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いま、わたしは何をするべきか?

誰かに読んでもらいたいわけでもなく、自分に言い聞かせるために記しますので、文脈が整っていないと思います。
もし読んでいただいた方がいらっしゃたら、その点はご容赦ください。
そして何かアドバイスやコメントがあればDMを下さい。

思い通りにいかないのが人生。

わたしは今、ひとつの補聴器販売店を開業して奮闘しております。

奮闘している、というと聞こえがいいのですが、本当のところ、苦しんでいるという状態です。

お店のオープンは、2020年2月。
まさに新型コロナウイルスのイヤな感じの足音が少しずつ聞こえてきているタイミングです。

おそらく、多くの人が分かっています。
「今は、大きな決断をすべき時ではない。転職や企業はリスクが大きすぎるので、控えておいた方がいい!」
もちろん、私も決断し、行動に移す前であれば、その判断をしてたと思います、が、既に行動しちゃってから、新型コロナウイルスが後を追いかけてきたのですからしょうがないです。

ということで、出だしからつまずく。
補聴器の販売は、対面販売を基本としています。
通販とかで類似品もあったりしますが、適切に使用することを考えると、
正確に聴力を測定して、
生活スタイルを確認して、
その情報から補聴器の専門家に機種選定のアドバイスをもらって
補聴器をつけた時の効果を確認したうえで
買っていただく。
対面販売が、必須の接客販売スタイル。

でも、
新型コロナウイルスの感染患者が本格的に増え始めた2月下旬、安倍晋三首相が高校、中学校、小学校に対して休校するよう要請を出したのをきっかけに対面販売における自粛ムードが始まりました。そして4月7日、緊急事態宣言が発令され、外出を自粛するようにとの要請があり、ほとんどの経済活動がストップしてしまいました。
これはまさに対面が必須の販売スタイルにとっては逆風。

もともと顧客名簿がない新規開業の私たちは、シャッターは開けておくもののほぼほぼ売り上げはゼロ。新規のお客様獲得のための広告宣伝ができずに過ごす日が続きました。

緊急事態宣言が解除された後、新型コロナウイルス発生の前に戻るわけでもなく、しかも、一度自粛要請を強いられた人は、外出することへの嫌悪感や低下してしまった消費マインドはなかなか回復していないのか、宣伝広告しても反応がほとんどなく、苦戦が続いている。

気持ちに余裕のある時であれば、
「人生は思い通りにいかないから面白いんだよ!」
「挑戦し続けなければ時代の流れについていけなくなる!」
「現状維持は後退を意味する。成長し続けなければならない!」
と、いうようなコトバを自分自身に言い聞かせて、モチベーションを上げていくというようなこともできてたような気がします。

でも、いまは余裕がない。
余裕がなくなるとパニックになってしまう。
正確にはパニックゾーンに入ってしまう。狂ってしまうわけではなく、思考停止してしまう。
ゆえに、面白がれない、挑戦する気持ちがでない。その結果、成長も止まる。

自分は、もっともーっと楽観的なマインドを持っていてパニックゾーンにはなかなか入らないと思っていたけど、そうではなかった。
自分では、自分自身のことを分かってないようです。
思いあがっていました。

でも、いつの日か、いま苦しんでいるときのことを
「あの時は苦しかったけど、いい経験ができたなぁ~」って思えるように今は頑張るしかない!どうやるのかはわかりませんが。

ごく普通で、平坦な人生を歩む人の代表格である自分

私が描いている独立・起業する人のイメージというのは、

・幼少期に原体験があって、そこをきっかけとして社会課題を解決したいという信念の持ち主
・爆裂にお金持ちになりたい思いが強いひと
・もともとの能力値が高く、周りの人も起業していて、起業するのが当たり前の環境にいる人

と、想像してました、というより、今もそうなんだろーなぁ~って思っています。
自分はそういうタイプなのかというと、まったくどれにも当てはまらない。
周囲に独立・起業をしている人もいなければ、幼少期の体験もごく普通。
爆裂にお金儲けしたいという野心もなく、ごく普通に生活していけられればそれでいいと思っています。
そうです、どこにでもいるような、ごくごく普通の日本国民なのです。

