バチカン市国が本部のキリスト教カトリックは唯一女性参政権のない国として有名なミソジミー国家だと思います。

確かに新しい扇風が来る時は波風が立つのだが、そこで犠牲にされている女子供をねぎらう言葉も一言もない点には腹が立つよ。

スピリチュアルや宗教ならその中で犠牲になる人がいても、人権侵害が起きても「反対しても、そういう流れなのだから?」と封殺出来てしまうよね?

所詮は♂だから他人事なんだろうね。スピリチュアルの♂はミソジニーが薄いと思っていたが

スピリチュアルや宗教などにも要注意した方がいい時があります。ただの欲望や不道徳の正当化もスピリチュアルや宗教の傘があると、それはないものや、良いものを実現するために犠牲や人権侵害は仕方ないという事になる。

宗教戦争も宗教による女性差別もそんなものでしょう?

https://note.com/lailah56/n/nf156a4002cfe

ヘミシングブログのmasatoがトンデモ発言





FRAFTM

2023年10月15日 12:35


女性の参政権を認めていない、もしくは制限付きでのみ認めている国 編集

以下の通りである。ブルネイ: イギリスの自治領となった1959年に女性参政権が認められたが、1962年以降は男女とも選挙権が認められていない。議会は1982年に解散され、2004年からはスルタンの完全任命制による立法評議会が設置されている。
レバノン: 女性のみ初等教育を受けた証明が必要。また、投票は男性には義務化されているが女性は任意である。
バチカン市国: 議会を有さない。なお国事運営の最高機関は聖職者によって構成されるが、女性は聖職者に就任できない。なお、女性職員はおり、2020年1月に副大臣級ポストに女性が就任している。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E6%80%A7%E5%8F%82%E6%94%BF%E6%A8%A9
女性参政権Wikipedia


https://web.archive.org/web/20160917075608/http://www.archives.pref.okinawa.jp/publication/2012/09/post-93.html

9月20日 女性に初の参政権が認められる(1945年)

 1945年9月20日、沖縄本島の収容地区で初めての選挙(市会議員選挙)が実施されました。この選挙で戦前戦後を通じ初めて女性が選挙に参加する権利が与えられました。



 同選挙は25歳以上の男女に参政権を認めたものでした。その後、社会情勢が安定するにつれて、選挙権は20歳に引き下げられました。

 女性に参政権を認める件についての会議内容が、次の沖縄諮詢会会議録から伺うことができます。

https://web.archive.org/web/20160917075608/http://www.archives.pref.okinawa.jp/publication/2012/09/post-93.html
ホーム公文書館通信あの日の沖縄 > 9月20日 女性に初の参政権が認められる(1945年)







女性参政権の歴史


フランス革命以後、いわゆる普通選挙が行われるようになりましたが、それはあくまでも男性の話。
女性参政権が認められるようになったのはそれらの動きのかなり後の話でした。

恒常的な選挙権が認められるようになったはじまりは、1869年、アメリカ合衆国ワイオミング州、被選挙権も含めたいわゆる参政権は、1894年の、オーストラリア南オーストラリア州が初めてだそうです。

例えば、アメリカ合衆国自体が女性参政権を認めるようになったのは1920年のこと。1904年の女性参政権要求デモはこのような動きの中で起こったことなのでしょうね。

ちなみに英米系の国々は、この動きの中では第一次大戦後の比較的早い段階から女性参政権が導入されています。一方で自由の代名詞、フランスは第二次世界大戦後の1945年、日本と同時期であり、やや遅めです。

これには英米県の国々では、女性が「権利を主張する団体」の一部のように扱われたから導入が早かったのでは、という説もあります。


女性という「一個人としての権利」というよりも婦人団体などの「利権団体」扱いということです。

そう考えると、女性の一個人としての権利が本質的に認識されたのは、もしかしたら第二次世界大戦後と、比較的最近のことということなのでしょうか。

なんだか悲しいですね。

現在も女性参政権がない国

サウジアラビアとバチカン市国です。

バチカン市国の場合、おそらく国民のほとんどが聖職者であることや、バチカン市国民は基本的に二重国籍(もともとの国籍を持つ)ことなども理由にあるでしょう。

サウジアラビアはイスラムの戒律を厳しく守っている国であり、そのため女性の権利を厳しく制限しています。

最近ようやく女性の自動車の運転が認められた、なんてニュースもありましたね。
ただサウジアラビア諮問評議会の議員に女性が任命(選挙で選ばれたわけではないけれど)されるなど、明るいニュースもありますね。



