【節約生活#185】仕事をすっぽかす〜時間の節約か
趣味で節約生活をはじめてみた。
健康で文化的な生活をしながら節約をするというルールで挑戦中。
時間の節約
いつの間にかたくさんの仕事だとか、煩雑な作業がたまっていく。そういうあれやこれやに押しつぶされて身体的にも精神的にも病んでしまう人が周りにも結構いる。自分だって体を壊したことがある。
最近流行りのSDGsの流れからしても、ひとを使い潰すのは良くない。そもそももったいないではないかとは思う。
それでも現実は、細々とした連絡から大きなプロジェクトまで毎日のように押し付けられてしまう。
節約とは無駄を減らして大事なものだけに集中できるようにすることだと、節約生活をはじめて気づいた。そういうわけで時間の節約にも少しずつ取り組んでいる。
仕事が多すぎて忘れる?
少し前のこと、仕事が多すぎて毎日のように予定を忘れてしまうことがあった。要は毎日何かの仕事をすっぽかすのである。リマインダーを使っても、手帳にメモをしても、付箋に書いてパソコンに書いても解決できなかった。
自分でも気づいていなかったが、限界にきていたのか。そう判断して、勝手にシーズンオフと称して休みをとったり、仕事を減らしたりしていった。時間の余裕を作って心のゆとりを増やそうとした。
そうして最近になって、そろそろと仕事を戻していった。
ところが、土曜日の19時に入っていた会合をすっぽかしてしまった。日曜日の朝に気づいた。日曜日の午後も仕事があり、そちらは大丈夫であった。身体的精神的にはそれほど問題は感じない。とすると、心身の限界が問題ではないのかもしれない。
仮説 目的・役割のなさ
考えられる限りの対策(メモだとかリマインダーだとか)でも対処できなかった。よく発達障害の人だとか、IT系の人(?)だとかは、ふつうにしていたらできると言われてもできないのだと言うけれども、それに近いのかもしれない(遅刻するとか、ネクタイをしめられないとか・・・・・・)。
そうして、原因になりそうなものをいろいろと考えて仮説を立ててみた。
今回もそうだがすっぽかした仕事のほとんどはそれほど害が出ていない。そもそも致命傷でもない。もちろん、周りの人は迷惑であるけれども。理由は簡単で、自分でないといけない仕事ではないし、そもそも自分がいなくても成立してしまう。
すっぽかした仕事は自分自身が目的も役割も感じられていなかった。立場的には出席が大事な部分ではあっても、目的も役割もない会議がたいはんであった。それは記憶に残らない。もしかしたら潜在的にやりたくないと思っていたあらわれなのかもしれない。それとも老化のせいか。
対策を考える
仮説に沿って考えるなら、対策として次のプロセスが考えられる。①目的や役割を見つける、②見つけられないなら他人にまかせるか理由をつけて辞める。
よくよく考えてみると、目的も役割もないものを「仕事」としてお金をもらうのもおかしなことである。そもそも仕事としてはノイズであり、無駄なことである。というわけで、最近ピックアップした仕事を再度見直して上記のプロセスにのせてみようと思っている。
もしもひとつでも仕事を減らせたなら、結構な時間の節約になる。