛感させられる。キャリア論の「年数」をもちだすおじさんは1つの会社に勤めることが美学のような考えが根底にあって「転職する人間=根性がなく、成果を出すことができなかった」と解釈する傾向にある。
しかし今の若い人はインターネットやテクノロジーの中で生きてきたため「この前まで良いと言われていたものは変化して当然である」との考えが根底にある。
つまり冷たい石の上に三年も乗っていられるような人は「そもそも石が大好き」なのか、「石の向こうに大きな目標がある」のだろう、という感覚である。
野球を10年(3時間/日✕10年≒10,000時間)続ければ大谷になれるのか?
大谷翔平選手の活躍が止まらない。
彼の快進撃は誰もが認める偉業で、僕らは今、伝説に立ち合っているのだ。
国民栄誉賞を受賞した松井秀喜氏が2004年にマークした日本人最多本塁打記録(31本)を塗り替え、今尚ホームランを量産中だ。
これの凄いのが松井秀喜氏の放った31号は出場159試合、674打席目に記録されたのに対し、大谷のそれは出場78試合315打席目。半分以下の打席数で到達したことになる。
シーズン60本ペースで、これだけ長い歴史あるメジャーリーグで仮に60本打てば歴代8位。筋肉増強剤「ステロイド」時代のメジャー記録を除くと歴代1位、2位のペースである。
とんでもない伝説を作ろうとしている。
そんな大打者が投手としても球速100マイル(160キロ)を連発するなどの怪物ぶりで、日本だけでなく野球の本場全米を震かんさせている。
誰でも10年野球を続ければ大谷翔平になれるのか?というと、そんなことはないのは自明である。大谷選手は極論中の極論になるが、10000時間野球に時間を費やしたところで日本のプロ野球の二軍選手ですら簡単になれるものではない。
僕の出身高校は県内では有名な野球強豪校で、同級生にも遠隔地から寮生活を余儀なくされるが「甲子園にいきたい」「プロ野球選手を育てた監督に教わりたい」といった目的で入学した生徒がゴロゴロいた。
彼らの大半は幼稚園、小学1年生の頃から10年近く野球をやっており体格もでかい。僕のような素人から見ても普通の高校生と「モノが違う」のがわかる。練習も毎日朝練2時間から始まり、授業終わりに16時~20時までみっちり特訓する。その上、レギュラーの座を掴むため居残り練習も競い合ってやっていた。彼らは勉強よりも野球に捧げた高校生活を送った。
しかし結果的に僕が在籍した三年間は甲子園に出場することもなく、「モノが違う」と僕が思っていた同学年の球児も結局、プロ野球、大学、社会人のどこからも声がかかることはなかった。
つまり「何年間継続してきたか」「何時間真剣に取り組んだか」ということだけでは、その世界で「一流」になれるとは言い難い。
ビジネスの世界でも同様である。
10年同じ仕事を続けて、その領域で「一流」と呼ばれる人もいるが、反対に全く芽が出ない人もいる。
年間の勤務時間
8時間✕22日✕12ヶ月=2112時間
多くのサラリーマンは、年間おおよそ2,000時間働いている。つまり5年で10000時間。では5年以上働いてきた社員で「一流」と呼べる人はどれくらいいるだろうか。
20年以上働いてきて40000時間費やしてきた会社のおじさんで、どれくらい「超超一流」がいるだろうか?
常識的にもわかるように、ただ「10000時間過ごす」だけでは全く意味がない。「一流」になるためには「継続」に加えて「持って生まれたセンス」や「上達する意志」を持つことが重要な要素になると考えられる。
今の時代は、常に勉強しアップデートし続けなければ3年で古い人になる
何が言いたいのか?
あえて極端な結論を一言だけ言うと、キャリア論で「年数」「時間」を理由に説明する人の話は全部無視すべきである。
年数と成果は緩やかな相関はあったとしてもそれが全てではない。むしろ年数を重ねることで環境変化に順応するハードルが上がってしまうことだってある。
人間は本質的に怠惰なので、同じ手順で業務を続けられるならそれに越したことはないと潜在的な欲求がある。それは歳を取れば取るほど強化されていく。 端的な例で言うと、Web商談の価値を認めない昔ながらのおじさん営業マン。
「営業というのは『膝を突き合わせる』のが基本だ!」と言い張っていても、クライアントの立場からしても「わざわざ会社に来てもらわない方が時間的にも、気遣いの面においても最低限で済んで効率的です」という観点を持つようになってしまった。
いつまでも長年のやり方に高い価値観を持っているようでは時代に取り残されてしまうだけだ。
つまり今の時代は情報をアップデートしないまま「石の上にも3年」なんて言ってるうちに、時代遅れの古い人になる。
結局、僕が言いたいことは、
「自分の軸を持ちながら、常に新しい情報をアップデートする努力をして自分流の方法に磨きをかけ続ける。」
こういう人がその領域で長いスパンで活躍でき、今からの時代で「一流」と呼ばれる人だと思う。
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