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#5【難病と向き合う記録と記憶】 ALS新薬ロゼバラミン投与で何が変わるのか
大好きな母がALSの診断を受けて6ヶ月。
「・・・あんたは、病気のことわかってないわ。」
と母に言われた(筆談)前回の帰省時から、少し距離を置いていた数ヶ月。
無事に年も越せて、いよいよ新薬投与が始まるというタイミングを迎えた。
ALSとは?
告知を受けて何を考えた?どう動いた?
これまでの記事はこちら。
病名を告げられてから半年経って、何がどのように変わったのか、そして変わらないでいるのか、について書こうと思う。
水分もなかなか口から摂れない
胃ろうはうまく使えているようだが、お腹が満たされないので口からも食べようと試みるが、食べられない。
水分なら摂れるかと思って流してみても喉の動きがうまくいかないので、水分すら摂れなくなっていて体重も減少している。
顔色や身体の動きを見る限りでは、あまり変わらず、良くはなっていないが悪くもなっていないように見えた。
父に聞くと、寒さもあり気持ちや活動が控えめになっているが、趣味の手作業(ミシンで縫うなど)は少しずつできているという。
私は40歳の時に甲状腺癌を経験しているのだが、手術後しばらくは飲み込みづらく、食べる物も限定されて食べる量も減りとても辛かった。食べることは体力や栄養はもちろんだが、人の気力にも大きな影響を与えるのだとその時はじめて知った。
いま、母はどんなことを思いながら、自分が食べられない食事を毎日つくり、父と食卓を囲んでいるのだろうか。
着物でお出かけできたことが希望
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食事ができないことで友人とのお出かけもほとんどゼロになってしまった母にとって、父との外出が唯一となるわけだが、先日、着物を着てお茶会に行けたと喜びの連絡をもらった。
母は着付けの免許を持っているので自分で着物を着れる。ウィッグもつけて歩く姿は、ALS患者と知らなければわからない。
母自身がどれだけ楽しんだかは聞けていないが、父がとても喜んでいたのが印象的だった。母の状況がありながら、お茶席に誘ってくれたこともありがたい、と言い、2人で着物を着て出かけられたことが嬉しかったようだ。
通常、母の携帯にかかってくる電話は父がとり、スピーカーにして会話をする。母は相手の声は聞こえているのだが話せないので、父が会話をするのだが、この状況に抵抗なく電話をかけてきてくれることがありがたい、と父は言う。
一番辛いのは、疎遠になってしまうこと。存在を忘れられてしまうこと。
電話でなくてもメールでもいい、LINEでもいい、とにかく母が誰かと、社会と、繋がっていることをお守りのように感じている。
新薬ロゼバラミンのと投与開始
ロゼバラミンは「筋萎縮性側索硬化症(ALS)における機能障害の進行抑制」の効能・効果が期待されるとし、2024年9月24日に製造販売承認を取得し、11月20日に薬価収載された。
この薬の研究チームに徳島大学の教授がいるのだが、両親は徳島県の出身なのでどことなく縁を感じている。
この薬は、週2回ほど筋肉注射で、訪問看護師さんが来るときに打ってもらうこともできるが、母自身や父が打つことも必要となる。
今回、訪問看護師さんに説明をしながら打ってもらった。いくつか手順があり、針の扱いも注意が必要で、注射を打たれる母の様子も心配だ。
母は、自宅の近くにある総合病院にかかっているが、病院でロゼバラミン利用者の第1号だったそうだ。ALS患者は全国で1万人、大阪府で680人ほど。第1号ということもある。この病院で働く医療従事者の皆様が「初めて」対応するALS患者という可能性もある。
実はここを心配していた。専門の病院でケアを受けた方がいいのではないか?と父に話したこともあったが、家から近くて慣れている病院がいいと言われ、今の病院にお世話になっている。
進行を遅らせることが期待できる薬だが、決して治るわけではない。ご飯も食べられないし話すこともできない今の状況がそのまま続き、生きていくことが、母にとって良いことなのかどうなのか。
そんな話も次の帰省時にはしてみたいと思う。
足のむくみをなんとかしたい
今回も訪問看護の時間に立ち合わせてもらった。
