だからと言って両親を恨んだりとかではない。 不思議なもので、私は物心ついた頃から 色々ラッキーというか、 家族に恵まれなかった分、 周りの人たちには恵まれてきた。 両親の守護霊でも付いているんだろうと 真相を知ってからは見えはしないが 感じている。 40年近く生きていれば、みんなそれぞれ 色々あるだろう。 生まれた環境で優越つけられることも あったが、悔しい想いが強さに変わったり 優しさに変わり 今は護るべき子や仕事があるから 道を逸らさず、人と比べず 自分をしっかり持
産みの両親の事を教えてくれたのは 叔母だった。 産みの母は私を産んで育児ノイローゼに なったらしい。 大変な子だったのか。 そんな母を父は支えきれず、父自身も 起業に失敗し共に自ら命を絶ってしまったらしい。 当時10ヶ月だった私は全く覚えていないが、 皮肉なもので両親の葬儀で笑っていたらしい。 その後は大人の事情で真相はわからないが 遠い遠い親戚の家で引き取られ、 引き取った継母が先に描いた暴力女だ。 子供は親を選べない。 何度か耳にしたが、残酷だ。
幼少期を振り返ると 育ての母は、2人きりになると暴力を振ってきた。 お風呂に沈められた日もあった。 理由は覚えていないが恐怖しかなかった。 そのうち母と会話をするのを辞めた。 やがて、母は病気になり闘病生活になった。 母に対しては何の感情もなかった。 対照的に育ての父は優しかった。 父の帰宅が楽しみで仕方がなかった。 父が帰ってくるといつも抱きついていた。 それがまた母にとっては 気に入らなかったんだろうと今になって思う。 兄だと思って一緒に育ってきた1つ上の お兄さん
学校の授業で母子手帳が必要なやつ。 このタイミングで 母子手帳を片手に父が 「実はあなたはお父さんとお母さんの子じゃないんだ。」と。 育ての母は乳癌で他界している。 父も伝えるタイミングがまさか今日になるとは 思いもしなかったであろう。 20歳になったら伝えようと思っていたらしい。 母子手帳を見られたら発覚するから 仕方がなかったのだろう。 後の言葉はほとんど覚えていないくらい 私の頭は透明になった。
なんでもない日常だと思っていた高3の夏。 まさか自分が・・・・ このタイミングで聞かされるなんて・・・ もっと心の準備が欲しかった・・・ でも、思ったよりビックリしなかった。 だからか。 なるほど。 それでねー。 て、納得の気持ちの方が大きかった気がする。