ファッションより、香りをまとうことを選ぶようになった
わたしは服を選ぶように人生をしてきた。
その時の感じた気持ちと好きかどうかでものごのを選んで、みたい世界には自分に背伸びをさせて足を踏み入れた。
それは喩えだけの話じゃなくて、わたしの人生は服を選びながらつくったといってもいいと思っている。
私にとってファッションは、自分の気持ちと向き合うことで、なりたい自分でいることで、新しい自分と出会うことだった。
というのも、わたしは少しだけ服との関わり方が変わっている。
わたしが通った小学校は制服があった。
家に帰ってきて、友達と公園で遊ぶためのデニムとTシャツがあればそれでいい毎日。
中学・高校は制服がない女子校へ進学した。
おそらく小学校は私服で中学から制服に身を包むのが日本のスタンダードなんだろうけど、その逆。
毎日服を選んで学校に行かなきゃいけなくなった時、わたしは今まで感じたことのないような焦りと自分が埋れていくような怖さを感じた。
まわりの友達は雑誌に載っているような、かわいい服をきている。重ね着なんかもしてる。
みんな違う服を着た女の子たちに囲まれる中で、自分の存在が消えると思った。自分はそんなの持ってない。そもそも着たいため、見せたいための服なんて知らなかったんだ。
それから、服を買うこと、コーディネートを考えること、そしてみんなが着なそうな服を着たり意外な組み合わせで服を着たり、とにかく必死でファッションでアイデンティティをつくろうとした。
でもだんだん、服に対する気持ちは焦りからその日に着たいと思った服を選ぶ楽しさに変わった。自分で選んだものでみせたい自分をみせる。自分ブランドをデザインする感覚。
だから、私にとって、着たい服を着たい時に着るのが正義で、制服とかスーツとかは窮屈だ。
それがいつからだろう。
旅を好きになった頃、、いろんな国の友達を持つようになってからかな。
服への執着が変わった自分に気づいた。
すごくお気に入りの、これが私だっていう服を2,3着もって、あとはユニクロで十分だと、そう思うようになった。
代りに気にかけるようになったのは肌のきれいさと姿勢のよさ。そして香り。
どんなに着飾っても、白いTシャツとスキニーをかっこよく着こなす女性(ましてやヨーロピアン美女)からにじみ出る美しさにはかなわない。
何より、手持ちのものは少ない方がいい。
少ない方がいつでもお気に入りと出会える。
新しい世界へいつも自分らしい姿で身軽に踏み出せる。
人にただよう香りは、ファッションのように表面的なものではない、その人の気品と誇りと自信を一緒にまとっているように感じる。
それだけで美しい。
香りは記憶に残り、印象を決めると言うけれど、本当にそう。
昔好きだった人に君の香りが好きと言われたことがあったけど、
恋愛にも香りは欠かせない要素。
目にみえてるものじゃない部分で、わたしらしさを世界に放つ。
そこに自分が本当に好きだと思える香りをまとうことができたなら、これ以上素敵なおしゃれはない。
嫌なことがあった時や気分がふさぐ時、焦る時、大好きな香りを嗅ぐようにしている。
自分の感覚が戻ってきて周りに流されない自分らしさを取り戻せるような気がするから。
だからわたしは、自分のためにまとってたいと思うような、いつも包まれていたいと思うような、これが私だと周りから思われたいような、お気に入りの香りを探し続ける。