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#2【難病と向き合う記録と記憶】 家族会議で知った母のリビング・ウイル

大好きな母がALSになった。77歳の夏。
なった、というより正しくは、半年以上の原因不明の症状に悩まされた結末がALS診断だった。
父から告げられた日から、母を取り巻くあれこれを記録しておこうと決め、noteに思いを認めた。

ALSとは?
告知を受けて何を考えた?どう動いた?

前回の記事はこちら。

今日は、告知を受けたあと初めて家族全員が揃って話したことや考えたことを記録する。


遠距離介護のリアル

父から電話をもらってから、私なりに調べて今後起こりうること考えるべきことを整理したつもりではあった。
数日後、父から「病院の先生から説明があるから、集まってもらえるか?」と電話があり、それなら早い方がいいとなって兄と私が大阪へ帰省することになった。

8月末の某日、母の診察の日。
あろうことに大型台風が日本を直撃する1週間に当たってしまった。
鹿児島から九州を縦断し、そこから関西〜関東と横断する進路を見て、気が気ではなかった。
私は旅程を早めて台風が鹿児島に来る前に大阪へ。兄は当日入りとなった。

これまで、家族と離れて過ごすことにはそれほど不便を感じておらず、普段離れているくらいがちょうどいいくらいに思っていたが、まさにこの時は遠距離介護の実態を突きつけられる出来事だった。

振り回された台風10号(日本気象協会ホームページより)


医師からの説明を淡々ときく

予習の甲斐もあり医師からの説明はすんなりと入ってきた。兄も兄なりに調べたり考えたりしたのだろう。さすが私の家族。準備が徹底している。
医師は母や私たち家族の気持ちを慮りながら、でも、歯切れのいい言葉で説明をしてくれた。
母も父も私も兄も、気持ちの整理ができているのか、取り乱すことなく不明点を確認しながらしっかりときいた。

大きく3つのことが語られ、家族会議の議題となった。

①母の状態
②医療的処置
③本人と家族の意向(リビング・ウィル)

①母の状態

前回にも書いたように、喉の周りの筋肉の衰えが症状として出ているので、食べられないことで栄養不足や体力低下、免疫力低下などが案じられる。
さらに、肺機能にも影響が出始めていて呼吸しづらいことは、命を縮める直接の原因となる。
見た目には分からなかったのだが、手足の筋力の衰えも出始めていると言う。77歳なので年相応のものもあるだろうが、どこまでが病気の進行なのかは今のところは分からない。
母の様子を見ていると、普通に料理もするしミシンがけもしていたので、手足の進行はまだゆるやかなように思える。

少し心配なのが表情だ。
どことなく笑顔がぎこちなくなっているようにも感じられる。口を動かすことが少なければ顔の筋肉も衰えるだろうし、人と会わなければ表情に気をつけることもあまりなくなってしまう。そういった諸々が、「笑顔」に影響しているのだろうか。
これについては医師の説明を受けるときには疑問として浮かんでいなかったので、またの機会に父を通じて聞いてもらおうと思う。

②医療的処置

ALSに関する情報を調べると、本人や家族にとって大きな選択となるのが生命維持のための「胃ろう増設」と「気管切開」だと分かる。
口から食べられないことや、飲み込みが難しいことから、食事はもちろん薬の摂取も難しくなってくる。そこで栄養摂取の方法として、病院で点滴を受けるか、胃に穴を開けて直接栄養を送り込む(胃ろう)か、が考えられる。

点滴の場合は手術はしなくて良いが、毎月1−2週間は入院して点滴を受けることになり、日常生活を送れるのは半月ほどになるデメリットがある。
胃ろうは一度手術をしてしまえば自宅生活が可能であるが、本人や家族がうまく扱えるようになる必要があり、また穴を開けたところの衛生的ケアも必要となる。

胃ろうに関しては家族全員一致でYes。肺活量が落ちてくると手術できないことから早めに行うことで決まった。
母も父も手先が器用な人だから任せられると思ったし、本人たちも大丈夫だと感じているようだった。

気管切開については今すぐにということではないが、今後起こりうることとして話を聞いた。
自力で呼吸ができなくなってきた場合、喉に穴を開けて酸素の入口を作ることで人工的に呼吸をさせる。これに伴い声が出なくなるが、喉に痰が詰まって呼吸困難になり死に至る、というようなリスクがなくなる。

簡単に言えば、声をとるか命を取るか
これについて母の答えは明確だった。No。
「気管切開はしない」
なんとも潔い、母らしい答えだと思った。
(私も自分の最期は、潔く逝きたいと考えているからだ。)

③本人と家族の意向(リビング・ウイル)

母の答えに対して私たち家族は、母の望むようにと考えていることで一致。
しかしそれは、今のまだ元気な母を見ていることと、痩せて小さくなった母を見て、苦しい思いをして欲しくないと願うことからの、今の気持ちに過ぎない。
状況が変われば、声が出なくてもいいから生きていて欲しいと願うかもしれないし、母自身も考えが変わるかもしれない。

