高校の時のはなし。
みなさんこんにちは。
初めてnoteを書きます。まぁそんなに多くの人に読まれるわけではないので、自分のために、気軽に書こうと思います。
まずは、今後自分自身が行っていきたいと思っていることの全てのきっかけとなった、高校の時のはなしから、始めようと思います。
私は高校生の時、普通の高校生と同じように恋愛をしていました。
相手は同じクラスの男の子。頭も良く、運動神経がずば抜けて良くて、クラスでもみんなの中心にいるタイプの人でした。
最初こそ順調でしたが、彼は精神的な波が大きく、一緒いる私はそれ振り回され、疲弊していました。
次第にお互いに上手く話せなくなり、それでも私は『好きだから』とその気持ちにしがみつき、もう“愛”ではなく“執着”であるとわかっていながら、離れることができませんでした。
そんな彼との交際は、約10ヶ月ほどだったと思います。
別れは彼からでした。
『このまま関係を続けることで、話せないのなら、もう友達に戻りたい』
そう告げられ、別れました。
ここまでは、一般的な男女交際の話ですよね。ここで終われば、何の変哲もない淡い記憶として保存できたのかもしれません。
問題はその後の彼の行動にありました。
彼は、私と別れてすぐにクラスの男の子たちに
『あいつが浮気したから別れたんだ』
『あいつはビッチだ』
『関わらないほうがいい』
と別れの理由を話していたそうです。
さらに彼は私の身体のこと。性的なこと。
それらも悪意を込めて、周りに話していたようです。
彼しか知り得ないようなことも、周りの人に知られていました。
彼はきっと、私を振ったことで悪者になるのを防ぎたかったんでしょう。彼が私を振った本当の理由は、他に好きな子が出来たことでしたから。
つまり、自分に都合の悪い話が出回る前に、意図的に私の悪い話が広まるようにしたのだと思います。
そんなことをできてしまうくらい、頭は良い人でした。
噂は噂を呼びます。
私は私が他クラスの知らない子にまで『ビッチ』と呼ばれていることに気がつくのに数ヶ月かかりました。
私は彼が私に悪意を込めて噂を触れ回っていることに、そして周りから揶揄されていることに数ヶ月間気づいていませんでした。
そうか、私が知らない間も、クラスの男の子たちはみんな、私をそういう子だと思って見ていたのか。この数ヶ月。
思い返せばクラスで仲の良かった男の子は、ここ最近目を合わせてくれない。話してくれない。
『そういうことだったのか』とぼんやり思いました。
やっと大好きだった彼を忘れ始めていた頃でした。
『怒り』『悲しみ』『喪失感』『虚無』
あの頃に感じていた感情をどう表現したらいいかわかりません。
ただ、それまで愛していた自分が汚されて、捻じ曲げられ、粉々になっていくような感覚を、この先忘れることはないでしょう。
自分に“ビッチ”というレッテルを貼られていることを知った後の私は
食欲がなくなり、
夜は眠れず、
過呼吸で教室に入れなくなったり、
突然涙が止まらなくなったり。
そして何より、
男の人が怖くなりました。
話すことも、目を合わせることも、触れることも、近くにいることもできなくなりました。
自分がどう思われているのか、また噂されているのか、自分の身体のことを話されているんじゃないか。
男性を前にすると、そんな恐怖が常に付き纏うようになりました。
それは、今も変わらぬ恐怖としてこびりついています。
これらはもう3年も前の話です。
もしかしたら、そんなに噂は広まっていたかったかもしれないし、彼が話したわけではないのかもしれません。何がどこまで真実なのか、今やもう知りようがありません。でも、確かめる勇気はあの頃の私にはなかったんです。
しかし、例え全て私の思い込みであったとしても、私の心が、精神が粉々になるほどに傷ついた事実は変わりません。
あれからずっと、恋人はいません。
また裏切られ、同じことが起こるのが怖くて恋ができません。
私は今も男性を心から信じることができません。
男性は“自分を汚す者”として強い嫌悪感を持ってしまいます。
だから女性が男性に精神・肉体問わず傷つけられることに、
女性を軽んじる言動に、
強く、怒りを感じます。
時に、その怒りに心を真っ黒に塗り潰されます。
この経験は私にとってはトラウマで、20年生きてきた中でも、大きな出来事でした。
そして皮肉にも、今の思考、興味、関心の土台になっています。
17歳の時にこの経験をし、
20歳になっても、この出来事から逃げ続けていました。
触れることでまた痛まないように。傷を見ないように。
蓋をして、なかったことにして。
けど、それでは何も変えられない。
自分自身に残る傷の痛みに向き合い、
自分をこんなにも変えてしまったものの本質を見つめなければ、私は私を心から愛してあげられないと思います。
だから、私は自分の中で納得できるまで向き合い続けようと思います。
それがどんなに痛くて、辛くて、苦しくても。
noteはその活動を記録していくために活用していこうと思います。
今日は全てのきっかけとなった出来事についてでした。
あまりにも拙文ですが、ご精読ありがとうございます。