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おいたち5。

だからと言って両親を恨んだりとかではない。 不思議なもので、私は物心ついた頃から 色々ラッキーというか、 家族に恵まれなかった分、 周りの人たちには恵まれてきた。 両親の守護霊でも付いているんだろうと 真相を知ってからは見えはしないが 感じている。 40年近く生きていれば、みんなそれぞれ 色々あるだろう。 生まれた環境で優越つけられることも あったが、悔しい想いが強さに変わったり 優しさに変わり 今は護るべき子や仕事があるから 道を逸らさず、人と比べず 自分をしっかり持

    • おいたち4。

      産みの両親の事を教えてくれたのは 叔母だった。 産みの母は私を産んで育児ノイローゼに なったらしい。 大変な子だったのか。 そんな母を父は支えきれず、父自身も 起業に失敗し共に自ら命を絶ってしまったらしい。 当時10ヶ月だった私は全く覚えていないが、 皮肉なもので両親の葬儀で笑っていたらしい。 その後は大人の事情で真相はわからないが 遠い遠い親戚の家で引き取られ、 引き取った継母が先に描いた暴力女だ。 子供は親を選べない。 何度か耳にしたが、残酷だ。

      • おいたち3。

        幼少期を振り返ると 育ての母は、2人きりになると暴力を振ってきた。 お風呂に沈められた日もあった。 理由は覚えていないが恐怖しかなかった。 そのうち母と会話をするのを辞めた。 やがて、母は病気になり闘病生活になった。 母に対しては何の感情もなかった。 対照的に育ての父は優しかった。 父の帰宅が楽しみで仕方がなかった。 父が帰ってくるといつも抱きついていた。 それがまた母にとっては 気に入らなかったんだろうと今になって思う。 兄だと思って一緒に育ってきた1つ上の お兄さん

        • おいたち2。

          学校の授業で母子手帳が必要なやつ。 このタイミングで 母子手帳を片手に父が 「実はあなたはお父さんとお母さんの子じゃないんだ。」と。 育ての母は乳癌で他界している。 父も伝えるタイミングがまさか今日になるとは 思いもしなかったであろう。 20歳になったら伝えようと思っていたらしい。 母子手帳を見られたら発覚するから 仕方がなかったのだろう。 後の言葉はほとんど覚えていないくらい 私の頭は透明になった。

          おいたち。

          なんでもない日常だと思っていた高3の夏。 まさか自分が・・・・ このタイミングで聞かされるなんて・・・ もっと心の準備が欲しかった・・・ でも、思ったよりビックリしなかった。 だからか。 なるほど。 それでねー。 て、納得の気持ちの方が大きかった気がする。

          おいたち。