今だからお伝えしたいこと#52
こんにちは。
今回は以前、私が投稿した以下の記事についての話題からスタートします。
この記事を書いた理由を少し振り返ってみます。
人は一人では生きていけません。
ましてや私のように単身で脱北した人間が
言葉も通じない日本で国籍を取得して、
看護師免許を取り生活を安定させ、
家庭を持ち子育てをする
ということが、多くの方々の数えきれない支えがなければ不可能であったのは間違いありません。
そういった方々の中には、存在を表に出してほしくないという人も含まれています。
そのため、私個人で完結する内容は率直に書いてきたつもりですが、私と関係する方々については個人が特定できない形で(もしくは関係を改変して)紹介してきました。
しかし、記事を少しずつ投稿していく中で
むしろnoteを読んでくださる方に事実として知ってほしい、もしくは知ってもらうべき内容もあるのではないか?
そんな疑問が頭をもたげるようになりました。
そういった経緯の中で、今後は事実関係が特定され、明らかになるような内容についても、必要な許可を得た上で記事に書いていければと思っています。
その第一弾として、今回は私の記事によく登場する某NPO団体について紹介しようと思います。
そのNPO団体の名前は「北朝鮮難民救援基金」(以下、基金と記載)です。
基金との出会いは、中国の日本領事館で保護されていた時に一緒だった脱北者(私より先に来日した)から、当NPOが東京弁護士会の人権賞を受賞したことを祝うパーティが開かれると聞いて、参加したことです。
来日して2〜3ヶ月が経った頃でした。
想像はつくと思われますが、北朝鮮には政府が管轄しているもの以外の組織が存在しないので、NGO(非政府組織)、NPO(非営利組織)などはあるわけがありません。
”脱北者を支援する民間組織?脱北者をお金儲けに利用してるに決まってる。絶対に裏がある。だったら私も利用してやる😎”
今にして思うと失礼極まりないのですが、包み隠さずいえば、パーティに参加する前の私はこんなことを考えていたのです💦
当時は”貧困ビジネス”という言葉を知りませんでしたが、その瞬間の私のイメージを言い表す単語としてジャストフィットです。
パーティで出会った理事長の加藤博さん、山下知津子さんを含む多くの方々は良い意味で期待を裏切ってくださりました。
言語能力の都合上、直接のコミュニケーションは難しかったものの、私のことを心から心配し、親身に話を聞いてくださる姿勢は十分すぎるほど伝わってきました。
それから16年、家族のような関係が続いています。
山下さんは看護学校の受験勉強をしている時、日本語の勉強のために定期的に「天声人語」を一緒に読んでくれました。
看護学校の合格発表の日(ひとりで行く勇気がありませんでした)も一緒に行ってくれました。
保護者の参加が通例である入学式や看護の誓い(戴帽式)、卒業式などに親代わりとして加藤さん・山下さんが来てくれたりと、いつも私の側にいてくださりました。
そして、看護学校の学費についても、基金の呼びかけに多くの方が賛同・支援してくださったことで集まった経緯があります。その総額は200万円近くになりました。
私は看護学校に通っている間、アルバイトに追われることなく勉強に専念するための環境を整えることができました。留年することなく、3年で卒業することができたのは、そのおかげです。
いつの間にか、加藤さんと山下さんは私にとって日本における父母のような存在になっていました。
こういった支援を受けているのは私だけではありません。
多くの脱北者が(行き先となる国を問わず)加藤さんたちの支援によって北朝鮮から脱出し、日本に来た脱北者は来日後も引き続きサポートを受けています。その数は累計で数百人に上るそうです。
加藤さんは脱北者を救うため自ら現地に赴き、中国とロシアで2度に渡り拘留された経験をお持ちです。命を懸けて活動を続けてきたことが伝わるエピソードであると思います。
北朝鮮当局は、20年前から加藤さんの存在を把握していました。
ベンツ一台に相当する懸賞金をかけて加藤さんを捕まえようとし、実際にスパイ数人を日本へ送り込んだことが明らかになっています。
(この件については加藤さんに改めてインタービュをし、いつか詳しくご紹介できればと思っています)
先日、同じく基金にお世話になった脱北者オンニ(姉という意味)と私は、加藤さん・山下さんをささやかな食事の席に招待しました。
血は繋がってないけれど、いつも支えになってくれる日本の父母と、「母の日」「父の日」を祝うためでした。
そのオンニもまた、十数年前に加藤さんたちの助けを得て脱北に成功した一人です。来日後に国家資格を取得し、結婚もして現在は子育てに追われる日々を送っています。
私たちのような脱北者が日本や他の国へ無事にたどり着き、安定した生活を送ることができている。
その奇跡のような出来事は、決して”奇跡的な幸運”などではありません。
実際にたくさんの人々が与えてくださる、さまざまな形の支えの上に成り立っているのです。
食事の席では、他愛のない会話をしながら、おいしい日本食に舌鼓を打ち、幸せな時間を過ごしました。
そして、その会話の中には、私とお二人がパーティで初めて会った時の話も含まれており、当時の自分を思い出して少し恥ずかしい気持ちになりました💦
北朝鮮難民救援基金は2003年に創立され、今年で21年目を迎えます。そして、その中心を担ってきたメンバーの多くがいまや後期高齢者となりました。
代表の加藤さんを含む、多くの方々が人知れず続けてくださった命懸けの救援活動について、今後少しずつ紹介する機会を作っていければと思っています。
来日するまでも、来日してからも多くの方々に支えられて、今があります。
改めて心からの感謝を。