禅は英語の方が分かりやすい!京都名物和尚、尾関宗園著「英語対訳で読む禅入門」
「大丈夫や、ぜったい上手くいく!」
誰に対しても元気ハツラツそう言い切るのは、京都・大徳寺の大仙院の名物和尚、尾関宗園さんだ。1932年生まれだが肌ツヤツヤでめっちゃ元気。仏教界における猪木のようなキャラクターだ。
「日本一のべっぴんさんや!」
としわくちゃのおばあさんにも誰にも言う。大学時代の建築の授業で出会い、強烈なキャラクターに惹かれた。大仙院の様式を解説していた教授に、「先生、それはどういうことですか?」と素直に聞いていて驚いた。
「だって、わからんから」と本人はケロっとしてた。
それから何度か話しを聞きにいった。最初は誰に対しても大丈夫と言うなんて無責任と思っていたけど、禅から見れば中身は誰も同じで、誰もが大丈夫でべっぴんな主人公なのだろう。
「学問ちゅうのはアホを賢くするもんやろ。でも元々賢かったんや、というのが禅なんや」とこないだは言っていた。その尾関さんが最近出したのが「英語対訳で読む禅入門」。めっちゃ良い本だった。
矛盾だらけで難解な禅が、平易な英語を通すことで、かつてなくシンプルに表現されている。源氏物語が英語を通すことで分かりやすくなりすぎて話題になった「ウェイリー版 源氏物語」を思い出す。
例えば禅の公案(修行のための問題)で最も有名な一つ「狗子仏性」
趙州和尚に僧問う
「狗子に環って仏性有りやまた無しや」
州云く「無」
は次の通りだ。
僧が和尚に聞いた「犬にも仏性が有るでしょうか?無いのでしょうか?」
A priest asked Master "Does a dog have the "mind of Buddha" or not?"
和尚は答えた。「無」
Master answered "mu(nothingness) ".
この公案が優れているのと同時に混乱するのは、「有るか無いか」という問いに対して「無(い)」答えている点だ。「無」が質問と答えに使われており、それぞれ意味が異なるのでややこしい。
しかし英語版では問いと答えが明快に切り離され、問いでは「not」、答えでは「nothingness(無)」と表現されている。
「無」は「nothingness」「nothing」と表現されることが多い。子どもが1日中外で遊んでいて、家に帰ってきたとき「今日何をしてたの?」と聞かれて「なにも(nothing)」と答える。これが禅の無だと言ってたのは禅を世界に広めた鈴木大拙氏だ。「イノセンス、それはいのち。」という攻殻機動隊のコピーにも近い。
禅でいう無は何もないことじゃない。じゃあ何か?
本ではこう書いてある。
あなたは「無」に集中するだけで良い。「何か」に気づくまで。
All you have to do is to concentrate on "nothingness" until you become aware of something.
禅は答えを拒絶するところがあるので、「Nothingness is something」とまで書いてあるのは珍しく、非常に親切でやさしい。おすすめな本です。
禅はインターネットで例えたらさらに面白いんだけど、これ以上の解説はマニアックになるので興味ある方だけで。
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