自分の最期をどう生きたいか。
人生の最終段階における事前指示書と言われるリビング・ウイルについて触れておく。

リビング・ウイルを作成する意味
日本尊厳死協会は、人生の最終段階における医療・ケアを自ら選択する権利が保障され最期まで自分らしく尊厳を保って生きることができる社会の実現を目指しています。当協会が発行するリピング・ウイルは、事前に医療・ケアの選択について意思表示しておく文書です。リビング・ウイルを作成し提示することにより、あなたの希望があなたの生活・医療・ケアに関わる方々に伝わり、その結果あなたの生き方が最期まで尊重されることになります。

リビング・ウイルの作成にあたって最も優先されるべきは本人の意思で、大切なことは医療者や家族、あなたをサポートしてくれる方とあなたの意思についての情報を共有し理解しあうことです。リビング・ウイルを作りたくない方は作る必要はありません。

書きたい時がきたら作成してください。

公益財団法人 日本尊厳死協会


私たちは普段、死について語ることはあまりない。家族であればこそ、「縁起でもない話」とラベルを貼って、人生の最期について話し合うことは少ないのではないか。

ある方からこんな言葉をいただいた。

「今の段階で気管切開について話ができているのは、ご家族の中で信頼があるからですね。これはすごいことですよ。」

仲良し家族だから向き合える

子どもの頃から何でも話す親子だった。良いことも悪いことも、学校給食の話からテレビで流れるニュースまで。私の初恋(3歳)も親は知っている。

「普通は」と言われるとなぜか反発心が生まれる子どもだったことから、「なんで」「何が」「そもそも」みたいな哲学的なやりとりも多かったように記憶している。
自分の頭で考えること、自分の意見を言うこと、常識を疑うこと。
両親から学んだことの意味はとても大きい。

そんな家庭だったので、両親も私もやりたいことをやりたいと言い、やれることはやり、わりと後悔の少ない人生だったと思う。
喧嘩はしょっちゅうしていたが、私が知る範囲では離婚の危機もなかったし、親子の縁を切るなんてドラマティックなこともなかった。
そういえば今年の10月で結婚50年になるので、金婚式のお祝いをしたいと考えている。

つまり、延命処置をするかどうかそのものが問題ではなく、おそらくその決定に至るプロセスが大事なのだと思う。
母の決断の背景は、私が考えるほど前向きなものではないかもしれない。
もう十分生きた、と自分の最期を決められたかどうかなんて分からない。
けれど、母が今の状況を受け止めた上で自分の最期について考えることができたこと、家族でその話題をすることができたこと、母の気持ちを受け止めることができたことこそが、「仲良し家族」の集大成だと言える。

だから、母の選択を尊重したい。これまでの感謝をぜんぶ込めて。

散々やりたいようにやってきた私が、今度は母がやりたいようにやるのを見守る番だ。

家族会議を経て

こうして第1回の家族会議は幕を閉じた。
難病申請や介護認定、障害者認定など、さまざまな手続きはすべて父がちゃんと調べて進めていると言う。相変わらず自慢の父。
願わくば、遠方で暮らす子どもたちに心配をかけないように、と過度に頑張って疲れてしまわないように。
母のことを思う気持ちは分かるが、自分の楽しみも大切にして欲しい。
水彩画家TAKAの新作を楽しみに待っている人がいるよ
と声を大にして伝えよう。

鹿児島で初の個展。たくさん書き込まれた「感想ノート」に感激する父。

個展をひらくきっかけとなった、父の最初の一歩を書いた記事はこちら。



さて、台風はどうなったか。
私たちが家族会議をしている間に通り過ぎてくれればと願ったが、そうは行かなかった。


私は日程に余裕があったので、飛びそうな飛行機に狙いを定めて帰る日を決めたが、大変だったのは兄のほう。静岡の大雨の影響で、北陸を迂回ルートとして東京まで半日以上かけて帰っていった。弾丸帰省お疲れ様でした。

今回は母のことを中心とした家族会議ではあったが、父も81歳でいつ何があっても仕方がない歳ではある。
誰かに何かが起こったときに、誰がどうするのか、何がどうなるのか。「縁起でもない話」は多岐に渡る。兄とも話をしておかなければいけないと思った。


***

この記録を書いている今、9月も終わろうとしている。
夏から秋に変わる季節。朝夕の風が心地よく、過ごしやすい時期だ。

母にとって今年の秋はどんな風に映るだろう。
10月には胃ろうの手術が控えている。それまでに秋の京都を散策する予定だと父が言っていた。着物を着て闊歩するらしい。なんとも仲の良いこと。


次回は、そんな仲良し家族が思い出に撮った家族写真を紹介する。
母とやりたいことの1つが叶った話。


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矢野けいか|着火ウーマン|書籍『場づくり仕事術』著者|キャリコン|コーチ|人事戦略パートナー
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