モチベーションという名の幻想
モチベーションは幻想である。
ちまたでまかり通っている「モチベーションを上げよう」という発想はナンセンスだ。人は興味があれば、自然と行動するから。
仕事も勉強もしかり。野球に興味があれば、野球の練習をするだろうし、英語に興味があれば英語の勉強をするだろう。興味の有無であり、そこにモチベーションどうこうは関係ない。
なんにも興味がない。何に対してもモチベーションがわかない。という人がいる。
それはウソだ。
生きている限り、何かをしているはず。何かしら考え、何かしら行動しているはず。
興味関係なしに、「モチベーションがない」とすればそれは身体の問題であろう。専門家に頼るしかない。
上げようのないモチベーションを上げようとする考えは間違っているといいざるを得ない。存在しないものをあたかもそこにあるようにしているのは、言葉のマジックに過ぎない。
実態とかけ離れた金融商品と同じだ。
リーマンショックが生んだように、虚構は虚構でありいつか現実に引き戻される時期は必ずやってくる。
モチベーションだって。自分が興味のないことをやらされ、あたかもモチベーションがそこにあるかのように。そして、どこかのタイミングでモチベーションがないことに気付き、現実を知るのだ。
この文章だって。気付けばふと文章を書いている。そこにモチベーションを上げようといった発想はない。
自然とそうしているのだ。他にも複数の媒体で、さまざまな文章を書いているが、モチベーションは関係ない。書いたいから書く、それだけなのだ。