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''真面目"ではダメだと言うけれど、なんで?


自分で言うのも何ですが、私はすごく真面目だ。

それもそのはず、今まで出会ってきた人たちの中で「真面目だね」と言われることがあまりにも多かったので自覚するようになった。 

私は言われたことを真剣に熟すタイプで、加えて自己主張が強くなく、自分の意見を思うまま言えない性格である。

だから、真面目という言葉がよく合うのだろう。

「真面目だね」とただ言われることに対しては良いのだが、この言葉とセットで嬉しくないことを言われる場面がすごく多かった。

「真面目でつまらない。」

「真面目すぎてなんか、嫌だな〜。」

「真面目だから、損するでしょ!」

「そんな真面目ではダメだよ。」


そして歳上の人からはよく、

「世の中は甘くない。悪いけど貴方みたいな真面目では生きていけないから。」

と言われた。


言いたいことはなんとなくわかる。


この世を生きるということは、なんでも真面目に物事を取り組めば良いってものではないぞと。世渡り上手になることも必要だし、むしろその方が上手くいくことの方が多いんだという、人生経験を積んだからこそのアドバイスなのだろう。


だが、私は思う。

果たしてそこに真面目さは本当に関係あるのだろうか、と。

真面目という言葉は、

真剣な態度や顔つき。

真心がこもっていること。

誠実なこと。

という意味だ。


なにが、つまらないのだろう。

なにが、嫌なのだろう。

なにが、損をするのだろう。

なにが、ダメなんだろう。

なぜ、彼らはいつもマイナスの言葉と一緒に使ってくるのだろうか。

本当の意味を知らないのではないだろうか。


悪口とセットで向けられる言葉になってから、私は真面目だと言われるのが心底嫌になってしまった。

いつの間にか真面目だと言われないようにするにはどうしたらいいのか、という悩みを抱えてしまっていた。


そして、

そんな自分が馬鹿らしくなった。



真剣に誠実に生きながら、世渡り上手になればいいだけじゃないか。

物事に真心をこめられる人間でこの世を生きればいいじゃないか。


こんな素敵なことはないだろう。

あの時はこんな風になぜ思えなかったのか不思議で仕方ないが、視点を変えるだけで随分と心が楽になった。


"真面目"な人間は素敵だ。

これからはむしろ”真面目“と言われるように生きていこう。

“真面目”はダメだ」という奴が現れたら、“真面目“であることの何がいけないのかを問い詰めよう。

奴らは本当の意味をわかっていないはずだから。



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