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心細いという感情について

会話の中で、ふと口から「心細い」というワードが出てきた。
誤解されると嫌なので言っておきますが、決して自分自身の感情として発した言葉ではなく、他の人の代弁者のつもりで発したセリフの中にこの言葉があった。
で、改めて「心細い」ってどんな状況下で、どんな心境の時に使うんだろう、と考えてみた。

大人になってからあまり使わない

大人になってから「心細い」って感じること、少なくなってきていません?
取り上げておいて言うのもなんなのですが、最近ではほとんど「心細い」と感じることがなくなっている気がする。
最後に感じたのは、約15年ほど前。
海外出張することになったけど、それが一人きりで行かなければならないとなり、英語でのコミュニケーションに苦手意識がある自分としては、土地勘もない場所に一人で行くことに対する不安感が強く非常に心細くなったのを覚えている。つまり、経験したことがなく何が起こるかの想像ができないことに対しての感情として「心細い」となったのではないかと言うこと。

それこそ、子供の頃は「心細い」と言う感覚を多く味わっていたような気がする。それもそうだ、子供は日々新しい経験をして成長するもの。何が起きるのかを想像できないことは日常茶飯事。一人で病院に行く時も、新しい塾に初めて行く時も、「心細い」感覚を味わっていた。
でも、成長するにしたがって、初めて経験することではなく過去に経験したことの変形版のようなことを経験するだけになって大人になってからは、新しいことを経験することって少なくなって心細く感じることが少なくなった。
「心細い」を感じる機会が少なくなったのは、多くのことを経験し、成長した証でもあるが、もう一方で新しい経験をする機会、つまり挑戦する機会が少なくなってきているのではないか。

「心細い」より強い感覚

自分の人生の目標は、「常に努力し続けること」。
今の状況に甘んじることなく成長し続けることって、なかなか大変だと思う。それを続けることが私が目標にしていること。

努力というのは、ちょっとの努力もあればすごい努力もあり、すごい努力している時って今までで経験をしたことないことに挑んでいる時でもある。

昨年、私は50歳手前でサラリーマンを卒業し自分で事業を始めました。
自分の人生の中でおそらく最も大きな挑戦で、しかも100年に一度のこのタイミングでの再出発。その挑戦の真っ只中で、やはり「心細い」と言う感覚がないわけではない。でも、自分で決断して覚悟を決めて始めた挑戦なので「心細い」と言う感覚より新しいことに挑戦している、「常に努力し続ける」状況にいる喜びの方が今は大きい。
この有り難い経験をできていることに感謝しつつ、その一方で「心細い」という感覚があることをちゃんと認めながら日々過ごしていこうと改めて思った出来事でした。

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