国際女性デー、何気なくスルーしがちですが、その背景を考えると、とても大事な日なのだな、と思います。

難しい話ですけれど。

ちなみにイタリアでは、この日にミモザの花を贈りあうとか。

ロマンチックですね!

https://reki-historia.com/2019/03/08/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%A5%B3%E6%80%A7%E3%83%87%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%A8%E5%A5%B3%E6%80%A7%E5%8F%82%E6%94%BF%E6%A8%A9/
国際女性デーの歴史と女性参政権


枢機卿だけではない。司教、神父ら聖職者に女性は一人もいない。女性にコンクラーベの選挙権を与えよという前に、女性聖職者への道をバチカン法王庁は開かなければならない。バチカンに女性聖職者がいないことについて、カスパー枢機卿は、「現行の聖職者主義に固守する教会指導部に責任がある」という。

バチカン会合に参加したバチカン専属のジャーナリスト、グドルン・ザイラー女史は、「バチカン内の女性の割合は20%前後だろう」という。ただし、バチカン放送では半分の職員が女性である一方、バチカン内の聖職者省では女性職員は一人もいないように、バチカン内の部署によって女性の割合は大きく違う。

バチカン放送が昨年3月公表したところによると、過去10年間でバチカン市国内の女性職員数は195人から371人とほぼ倍化。バチカン市国とバチカン法王庁内の女性職員の総数は762人だ。ただし、その数字には枢機卿のもとで働く家政婦などは含まれていない。

バチカン内に女性職員が少ない主因として、ザイラー女史は、「バチカンには固有の人事部がないからだ」という。すなわち、人事は神の御心で決まるものだから、人事部は不必要だというわけだ。





南米出身のフランシスコ法王は、「カトリック教会は指導的な立場に女性を登用すべきだ」と述べてきたが、女性聖職者については、歴代法王と同様、考えていない。

米聖公会は2006年11月、第26代総裁主教認証式で初の女性総裁主教を選出して、大きな話題を呼んだが、ロシア正教は「キリスト教会の伝統に違反する」と猛反対するなど、女性聖職者問題ではキリスト教会の宗派によって、その見解が異なる。

ローマ・カトリック教会は女性聖職者を認めていないが、教会史では一度、女法王ヨハンナが西暦855年から858年まで就任していたという文献が存在する。ただし、歴史家の多くは「伝説に過ぎない」と否定的に受け取っている。

カスパー枢機卿のコンクラーベへの女性選挙権の話は話題としては面白いが、選挙権の前に女性に聖職者への道を開き、最終的にはローマ法王に立候補できる被選挙権を認めなければならない。それまでの道のりは平坦ではなく、長い。

https://agora-web.jp/archives/2018906.htm
独枢機卿「女性にも法王選挙権を」


長谷川 良

2016.04.29 11:3l


https://www.youtube.com/watch?v=KafDDPc6caw日本聖公会で初めての女性主教~英国国教会と日本聖公会~「宗教ニュースを読み解く」No.14RIRCチャンネル

2022/06/22 #聖公会 #ヘンリー8世 #エリザベス1世#英国国教会#聖公会#女性主教#女性司祭#女性聖職者#アングリカンコミュニオン#ヘンリー8世#エリザベス1世#宣教師ウイリアムズ#井上順孝#磯岡哲也 2022年4月23日に、日本聖公会の北海道教区で初の女性主教の就任式が行なわれました。日本聖公会は英国国教会(アングリカン・チャーチ)系統の教会です。一般的にはプロテスタントに含められますが、カトリックの組織や儀礼に近い面があります。各国の聖公会では女性の聖職者を認める例が増えており、日本聖公会もそうです。 その背景とともに、聖公会についての基本的な理解を得るため、井上順孝センター長が宗教社会学者の磯岡哲也・淑徳大学教授をゲストに招いて説明してもらっています。 宗教情報リサーチセンターホームページ http://www.rirc.or.jp/ 宗教情報リサーチセンター公式ツイッター https://twitter.com/RIRC_2018 同英文ツイッター https://twitter.com/RIRC_2021_E

https://www.youtube.com/watch?v=KafDDPc6caw
日本聖公会で初めての女性主教~英国国教会と日本聖公会~「宗教ニュースを読み解く」No.14



RIRCチャンネル(




概要

この伝説上の人物の記述は13世紀の著作から現れる。とくにポーランド人ドミニコ会修道士オパヴァのマルティン著『教皇たちと皇帝たちの年代記(Chronicon Pontificum et Imperatum)』は現代でも400もの写本が知られるほどに普及し、ヨハンナ伝説の流布に大きく寄与した。

