百日紅
被曝子が棺箪笥抽斗に百日紅敷きつめ オオタケシゲヲ
(ひばくしがひつぎ たんすひきだしにさるすべりしきつめ)
この俳句は友人のインスタグラムの投稿をみて、いてもいられなくて作った句。その投稿を友人の許可を得て文章と写真をそのまま掲載する。
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8月6日、例年通りの灼熱の中、平和記念公園を歩いていると元安川沿いに咲く鮮やかなピンクの花に目がいく。被爆し亡くなった母の級友は棺の用意も出来ず、ご遺族が家にあった一番大きな箪笥の引き出しに亡骸を入れた時、あまりにも無念であの時唯一咲いていた、この花を敷き詰めて燃やしたという話を思い出した。
3年前から毎年この日にここへ来るようになって、益々状況は悪化して戦争は終わる気配もなく、やるせなさは増すばかりなのだけど、多くの外国の方がこの日を選んで訪れていたのを見て少しだけ希望を持てた。戦争反対。世界から核兵器がなくなりますように。
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友人のお母さんは広島出身で1945年当時は広島第二県女二年西組の生徒、広島市内での勤労奉仕をたまたま病気で欠席したために、被曝を免れる。勤労奉仕に参加した同級生は爆心地から1kmの距離で被曝。そのほぼ全ての女生徒が被曝に苦しみ1か月ともたずに死んでいったのだという。のちにジャーナリストとなったお母さんは、同級生ひとりひとりの遺族を探しだし、彼女たちの死までの様子を記録に残した「広島第二県女二年西組」(関千枝子著)という本を執筆した。大変辛そうな本なので、しばらく書棚に置いたままで、手に取るのにとても勇気がいったのだが、読み始めると最後まで一気に読まずにはいられなかった。
被爆者数という数字のひとつひとつに、鮮やかな人生があり、家族がいて、明るい未来があったという当たり前のことが切ない。とても良い本なので、いつかこの文章を読んだ方も手にとってもらえたらと思う。
話は戻るが、友人の今年の8月6日の投稿をみて、せめてこのご家族に届くことはないとしても、哀悼の気持ちを示したいと思ったのが冒頭の句である。当初の句は 「被曝子の棺とす箪笥抽斗に百日紅敷きつめ」 であったのだが、所属する俳句結社のわが師 小澤實が「被曝子が棺箪笥抽斗に百日紅敷きつめ」として添削したのち結社誌「澤」に掲載、その句をみた僕は心底驚嘆、俳句の奥深さを思い知ったのであった。助詞「が」の魔法のような働きよ。元句の散文的な要素が韻文へと昇華され、一句に込められた祈りに静かな深みをもたらしているではないか。自句を褒めるようでなんだか面映いけれど。
さてこの文章を書きながらさっき気がついたことがあるのだが、友人の写真の花はよく見ると百日紅ではなく夾竹桃であった。なんたる失態よ。夏のピンクの花ということで早合点してしまっていたようだ。
天国のご家族に微笑んで許していただけたら幸いである。
(写真 関めぐみ)