現在の住まいは東京ですが、出身は三重県桑名市。高校卒業するまで、三重県北部地区と愛知県名古屋市までが生活県内。
それ以外は、ほとんど移動せずに生活。
大学生になって、親元を離れ、石川県金沢市でひとり暮らしを開始。
何を勉強したい、将来どんな職業に就きたい、という情熱もなく、社会人になる前には大学生になるもんだ、という甘々な考えで大学生生活を満喫!するつもりでしたが、予想を反して勉強しなければ進級ができない学科に入学したため、そこそこ勉学に励みました。そして、無事に4年間で卒業。
就職先は、大学から斡旋された補聴器販売店から何となくで内定をもらい入社。

いま振り返ると、もっと自分の人生設計を学生のころからしておけばよかったなぁ~と思いますが、そんなことを言っても何も始まらないのですが。

補聴器販売店(当時は国内で最大店舗数を誇る補聴器専門店でした)に入社しましたが、補聴器の知識は皆無です。
入社してから先輩方や数少ない書籍などから少しずつ、少しずつ知識を身につけさせていただきました。ご指導いただいた先輩にはとても感謝しています。

補聴器って聞こえにくくなっている人が、”聞こえを補う”ために使う医療機器なんですが、ただ単に聞こえにくさを補うだけが役目ではありません。

聞こえにくくなると、
→ 人との会話が聞こえにくくなる
→ コミュニケーションミスなどが発生する
→ 会話をするのがお互い億劫になる
→ 関係に距離が出てくる
→ 疎遠になる

要するに人とのつながりが少なくなってきて孤独や疎外感を感じる人が多くいます。たしかに人と会話することが好きな方にとっては、とてもツライ状況なんです。

なので、お客様の中には、補聴器をかけて聞こえるようになったら涙を流して喜ばれる方もいらっしゃいます。
そんなステキな場面に立ち会うことができるのが補聴器販売店なんです。なかなか他の職業では味わえないのではないかと。

そんな補聴器販売に長く携わっていると、感動する場面にも遭遇しますが、悲しくなる場面に遭遇することもあります。

その悲しくなる場面のひとつが、私が独立・起業しなければと思うきっかけです。

起業するきっかけとなった親子

それは、私が補聴器販売店から補聴器メーカーに転職した1年目のことでした。とある補聴器販売店に補聴器メーカーの営業という立場で、補聴器を調整する場面に立ち会ったときのことです。
その補聴器販売店に現れた母親と娘さんの1組の親子。娘さんは先天性の重度難聴で幼い時から補聴器を使用。私が立ち会った時は、既に中学生。

そこで目にしたのは、母親と娘さんがコミュニケーションを取れないという現実。

そもそも、コミュニケーションをとる方法は、口話(音声)だけでなく手話や筆談などがあります。重度難聴者の人で口話だけでは難しい場合、手話を覚え手話でコミュニケーションをとることもします。
親御さんが手話を使えるのであれば、家庭内でのやり取りで身に着けることは可能かもしれませんが、親御さんが使えない場合は、ろう学校などでしっかり教育を受けなければ身につきません。

この親子は、補聴器を使っていますがちゃんと聞こえていない様子。
そもそも補聴器での聞き取りが厳しく、それだけでは言葉を聞き取れずに過ごしてしまったのではないかと思ってしまうぐらい口話でのコミュニケーションはできませんでした。しかも、母親の強い意向でろう学校にも通っていなかったため手話も覚えていない。その母親も手話は使えません。
母親と娘さんとの会話のやり取りは筆談だけが可能。

筆談というコミュニケーション方法を否定する訳ではありません。
ただ、筆談は紙やペンなどの道具が必要になります。机などがあれば書くことはできますが、日常生活では字をかける場面は限られています。
要は便利ではないということです。

しかも母親は、口話だけでのコミュニケーションで娘さんが過ごしていけるよう、かたくなに音声だけでやり取りしようとしてます。
でも娘さんは、聞き取ることができない。しかも聞き取れないから発話もできない。

結果、あ互いに相手に伝えたいことが全く伝えることができない母娘がそこにいました。

ひとりの女の子が、一番身近にいてくれているはずの母親と自由に会話をすることができない。私はとても悲しい思いになりました。

それと同時に、その補聴器販売店に対し怒りにも似た感情が生まれました。
おそらくその補聴器販売店は、この親子をずーっと見てきたはずです。女の子が先天性の重度難聴で、補聴器を使ってきてそのフィッティングの場面にずーっと携わってきたはずです。

補聴器は聴力レベルに合わせ適切にフィッティングされればしっかり聞き取ることができるのですが、残念ながら限界があります。
その限界というのは、”低下している聴力を治すことができない”ことです。
つまり、聞き取れる能力がない耳にいくら補聴器をつけても、補聴器だけでは言葉を聞き取ることができないという現実があります。
この限界を見極めるのも補聴器の供給をする側の役目だと思います。