ヨハンナ伝説は他の年代記、歴史書にも記され、既存の著作の新しい写本にも加筆という形で挿入された。

在位期間はレオ4世(103代目)からベネディクトゥス3世(104代目)の間、850年代のことだったとされる。
マルティンによると教皇としての名は「ヨハン・アングリクス」だったという。この時点では出生名(例えばベネディクト16世にとっての「ヨーゼフ・アロイス・ラッツィンガー」)は設定されていないが、15世紀の人物アスクのアダムによりアグネスという「本名」が語られた。

イタリアの教会堂「シエナ大聖堂」には「ヨハネス8世、フォエミナ・デ・アングリア(Johannes VIII, Femina ex Anglia)」と刻まれた彫像がレオ4世とベネディクトゥス3世の像の間に置かれ、旅行者達の間で有名であったようだが、破壊されるか彫刻し直されるかして91代目教皇ザカリアスの像に置き換えられたようである。
1601年に231代目教皇クレメンス8世がわざわざ彼女の実在を否定している。上位の司祭である司教から選ばれた枢機卿から選出されるのがローマ教皇であるが、カトリックにおいて司祭は男性しかなれないものであるため、「女教皇」は存在し得ない。
上述の「ヨハン」「ヨハネス」も男性名であり、「表向きは男性であった」という設定になっている。
女教皇ヨハンナは在職中に愛人の子供を妊娠したといい、このエピソードも司祭の妻帯や性交渉を認めていない(しかし聖職に在るにもかかわらず妾を囲い、隠し子のいる破戒者が現れていた)教会からすれば気分のいいものではなかっただろう。
シエナ大聖堂の女教皇像の情報が事実とすれば、教会が意図した発注ではなく、彫刻家の遊び心か悪戯で設置されたものと考えられる。



設定・エピソード

オパヴァのマルティンの記述によるとレオ4世のあとに在位し、その期間は2年と7カ月4日(後述のプラティナの著作では2年1カ月4日)であった。

ドイツの都市マインツ出身。愛人の服を着た男装の状態でギリシャのアテネに連れてこられ、そこで学問を修めた。そこで並ぶ者の居なくなった彼女は次にローマに行き、自由七科(リベラル・アーツ)を教え、学徒たち、聴衆の偉大な教師として知られ、その名声は町中に広まった。その結果、彼女はローマ教皇に選出されたが、在世中に愛人の子を身ごもった。サン・ピエトロ大聖堂からサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂に向かう途中の、コロッセオに通じる細道で産気づいた彼女はその場で出産した。15世紀の学者、バルトロメオ・プラティナの記述によるとこの出産で彼女は命を落とし、死者への儀礼なしでそのまま埋葬されたという。

彼女の出産と死については別のパターンもある。マリアヌス・スコトゥス (Marianus Scotus) 著『教皇についての年代記』に後世に加筆されたエピソードでは、馬に乗っている時に出産し、その場で馬の尻尾に足を結びつけられ半リーグ(一リーグが3.8~7.4キロメートル)引きずり回された後に民衆からの投石を受け、死んだその場で埋葬されるも、そこに「おお(初代教皇とされる)ペトロ、父達の父よ、女性ローマ教皇の出産を裏切ってください」という文が刻まれるという凄惨なものとなっている。

https://dic.pixiv.net/a/%E5%A5%B3%E6%95%99%E7%9A%87%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%8A
女教皇ヨハンナ

おんなきょうこうよはんな

女教皇ヨハンナとは中世ヨーロッパの伝説に登場するローマ教皇である。


 韓流かっ!



と言いたくなるほど濃い展開で飽かせません。

いっぽう、恋人との恋愛模様は、ハーレクインかリボンの騎士か。

ふたりで猛火をくぐりぬけるわ、洪水に巻き込まれるわ、文字通り火の中水の中。

もう、つっこみどころ満載ですが、面白いからいいや。



ただし、小説内で起こる大きな事件は、すべて史実に基づいているそうです。

時代考証も緻密で、9世紀のローマの雰囲気が、手にとるように伝わってきます。

それはローマ帝国時代に比べ、はるかに野蛮で暴力的な、混乱した社会。

塩野七生「ローマ人の物語」を先日読み終えた私としては、ここまで衰退したローマ世界に少々悲しくなりました。



物語は、ヨハンナ以外にも、男性を装って男の社会で生きた女性が、歴史上何人かいたことも教えてくれました。

そういえば日本でもつい最近、「織田信長は女だった」という小説が出たよなあ・・・って、あれは絶対フィクションだって。



(07.7.7.)

http://kisonoabaraya.qcweb.jp/joan.htm
ドナ・W・クロス/女教皇ヨハンナ
(阪田由美子 訳  草思社 2005年)