ひとり時間の大切さ
今日は、「ひとり時間」の大切さについて書いてみたいと思います。
特に、自分軸が限りなく細くて、他人軸で生きている人に。
他人軸から自分軸へ
他人軸で生きるのはシンドイです。子供の頃は、まぁ親くらいでしょうから、他人軸といっても単純でした。
私はそれを、成人してまで他人軸で過ごしましたので、周囲のいろんな人の意向にいちいちあっちへフラフラ、こっちへフラフラと従おうとして、すっかり心は弱り切っていました。
他人のことを優先し過ぎて
他人の顔色をうかがったり、他人の言う「これが正しい」に合わせようとしてばかりいると、
ー 自分で考えることができなくなります
ー 身の回りの上司、親、夫、いろいろな人に常に「これでいい?」と承認を求めるようになります
ー 自分の考えや、気持ちがそもそもわからなくなります
私は社会人になって、そんな状態で、すぐに涙が出てしまう情緒不安定になっていました。
(こんなに頑張っているのに、なぜそんなことを言うの?
あなたがこうしろと言ったからやったのに、なぜそんなことを言うの?)
言葉にはなりませんでしたが、きっとこんな心境から涙があふれていたのでしょう。
「心の中に自分のスペースを持って」
そんな時に、すがった先(ヒーリングをする団体。そこのNo2の女性を慕っていました。)で、「自分の心の中に、自分のスペースを持つといいよ。」と言われました。
当時は全くなんのことがわかりませんでした。
それが、ここ最近、急に思い出され、やっと「あぁこういうことかもしれない」と腑に落ちました。
操縦席に他人を座らせない
自分の人生、自分が操縦席に座るんだ。他人に操縦席を譲ってはいけない。
こんな風にもよく言われていますが、同じことだと思います。
他人軸で生きていた頃は、操縦席にとっかえひっかえいろんな人を座らせては、あっちへ向かったりこっちへ方向転換したりと、それはそれは落ち着きのない、方向性も定まらない日々を送っていたというわけです。
ひとり時間は何故必要だったか
とにかく、他人がそばにいると、5感をフルに活用して、先回りしてサービスしてしまうのが私でした。自分のことは二の次。
本当に、自分は何にも集中できなくて、いつも四方八方を気にして、相手が求めていそうなことは先回りして、頼まれないうちから過剰サービスするような性格でした。
こんな私には、誰も周りにいない「ひとり時間」が必要でした。
7年前の家出
一人暮らしで物理的なひとり時間
2016年10月。直接的な理由は「ひとり時間を持つため」ではなかったのですが、当時、夫と娘と暮らしていた家から家出しました。
私としてはかなり用意周到に準備した上での突然の家出。
家出先は、隣駅から徒歩30分ほどのアパートでした。
細かいことは忘れてしまったけれど、とにかく物凄く精神的に「ほっとしたー!」と解放感を感じたのだけは覚えています。
すぐには芽生えなかった自分軸
とはいえ、当時49歳。49年間染み付いた他人軸の癖が抜けるのにはなかなか時間がかかります。
最近、56歳になってもまだ、「あ、これは自分で決めていいんだ。うっかり”やってもいいか”を他人に問うところだった。。。」なんてことがある位。
少しずつ少しずつ。それこそ、今夜何を食べたいか。今部屋でどんな音楽をかけたいか。どんな仕事をするか。どんな人と交流するか。ひとつひとつ、自分の判断で決めていく作業をしていきました。
自分にまるっとOKを出せてから
自分にまるっとOKを出せたことはとても大きかったです。これはつい最近のこと。
ー ダメな自分でもいい。(成長の過程の一コマでしかない)
ー 失敗してもいい。(それも成長の糧になるだけ)
ー 他人からどう見えてもいい。(それぞれ皆、違う課題をやりながら生きてるんだから)
そう思えてから、何かやり始める前に「~てもいいですか」と聞かなくなった自分を発見しました。
自分の中のスペースはできたか
他人軸のころは、洗いざらい全てさらけ出して、「これでいいでしょうか?」と聞いていました。
自分の中に自分だけのスペースなどありませんでした。
それは、全てさらけ出して、他人に良し悪しを決めてもらう楽なやり方。
でも窮屈で自分がないやり方でした。
今は、人に見せない部分があってもいい。
自分の中でだけ抱えている問題があってもいい。
と思えるようになりました。それは時に苦しいけれど、自分が一人で人生というジムで筋トレしている状態。自分が生まれる時に成し遂げようとした課題のために必要なトレーニングだから、それでいいんです。
56歳にして、やっと、自分の中のスペースが生まれました。
私に関わる全ての人に元気と勇気を!
そしてその人の変化を有形無形で応援していきます!!!
自分の評価軸でいいんです!
ちか (2024.1.26)
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