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ジャッジを外すと?

3日連続のジャッジのお話です。今まさに格闘していることでもあります。

昨日、一昨日の投稿はこちらです。




何故ジャッジを外すのか


その方が楽だからです。
ジャッジがあるために、息苦しく、辛い思いをするのです。

究極は、

どっちでもいいや

です。

  〇〇でなければならない

    ↓  ↓  ↓

  〇〇でも、〇〇でなくても どっちでもいいや



人を笑顔にしなければならない


「人を笑顔にしなければならない」
これが 今日新たに見つかった私の中にあるジャッジです。

考古学の世界なら、「おめでとう!新発見!!!」とでも祝いたくなりますね。

でも、ジャッジもある意味、「見つかっておめでとう!」です。

これを手放せば、もっと楽に生きられるようになるのですから。


このジャッジのおかげで、冷ややかに見られているのを感じながらも

道化を演じたりして、自己嫌悪に陥ることもよくありました。

本当はやりたくない時にも、懸命に周囲を笑わせようとしてきました。

時には、私も黙っていたい!!




どうして このジャッジを持ったのか


掘り起こしてみれば、やはり幼い頃の母との関係にたどり着きました。

母は怖い顔で、無言で「私がなぜ怒っているのか察しなさい」と圧力をかけてくる人でした。

幼い私はいつも母の顔色をうかがって、母を笑顔にしなければ自分は生きていけない

と感じていたのでしょう。

(幼児は、親の庇護がなければ生きられませんから。)



このジャッジの弊害


私自身もいつの間にか、

   いつも笑顔でいなければいけない

という副産物のジャッジを身に付けていました。それは、相手を不安にさせないためでした。

なので、いつも笑顔を貼りつかせています。

私はウェルスダイナミクスで言うところの右側ですが、

一度、左側の講師のレクチャーを受けた際に

「意味もなく笑っているのは、相手に ”バカにされている” と感じさせる  
 からやめた方がいい」

と言われたことがありました。びっくりしました。
そんな風に感じる人がいるのか!と。

その講師の方は、確かに普段あまりニコリともしない方でした。


 無表情でいてもいい

 笑っていなくてもいい

これらは、私にとっては新しい感覚で、未だに見張っていないとすぐに忘れてしまうものです。


実例に戻ると・・・


つい先日、平静を保てないほど取り乱したことがあったのですが

そのきっかけが、私の生徒さんの中に授業中にむすっとしている人がいる

ということでした。

その特定の生徒さんの表情が気になって、授業中心にさざ波がたってしまいます。

これに対処するには・・・

 笑っていなくたっていいじゃん

 嫌われたっていいじゃん

 ダメな先生でもいいじゃん

 私はこのままでOK

これを 繰り返し、もう一人の私から私へ、メッセージとして送り続けることです。


さてさて 結果はどうなりますことやら。
また報告いたしますね。


私に関わる全ての人に元気と勇気を!
そしてその人の変化を有形無形で応援していきます!!!

楽に生きてもいいじゃん これもまた私が私に投げかけている言葉の一つです。「楽に生きてはダメ」というジャッジをお持ちの方は他にもいらっしゃるのでは?(^^)
ちか (2024.3.18)


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