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チーム大器晩成

僕の高校野球部時代は、決してバラ色ではなかった。ベンチに入ることもできず、悔しい思い出ばかり。けれど、楽しい高校野球生活を送ったことは確かだ。野球をするのが楽しかったし、何より「仲間」との日々は美しかった。

チーム大器晩成があったから…。

僕らのチームでは、授業が終わると、屋内練習場にカバンを起き、そこでユニフォームに着替え、スパイクやグローブなどをもって屋外の野球場で練習を行う。

この屋内練習場における「カバンの位置」はとても重要だ。下級生はいかに苦手な先輩との距離を保ち、「絡みやすい」先輩の近くを陣取るかが鍵となる。僕らの高校は上下関係は厳しくないし、先輩が後輩をパシる悪しき伝統もほとんどなかった。

とはいえ、めんどうな絡みをしてくる先輩はどの組織にも存在するものだ。

先輩のご機嫌とりに時間を使う時間なんて1秒たりともない。いや、当時の僕にそんな精神的余裕はなかったといった表現が正しいだろう。自分のことだけで精一杯。

それに、僕は野球部の「ウェーイ」なノリを得意としていなかった。

1年時はゆるふわな先輩たちが集う安全区域に陣取ることに成功。とても居心地の良い空間だった。2年の夏が終わると、いよいよ自分の代。僕は引き続き、安全地帯にカバンの位置を陣取った。

野球のポジション争いは負けてしまったが、カバンのポジション争いは負けるわけにはいかない。

やはり、僕の周りには、「ゆるめ」の後輩たちが集まっていた。何かとオラオラ系の多い野球部中で、ゆるふわなメンバーが集まる摩訶不思議な空間の完成だ。さながら砂漠の中にポツンと湖である。

そこで結成したのが「チーム大器晩成」

メンバーは僕と数人の後輩。カバンのご近所さん同士だ。誰がネーミングしたのか忘れてしまったが、チーム大器晩成が存在したことは確か。チーム大器晩成のリーダーは僕。

野球部員として一番結果を残せていなかったのが僕であり、チーム大器晩成の最年長である。結成というよりも、自然発生的に誕生していた。チームとして何かをやった訳ではないが、居場所がそこにはあった。

どんなに結果を残せなくても、チーム大器晩成区域に入ると、気持ちを落ち着かせることができた。僕らは多くの言葉を交わした訳ではない。ただ同じ時間に同じ空間で、同じ空気感を共有していた。

結局、満足のいく結果を残せないまま、僕の高校野球生活は幕を閉じた。さすが、チーム大器晩成のリーダーである。こんなところで、大器が「早生」する訳にはいかない。

チーム大器晩成の中には、僕が引退した後に、ベンチ入りを果たした後輩が何人かいた。大学受験で日本有数の大学に合格した者もいる。いまやチーム大器晩成の構成メンバーはみな大学を卒業し、社会人となった。

僕らの高校野球はとっくに終わった。ただ、チーム大器晩成は終わっていない。

僕たちはこれからだ。

野球選手としては活躍できなかったけれど、違う形で僕らという名の「大器」が「晩成」する時がやってくる。あの時は野球がすべてだと思っていた。しかし、人生はまだまだこれから。

またいつか、チーム大器晩成で集合したい。「晩成」したみんなで。

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