そこで父が相談したことは、「足のむくみ」だった。私はまったく気づいていなかったが、看護師さんが足を触って見せてくれる様子から、かなりしんどそうなむくみだなと感じた。
10年以上前に肝臓の病気をしているので、それが影響しているのかも?とか、薬の影響かも?とか、いろいろ想像はされるが決定的な理由はない。
解消の方法としては、マッサージや足浴だという。
マッサージは足の爪先から膝の辺りまで、下から上に優しく撫でていく。よく見ると肌が乾燥していたので、クリームやオイルなどを使いながらやると良さそうだ。
私はSNSを使って、母の足に良さそうなマッサージクリームやオイルがないか情報を募集した。すぐさま10名ほどの友人知人から情報が寄せられとてもありがたかった。いくつかネットショップで買って実家に届くよう手配した。母が気にいるものがあれば良いのだけれど。
要介護認定制度の落とし穴
ALSと診断されて初回の要介護度認定は、父がひとりで対応し、あまり介護サービスが必要だとは判断されなかった。
次は必ず立ち会わせてねと言っていた甲斐あり、今回の帰省時に立ち会うことができた。
担当の方がお越しになり、会話での聞き取りや、チェック項目を見ながら判断が行われていく。母は話せないので電子メモを使ったり、父が話したりする。半年前と比べて、できることが少なくなっていることが分かった。
そもそも要介護認定については疑問に思っていたことがある。
母のALSは嚥下機能の障害から進行をしており、食べたり飲んだり話したりできないが、身体は問題なく(とはいえ77歳なのでそれなりに不具合はある)、ひとりでお風呂も入れるしトイレも行けるので、介護が必要だと判断されづらい。
しかし、食べる時も(実際には食べられないが、口に運ぼうとする)、喉を詰まらせないか見守りが必要だし、夜寝ている時に痰が絡んで喉が詰まったりするかもしれないと思うと、やはり見守りが必要だ。
そう考えると父はずっと母を見守る形になる。外出もいつも一緒だ。まだ患者自身でできることが多いから介護サービスが受けられない、という現状(の制度)に納得ができない。
父は聞き取りの際に、「頑張ったらできる」みたいなニュアンスで答える癖があり、「いやいや、頑張ったらできるじゃなくて、こういうところで困ってる、ってちゃんと言わんとあかんやん。」と私がその都度ツッコミを入れて修正した。
さらには、私も兄も遠方に住んでおり、すぐに駆けつけることができずにとても心配であることも強く訴えた。
数週間後、父から連絡があり、少し介護度が上がったそうだ。よかった、と思っていいのかどうか悩ましいところだが、老老介護だし、薬代だけでも高額になることから、少しでも負担が軽減されるのならそれはいいことだ。
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信じることで強くなる
前回の帰省時に起きたことと感じたことは
#4【難病と向き合う記録と記憶】 理想と現実の間で生まれた葛藤。告知以来はじめての衝突
で書いたが、この時は、大好きな母への愛が執着になり、傷つけてしまったことが大きな学びとなった。少し距離を置いて、父と母の好きなようにさせることが、2人にとっても私にとっても良いことだと結論づけた。
今回の帰省では、2人の生活を2人でなんとか心地よいものにしようと工夫している様子が感じられた。
母の料理は相変わらず美味しいし、趣味の洋裁にも気持ちが向いているようだ。父はそんな母を見守りながら、時間を見つけて水彩画を描いている。
胃ろうから栄養や薬を摂ることや、週2回ほど筋肉注射を打つことも、もちろん最初は違和感しかなかったと思うが、少しずつ日常に馴染んでいくのかもしれない。
私は5年前に甲状腺癌で手術をして、術後は健康に過ごしているが、癌は再発や転移の恐れがある病気で一生付き合っていくものだと自覚している。
母もそんな感じで、一生付き合っていくものとして受け入れているのかもしれない。
大切なのは信じる心。
きっと大丈夫。きっとうまくやれる。あなたも私も。
離れて暮らす娘にできることは、自分と自分の家族を大切にして、「安心だな」と思ってもらうこと。そのためにも日々を精一杯生きる。いつもご機嫌でいる。
私の両親は、私にとって永遠に「学びの師」である。
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