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目に見える障害、目に見えない障害


世の中には一目見て明らかに障害者だとわかる人 一目見ただけでは障害者だとわからない人もいます。このnoteではその点について考えてみたいと思います。


「目に見える」障害とは


私は身体の一部に障害があります。

ひとめ見てわかるらしく 生活のあらゆるシーンで はたまた すれ違いざまに ジーっと見つめられることもしばしば。

全く知らない人なのに、です。

スーパーのレジでは こちらが何も言わなくても かなりの確率で 「お荷物、お車までお運びしましょうか?」と声をかけられます。

その店員さんは 好意で言ってくださっているというのはよくわかるのですが 言われ慣れた今でも はあぁ、と何とも言えないしずんだ気持ちになります。

子どものころから 強くなりなさい、と色々な人から言われ続けてきましたし 自分でも強くならなければ と思って なるだけ気にしないように生きていますが 自分一人だけの時は泣いてしまうこともあります。

「目に見えない」障害の人もいる


そうかと思えば 世の中には「目に見えない」障害と共に生きている人もいます。目に見える障害のある私としては 一見健常者と変わらない風貌というか 「ちゃんとした顔」の人は羨ましいなあと思ってしまいます。

でも きっと 一見健常者と変わらないがゆえに 障害を理解されず 悔しい思いや歯がゆい思いをされるであろうことは容易に想像がつきます。

その点は 「目に見える」障害の私は 恵まれているのかもしれないと思ったりもします。だって こちらからお願いしなくても 何の縁もゆかりもない見ず知らずの私に 買ったものを車まで運びましょうか と声をかけてくださる店員さんがいるのは まぎれもない事実ですから。

まとめ


ここから先は あくまでも私の個人的な考えなのですが 言語が不明瞭だったりすると 必要以上に幼く見られたり 成人なのに「ちゃん」呼ばわりされたり。そういった印象を受けます。

なんだか とりとめのない話になってしまいましたが どちらの障害を持って生きるとしても いかに 自分のことを理解し 親身になって 必要な時は手を差し伸べてくれる人や仕組みと巡り合えるか 障害のある人がその人らしく生きていくための最初のステップは その一点にかかっていると思えてなりません。

もし この文章が 「目に見える」障害 「目に見えない」障害に苦しむ人の 何か行動を起こすきっかけ たとえば 誰かにメールを送るとか そういう小さな小さな行動のきっかけになってくれたら なんだか私も 自分のもやもやを吐き出すために書き始めたこの記事を 削除しなくても済むのではないだろうか などと ネガティブポジティブ変換して 記事をアップすることをお許しくださいませ(^▽^)/

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