こう生きたい、と言って死ねる未来がいい#もう眠感想
短大を卒業して社会へ出た。24で結婚し、1歳と3歳の子の親となってから、道を方向転換した。30を前にした子持ちの私を看護学生として雇用してくれた病院には、『患者の権利章典』なるものがあった。今は亡き父から“人間には皆平等に生きる権利があり、教育を受ける権利がある”と教えられて育った私には、そこに掲げられている「知る権利」「自己決定権」などは当然の権利だと思えた。看護学生(正確には准看護学生)は私が勤務していた病院いにより多く在籍しており、この“権利章典を持つ病院”には政治的な色があると言われていて、学生は私を含めて2人しかおらず、全体の少数派だった。大切なことを大切だと言っているだけなのに、どうしてそれが異端視されるのか不思議でならなかった。だが、この「中」に居ても、明らかに患者の権利が守られていないのでは?と感じる出来事はあるのだ。形はあっても現場とはかけ離れている、と思った。勿論頑張っている医師や看護師、医療従事者も居ることもわかっている。でも、なんなんだろう、このモヤモヤした感じは。
私は、この囲いの外から「権利」のこと、看護師として何をしたらよいのかを考えたい、と思った。そして、15年在籍した組織を離れた。15年の在籍期間中に、准看護師から正看護師に進学。また訪問看護と運命的に出会えたこともあり、これ以降は、様々な形態(会社や個人クリニックもあった)の組織で、訪問看護師として、色んな方と出会った。看護に方向転換してから、30年近くがあっという間に過ぎた。
わかったことは、「人は、皆、死ぬ」ということだ。がんであってもなくても、歳をとっていてもいなくても、いずれは死ぬ、ということだ。そのうち皆が行き着くところが「死」だとして、そのことを語ると暗い顔をされてしまうことが多々あった。死に方、だとか、死への準備、とかという話しではなくて、“どう生きたいか”を共に話しているつもりだったが、語彙力が足りなかったのだろう。『リビング・ウィル』『エンディングノート』が話題になっていた時期だった。自分らしい最期を。自分にことは自分で決めよう。…言葉だけが1人歩きしている気がした。自分はこうしたい!とはっきり言えないこの国で、こう死にたい!と書いたところで、本当にそれができるのか。葬式はしたくない、墓(土)でなく海に還りたい、という義父に遺言を死守するために、どれだけの人に説明し、どれさけ辛苦したことか。その人が死んだ後のこともその人の自由になかなかならない。他の皆がしていないことをしようとする時の圧力が重いのだ。1人1人の権利よりも、周りとの同調の方が重いのだ。
でも、私は、一人一人が人間として大切にされる世界で行きたいよ。自分も大切にされたいし、私も他の人を大切にしたい。
圧を下げるには、やはり対話しかないのかな、とやっと最近思うようになった。近道を探しても、難しい。生きることについて話そうという人間の分母を増やすしかない。
「私はこれを大事にして生きたいよ」と話せる人がいて、それを言葉にできて、そして死ねる世の中がいいなあ。
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