この親子に対しては、もっと早い段階、幼いころに、「補聴器だけではしっかり言葉を聞き取ることが難しいので、手話も勉強した方がいい」というようなアドバイスをすべきだったと。
もしかしたら、その販売店も何度かアドバイスをしていたのかもしれません。それでも母親がなかなか受け入れてくれなかったのかもしれません。
もしくは、受けさせてくれるろう学校に行けなかったのかもしれません。
本当の原因は分かりませんが、でも分かっていることは、「母親と娘さんがコミュニケーションを取れない」という事実。

私は、とてもおおきなショックを受けました。

自分の役割を見つめなおす

この一組の親子によって、私は補聴器を販売する者の責任というものをもう一度、考え直しました。

補聴器は、だれでも簡単に販売することができるのかっていうと、そういう訳ではありません。
音響学、耳の解剖学、聴覚学、補聴器の構造や仕様や機能に関する知識、専用ソフトに関する知識、補聴器の効果測定の知識、関連法規など多岐にわたって覚えなければならないことがあります。
専門性の高い職業といっても過言ではありませんが、その専門知識を総合的に学ぶことができる場(学校)は日本にはありません。

ちなみに、海外、特に欧米では、補聴器販売及びフィッティングに関わる専門職があり、オージオロジストもしくは音響技師等補聴器専門家などと呼ばれる人がいます。これらの専門家は、その専門の学問を学ぶための学校に通い、試験に合格し資格を取ったものだけがなれる職業です。

日本には専門の学ぶ場はありませんが、独学で学ぶことはできます。
また、公益財団法人のテクノエイド協会により「認定補聴器技能者」養成課程もあり、補聴器の専門家を増やそうという環境は整いつつあります。

大学を卒業して新卒で入社させてもらった補聴器販売店での10年で先輩方から基礎的な知識を学ばせてもらいました。
転職した補聴器メーカーは、スイスの外資系で世界シェアNo.1の補聴器に特化した会社。そこで担当させてもらったプロダクトマネージャーは製品に関する詳しい知識はもちろん、補聴器フィッティングに関する欧米仕込みの専門性の高い知識を身に着けることができた。

この経験を、多くの補聴器販売に携わる方々に伝えていけると、あの親子のように困っている人たちを減らしていけるんじゃないかと強く思うようになりました。

理想と現実

補聴器を販売することは、「ひととひとの繋がりを再構築する」ことができるステキな職業です。
でも、すべての人がその思いをもって従事しているわけではなく、単なるお金儲けの手段と考える人もいます。要はお金儲けが目的になってしまっているということです。

理想は、「ひととひとの繋がりを再構築する」ことの実現に向け努力し続けよりよいサービスを提供する努力をする!
でも、現実は、生活のために日銭を稼ぐことにほとんどの頭を使い、売り上げを出すことが補聴器販売を続ける目標となってしまっていることがあります。

しかも皆さんはご存じでしょうか?
日本国内の補聴器使用者の満足度は40%未満であること。

これは、2012年から3年ごとに補聴器に関連した市場調査が行われていまして、2012年調査では36%、2015年調査では39%、2018年調査では38%という結果。
40%未満というのは、先進国の中でダントツに低く、70~80%台の欧州の各国に比べ恥ずかしい結果になっています。

コメント 2020-07-11 125521

高齢者の2.5人に人は何らかのケアをしなければならない難聴になってしまうとのデータもあり、また、世界でも類を見ない「超高齢化社会」を迎える日本国内において、この満足度の低さに危機感を感じないわけにはいかなくなりました。

安定より挑戦

外資で世界シェアNo.1で16年間勤務し、製品発売に関して責任のある立場で業務させていただき、いうなれば非常に居心地いい状態で仕事させていただいておりました。

補聴器のメーカーは、外資系、国産と合わせて10数社あります。
市場は、数%の右肩上がり。
毎年毎年、新しい補聴器が発売され、競合他社とシェアの取り合いは必須。
どのようにして他社より良いサービスを提供して、自社の補聴器を選んでもらうのかを真剣に考える日々。

その一方で、日本国内の補聴器ユーザーの声にしっかりと耳を傾けていられていないのではないか、自分ができるのは、ひとつのメーカーの補聴器を他社に負けずお客様に選んでもらうことばかり考えていていいのか、そこに本当のやりがいはあるのか、という疑問が現れては消え、現れては消えの日々を過ごしていました。

本当に少しずつ、でも確実に膨らんでいく疑問。その疑問をなくすためには、別の挑戦を始めるしかありませんでした。
それは補聴器メーカーではなく、もっと難聴者に近い場所。補聴器販売をする立場に転身することです。

ちょうどそんなことをそんなことを考えているときに、たまたま、手にした本は、芸人から絵本作家になり、様々なビジネスを展開している西野亮廣氏の本で、そこには挑戦することの大切さが書かれていました。というより、そのように読み取ってしまいました。

さらに人生100年時代という声も大きくなり、残りの人生を逆算し、残りの人生で未来の子どもたちのために何かを残そうと決めて、挑戦することにしました。

補聴器メーカーでは、マーケティング部に長く携わっておりましたので、市場調査のデータはつかんでいるという自負もありました。
いまの日本国内の補聴器販売現場で、何が足りないのか、何か無駄なことはないのか、などなどを把握しているつもりでした。

その時は、圧勝するつもりでした。

運命のいたずら!?

当初は、2019年11月から補聴器販売店をオープンする予定で進めておりましたが、物件探しに想定以上の時間がかかってしまいました。

ようやく物件が決まったのが、12月に入ってから。
そこから店舗の内装の工事や諸々の資材の準備を急ピッチですすめ、ようやく2月17日にオープンすることができました。

でも、オープンしたこのときには既に中国国内で新型コロナウイルスの感染が広がり、世界的なパンデミックになってしまう、嫌な空気が流れていました。

オープンから10日後の2月27日にでた安倍首相の”休校要請”、そして3月12日のWHOによる”パンデミック宣言”、4月7日の緊急事態宣言の発令で完全にオープンの出だしをくじかれることに。

おそらく、私にとっては人生の中でも最大の決断で挑戦になると思われる独立・開業にドンピシャに100年に一度の出来事が起きてしまいました。

崖っぷちに立たされて

新型コロナウイルスにより人との接触に対する警戒感が高まり、緊急事態宣言下での外出自粛により”外出しなくても生活できる”習慣がつき、経済活動が小さくなり、小売業の苦境は続く。

しかも、前年実績がない新規店のため、様々な助成はあるもののことごとく対象外となってしまう。

はっきり言って、崖っぷちです。

崖っぷちである事実からか思考も停止気味のパニックゾーン。
崖っぷちでジタバタしてみるものの好転の気配なし。
さらに7月入って感染者数が再び増加し、さらに先行き不安ばかり。

もしかしたらこの後、もっとすごい不安のピークが来るのかもしれないけど、いまが人生最大のピーク。
そんな心理状態になった時に、ふと正月に公開された西武・そごうの広告が頭の中に浮かびました。

大逆転は、起こりうる。
わたしは、その言葉を信じない。
どうせ奇跡なんて起こらない。
それでも人々は無責任に言うだろう。
小さな者でも大きな相手に立ち向かえ。
誰とも違う発想や工夫を駆使して闘え。
今こそ自分を貫くときだ。
しかし、そんな考え方は馬鹿げている。
勝ち目のない勝負はあきらめるのが賢明だ。
わたしはただ、為す術もなく押し込まれる。
土俵際、もはや絶体絶命。

最後の”もはや絶体絶命”。まさに今の心境です。

でも、この広告が教えてくれたのは、絶体絶命に陥った時の考え方だった。

土俵際、もはや絶体絶命。
わたしはただ、なすすべもなく押し込まれる。
勝ち目のない勝負はあきらめるのが賢明だ。
しかし、そんな考え方はばかげている。

今こそ自分を貫くときだ。

誰とも違う発想や工夫を駆使して闘え。
小さなものでも大きな相手に立ち向かえ。
それでも人々は無責任に言うだろう。
どうせ奇跡なんて起こらない。
わたしは、その言葉を信じない。
大逆転は、起こりうる。

そうです、崖っぷちでジタバタしちゃダメなんです。
溝にはまったCandyがジタバタして博士に助けてもらおうとするようなレベルではなく、誰に頼るでもなく自分で切り開いていくには、ジタバタするのではなく、自分自身を信じ、頭を使って、つかめる岩を探し、覚悟を決め行動を起こす。それを何度も繰り返す。大逆転を信じて!

気にかけてくれる仲間がいる。
心配してくれて心の支えになってくれる家族がいる。
数は多くないけど、私を頼ってくれるお客さんもいる。

絶対、あきらめない!
そして、結果を出す!!
そして、恩返しをする!!!

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